Takara Gakuin International, Inc.

Takara Gakuin International, Inc. Global educational service – College and High School preparation
SAT, ACT, SSAT, TOEFL, ESL, GRE, GMAT,英検、現地校勉強ヘルプ、小論文、日米の数学/理科、カレッジエッセイ、スカイプ指導

この度は、宝学院にご興味をお持ち下さいまして、有難うございます。 お陰さまで私達は今年(2021年)、創立36周年を迎えます。これもひとえに、私達の教育理念に共感し、ともに歩んで下さった生徒さん、保護者の皆様のご支援の賜物です。以下、私たちの教育理念をよりよくご理解いただくための、Q&A 紹介文です。ご一読頂ければ幸いです。

Q.宝学院の先生の名前を教えて下さい。
A.柳澤 穣治 (George K. Yanagisawa )、柳澤 有理子 ( Yuriko I. Yanagisawa )
子供たちは、「ジョージ先生、ゆりこ先生」と呼んでくれています。
Q.宝学院の対象学年・住所。
A. 生徒さんの多くは、中高校生ですが、下は幼稚園から上はMBA入学を目指す社会人まで指導します。 日本人だけでなく、アメリカ人の学生さんがSAT/ACTや現地校の補助を求めて指導を受けに来ています

。現在までの指導生徒数は1625名以上です。
2011年からスカイプ授業を始めました。米国内のみならすアジアやヨーロッパの生徒さんもいます。
NJパラマス教室   27 N. Madison Ave., Suite 210, Paramus, NJ 07652
NYハリソン教室   105 Calvert Street, Suite 201, Harrison, NY 10528

Q.先生達の経歴を教えて下さい。
A. 穣治先生の略歴
アメリカ生まれ。小3の時、日本に帰国。岡山大学農学部卒業後、コーネル大学の大学院農学部修士課程修了。マスター・オブ・サイエンス。大学院在学中の1983年から、ニューヨーク補習授業校で高校生に数学と理科を教える。毎週、往復460マイルの道のりを通った。補習校での授業の他に、担任でないクラスの学生の要望にこたえ、数名の学生を家庭教師の形で教えていた。大学院修了後の1985年11月3日、文化の日にちなんで宝学院を開設。当初は、高校生が中心だった。補習校は1990年3月末で退職。現在は、2つの教室とスカイプで、指導に当たる。自らが帰国子女として歩み実感してきたことと教師としての経験から、常に自分の理想とするクラスを目指している。英語と日本語の両方をネイティヴ同様に話せ、両方の国の教育システムを熟知しているからこそ、日本人学生に対する総合的かつ最も効果的な指導が出来ると自負している。アメリカの全寮制私立高校、アメリカの大学に日本からチャレンジしたいという学生を応援することが、日本の国際化の一助になると思っている。また、アメリカ人の学生に対しても、日本人らしい勤勉さときめ細やかさで指導し、大きな実績をあげている。

A.有理子先生の略歴
日本生まれの日本育ち。神戸女学院で中学・高校を過ごす。高校1年の時に、学校が帰国子女を受け入れるようになり、その時に初めて、世の中に「帰国子女」と呼ばれる人たちがいることを知る。大阪大学卒業後、会社勤務をへて結婚のため1990年に渡米。渡米直後より、宝学院で教え始め、指導歴は31年に及ぶ。英検1級所持。小論文、作文、日米の高校・大学への志望動機指導には定評がある。アメリカで出産、子育てをした経験から、異文化の中で暮らす子供達だけでなく保護者の方達の心の支援も行いたいと常々考えている。

Q.なぜ、宝学院を開塾したのですか。
A. アメリカで生まれて小学2年生まで過ごしたあと、日本に帰国。当時は「帰国子女」という言葉すらない時代だった。日本の生活・学校に適応する過程において、まわりの大人の無理解と、友達からのいじめで辛い思いをした。商社マンだった父親はその後も日本とアメリカの間を行ったり来たりしたが、ようやく慣れた日本を離れて渡米し、再び帰国した時に、また、同じような苦労をするのではないかと思い、大学卒業までは日本にとどまった。
「大草原の小さな家」のテレビドラマのような、大地に根をおろした生活に憧れ、大学では農学を専攻。しかし、農家の生まれでもないものが、当時の日本で農業をしていくことの困難を大学在学中に痛感し、アメリカの大学に可能性を求めて、農学部のレベルが全米トップクラスのコーネル大学の大学院に進学。小学2年生まではアメリカにいたので、発音にアクセントのないことが、思わぬトラブルの種となる。すなわち、担当教授に英語は完璧にわかっているのだろうと誤解され、わからない単語だらけの教科書に四苦八苦しつつ勉強していることを理解してもらえず、苦労する。
そんな時に、当時 NYの補習校に通っていた弟から、将来の進路が見えないがゆえに、勉強に身の入らない生徒が多い補習授業校の様子を聞き、「アメリカの大学に行くにせよ、日本に帰るにせよ後で後悔しないようにしてほしい。帰国子女の後輩たちが、自分たちの置かれた状況を冷静に認識し、将来に夢を持って道を切りひらいていく助けになりたい」と思い、補習校の教師となる。自らの大学院の方は、その後、よき指導者に巡り合えたことで順調に行くが、補習校での生徒たちとの語らいが自分自身の励みにもなっていた。
大学院修了後の進路を考えていた時に、補習校の教え子たちの強い要望もあり、塾を開設することを決意。 一緒に頑張ってくれた教え子たちに対する恩返しの気持ちが大きかった。というのは、当時、高校生を指導する塾というものが存在せず、高校生の子供達は手探りで進学の道を模索する状況だったからである。 当初、預かった子供達が卒業して、自分を必要とする生徒がいなくなったら農業の道に進もうと考えていたのに、いまだに日々授業の毎日である。こうして、自分の生きてきた道を振り返ってみると、帰国子女の先駆けとして様々な苦労をしてきたことも、アメリカで暮らす子供達の置かれている状況・気持ちを理解する上では役にたっており、「大草原の小さな家」の夢はもうしばらくお預けかなあと思う今日この頃である。
Q.宝学院の教育理念は何ですか。
A. 「勉強を通じて学んでほしいこと、身につけてほしいことは、忍耐心 (Patience) と自分に対する 自信 (Confidence) 、謙虚さ (Modesty) である。この三つがあれば、いつ何時、どこに行こうとも生きていける。」
「日本人の子供には、持って生まれた日本人としての伝統を大切にし、日本人としての誇りをもって生きてほしい。」
「正しいやり方で努力をすれば、結果は必ず返ってくる。子供達には、『やれば出来るのだ』という達成感を味わわせてやりたい。そのために、教師と親が努力を惜しんではならない。」
「海外であろうが、日本であろうが、教育の根本に変わりはない。大切なことは、子供と教師と保護者の三者が一致協力して努力していくことである。この三者が深い人間的な信頼関係で結ばれていなければ、教育の成果はあがらない。」
「教育の力を信じている。よりよい社会・よりよい世界にするためには、時間はかかるが教育が一番確実な方法である。」
「人間七分、学力三分。」
Q.宝学院が生徒と保護者の方々に望むことをまとめて下さい。
入塾希望者は随時、面接のアポイントをお取り下さい。私たちの教育理念に共感して頂けるのかどうか、私たちに直接会った上で、ご判断いただきたく思います。 勉強や進学に関してなにか悩みや疑問点があれば、その都度すぐに私たちにお問合せ下さい。現地校のことも含めて、色々な悩みを抱え込むことなく、早い目に、何なりとご相談下さると嬉しいです。
Q.最後に一言。
「人と人との出会いを大切に。教師である前に、ひとりの帰国子女の先輩として、子供たちに接して行きたい。」(穣治)
「教え子の皆さんが立派に育って行く姿を見るのが何よりの喜びです。保護者の方々とは、異文化の中で子育てをする同じ親として、思いを共有していきたいと思います。 」(有理子)
Q.連絡先。
面接のアポイントはE-メールにてお願い致します。
E-mail: [email protected]

<卒業生Who’s Who?#21>ジョー君が亡くなったという投稿を見て、20年以上前に卒業した、とても懐かしい卒業生がお便りを下さいました。これもジョー君がつないでくれた縁です。(ジョー君、ありがとう!)Mちゃんはアメリカ生まれ、アメリカ...
08/19/2026

<卒業生Who’s Who?#21>

ジョー君が亡くなったという投稿を見て、20年以上前に卒業した、とても懐かしい卒業生がお便りを下さいました。これもジョー君がつないでくれた縁です。(ジョー君、ありがとう!)
Mちゃんはアメリカ生まれ、アメリカ育ちでしたが、宝学院のサタデースクールで英・数・国・理・社・作文の6科目全部を学んで卒業し、高校時代はSAT、TOEFL、小論文を一緒に勉強しました。当時から努力家でしたが、今でも頑張っているのだなあと、お便り嬉しく拝読しました。
*****

このような機会をいただきありがとうございます。
私はアメリカ生まれでしたが、大学からは日本に住んでみたいと思い、小学生の頃から長年にわたり宝学院のパラマス校でジョージ先生、有理子先生に大変お世話になりました。もう20年以上も前になりますがSAT、TOEFLの対策として単語帳と向き合ったり小論文を一生懸命書いたりしていた日々が本当に懐かしく思い出されます。当時は必死で単語を毎日覚え、クラスで良い点を取りたいという一心でひたすら努力しておりました。日本語に苦手意識があり、日本の大学を受験することに大きな不安を抱えておりましたが、お二人の情熱溢れるご指導と的確なアドバイスのおかげで無事に志望校に合格することができ、今の自分があるのだと心より感謝しております。

帰国後は慶應大学に進学しました。大学卒業後は外資系の金融会社に入社し、その後、転勤でニューヨークに引っ越し、2年前に東京に戻ってきました。現在は一度仕事を離れ、育児に専念する毎日を過ごしております。

宝学院で過ごした数年間は決して楽なことばかりではありませんでしたが、今ではかけがえのない大切な思い出です。いつも親身に寄り添い、導いてくださった先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。 またいつの日か、先生方にお目にかかれることを心より楽しみにしております。

今朝(7/31)、突然、ジョーが旅立ってしまいました。いつものように散歩に行き、ご飯を食べ、おやつももらって嬉しそうに走り回っていたのに、あまりにも急で実感がわきません。授業に行く準備をしていた私のそばに寄ってきて、寝そべり、急に呼吸が荒く...
07/31/2026

今朝(7/31)、突然、ジョーが旅立ってしまいました。いつものように散歩に行き、ご飯を食べ、おやつももらって嬉しそうに走り回っていたのに、あまりにも急で実感がわきません。授業に行く準備をしていた私のそばに寄ってきて、寝そべり、急に呼吸が荒くなり、変だなと思っているうちに意識がなくなって行きました。急遽、授業をキャンセル・振替させて頂き(ご迷惑をおかけした生徒様達、申し訳ございません)動物病院に連れて行きましたが助けられませんでした。獣医さん曰く、体内で腫瘍が破裂して大出血を起こしたのであろうとのことでした。腫瘍は発見して手術をしていたとしても、助からなかったであろうと説明されました。

2020年4月、コロナの最中に、シェルターから「シェルターを閉鎖しないといけないので、しばらく預かってほしい」と我が家にやって来たのがジョー君でした。以来、6年と3ヶ月、私たち家族だけでなく宝学院のすべての生徒さん達に、大きな愛と癒し、幸せを与えてくれました。人間だけでなく、近所の犬、猫、狐、どんな動物に対しても優しくて、面白くて、おとぼけで、本当に良い子でした。ジョー君、ありがとう。また生まれ変わって、会いに来てね。

This morning, Joe suddenly passed away.

As usual, we went for our morning walk, he ate his breakfast, enjoyed his treats, and happily ran around. Everything seemed perfectly normal. It all happened so suddenly that it still doesn't feel real.

As I was getting ready to leave to teach my classes, Joe came over to me and lay down by my side. Suddenly, his breathing became labored. Before I could fully comprehend that something was terribly wrong, he began to lose consciousness.

I immediately canceled my lessons (my sincere apologies to all of my students who were inconvenienced by the sudden cancellation) and rushed him to the emergency veterinary hospital, but they were unable to save him.

The veterinarian told us that a tumor inside his body had most likely ruptured, causing massive internal bleeding. We were also told that even if the tumor had been discovered earlier and surgically removed, it probably would not have saved his life.

Joe came into our lives in April 2020, in the midst of the COVID-19 pandemic. The animal shelter asked us if we could foster him because they had to close the shelter. From that day on, for six years and three months, Joe brought immense love, comfort and happiness not only to our family, but also to every student at Takara Gakuin.

He was kind not only to people, but to every animal he encountered—dogs, cats, foxes, and every other creature in the neighborhood. He was gentle, funny, adorably goofy, and truly the sweetest boy.

Thank you, Joe, for all the love and joy you gave us. I hope that one day you'll be reborn and find your way back to us. We'll be waiting for you.

<卒業生Who’s Who?  #20>宝学院ハリソン校に通っていた頃から突出した英語力を発揮していたSちゃん。渋谷教育学園渋谷校に中2編入でスパッと合格して帰国してから、どうしているかなと思っていたら、今春、ハーバード、イェール、プリンス...
11/14/2025

<卒業生Who’s Who? #20>
宝学院ハリソン校に通っていた頃から突出した英語力を発揮していたSちゃん。渋谷教育学園渋谷校に中2編入でスパッと合格して帰国してから、どうしているかなと思っていたら、今春、ハーバード、イェール、プリンストンに合格し、「進学先で迷っています。アドバイスを頂けませんか」と連絡をくれました。トランプ政権が学生ビザの面接を停止した時期があり、心配していましたが、今年の9月から晴れてハーバード大のフレッシュマンに。彼女がこれからどんな風に世界に羽ばたいていくのか、楽しみで目が離せません。
********
このような機会をいただき、ありがとうございます。
私は現在大学1年生で、中学1年生の1年間宝学院NYハリソン校に通っていました。

小学4年生で初めて渡米した時は全く英語力がなく、アイオワ州の現地校に通う中で少しずつ英語を身につけていきました。日本への本帰国を意識し、中学1年生になったタイミングで帰国子女教育に力を注いでいる中高一貫校編入試験の受験を決心しました。

編入受験は受験者が少ない分野なため、SATとTOEFLを対策するクラスに入りました。宝学院での初めての思い出は、ジョージ先生に英語の文章を音読するように言われたことです。何を試されているのだろうかとドキドキしながら、とりあえず文章を読み始めたところ、ジョージ先生は「流暢に喋ろうとしすぎず、もっと丁寧に発音やフレーズを意識しなさい」とおっしゃいました。なんとなく英語に触れてきた私にとって、丁寧に言語を学ぶ、というのは新しい観点でした。

一番大好きだったのは、単語テストです。一週間少しずつ単語を暗記をしてその成果を一気にテストで発揮するという経験がとても楽しく、英語学習全体に対するモチベーションにも繋がりました。また、ログをつける経験も初めてで、勉強時間を管理する習慣をつけるきっかけにもなりました。

一年後、ジョージ先生・有理子先生のご指導のもと、渋谷教育学園渋谷中学校への編入を果たしました。中高では、テニス、ボランティア、英語ディベート、模擬国連など、心の惹かれるままに様々な挑戦をしました。中でも模擬国連の活動を通して、いつも側で応援をしてくれる先生方、部の仲間や先輩後輩、国内外で活躍されている社会人の方や、志を同じにする他校の友人との出会いに恵まれました。また、幅広い国際問題を学ぶ中で移民・難民問題への興味が芽生えました。

そして、法律家や政策立案者として移民問題に取り組む、という将来に憧れ海外大学への進学を決めました。受験の過程では、宝時代に愛用したフラッシュカードで単語を頭に叩き込み、最終的に進学先を決める際も、ジョージ先生・有理子先生に助言をいただきました。

現在はハーバード大学の1年生として、政治学・歴史学・社会学などを勉強しています。特に、アメリカの移民法を扱っている歴史学の授業が好きで、日本の移民制度との違いや変遷がとても新鮮です。授業外では、マーチングバンドやオーケストラ、海外で会議を運営するサークルに入っています。在学中は、新しい国に留学したり、新しい言語を学んでみたりなど、挑戦を続けて行きたいです。全く卒業後の進路は決まっていませんが、これからの4年間、多様な分野に触れて模索していきたいと思っています。

私の英語学習の原点となった宝学院、そしてジョージ先生・有理子先生(+ベラ)には感謝してもしきれません。教えていただいた、物事に丁寧にコツコツ取り組む姿勢を大切にこれからも精進していきます。
ジョージ先生・有理子先生、またお会いできる日を楽しみにしています!!

本日、宝学院は創立40周年を迎えました。コーネル大学で修士課程に在籍していた頃から、補習校の教え子数人をプライベートで教えていましたが、大学院卒業後の1985年11月3日、日本での文化の日にちなんで、Takara Tutoring Acad...
11/03/2025

本日、宝学院は創立40周年を迎えました。コーネル大学で修士課程に在籍していた頃から、補習校の教え子数人をプライベートで教えていましたが、大学院卒業後の1985年11月3日、日本での文化の日にちなんで、Takara Tutoring Academyという名称で塾を開設しました。1990年には結婚を機に、名称を「宝学院インターナショナル」と改め、以来、夫婦二人三脚で歩んでまいりました。

「中学生のためのサタデースクール」を開講していた頃には、4月から6月の3ヶ月間だけ、アメリカの病院に留学中の日本人医師の方々に授業をお手伝い頂いたこともございます。息子が生まれてからは、平日は午後2時ごろから夜9時〜10時まで、土曜日も朝から晩まで、息子の面倒を、高校生の教え子を含む数多くの方々に見て頂きました。
こうした数多くの皆様のご支援のおかげで、宝学院は今日のこの日を迎えることが出来ました。改めまして、皆様のサポートに心から篤く御礼申し上げます。

振り返りますと、昨今の流行りである「ワーク・ライフバランス」という言葉からは程遠い生活を送って来ました。授業優先で、我が子に犠牲を強いてしまっていた時期には、正直、悩みました。しかし、教え子たちが、大きく羽ばたいていく姿が、私たちに前進する力と勇気を与えてくれました。

今後、あと何年、教え続けることが出来るのか。ゆっくりでも長く歩き続けるために、これからは少しずつバランスの取れた生活を送ろうと努力中です。
皆様、引き続きまして、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
(写真は大切な友人であり、教え子でもある方が40周年に寄せて贈って下さったお花です)

<卒業生Who’s Who? #19> MSさんとは実に多くの思い出があります。アメリカ生まれ、アメリカ育ちで、日本に帰る予定がなかった彼女が、日本語を勉強する意義をなかなか見出せなかったのは無理もないこと。しかし、その後、日本の大学に進学...
02/23/2025

<卒業生Who’s Who? #19>
MSさんとは実に多くの思い出があります。アメリカ生まれ、アメリカ育ちで、日本に帰る予定がなかった彼女が、日本語を勉強する意義をなかなか見出せなかったのは無理もないこと。しかし、その後、日本の大学に進学し、卒業後は外資系の超一流企業に就職。自ら手を挙げたら抜擢されてアメリカ本社に転勤と、日本語と英語の両方が出来たからこそ、そして何より、人から愛される素晴らしい資質を持っていたからこそ、今のキャリアがあります。
*****
小学6年生〜高校3年生まで宝学院パラマス校に通っていた、MSです!

親は自営業で(リッジウッドの「魚丸」、覚えている方、いらっしゃいますでしょうか?)、アメリカ生まれアメリカ育ちの私は日本語を勉強する理由が分からす、幼稚部からずっと通わされていた補習校もあまり好きではありませんでした。小学校低学年までは、親に日本語で話しかけられても、私は英語で返事をしていました。

補習校や塾は、ご両親のお仕事の関係で一時的にアメリカにいる人達が、いずれ日本に本帰国する準備をするために行くためのもので、私には関係ない場所だと思っていました。ニュージャージーの比較的白人ばかりの街で育った私は、周りに溶け込みたくて髪を染めたり、日焼けサロンに行ったり、Abercrombie & Fitchの洋服を着たりして必死でした。自分が日本人であることに誇りが持てず、むしろ恥でした。

物心つく頃から現地校でも、補習校でも、そしてもちろん宝でも、決して優秀な生徒ではなく、テストが成績順に返却される場合は必ず最後でした。そんなダメダメの私にチャンスを下さったのがジョージ先生と有理子先生でした。客観的に見たらどう考えても成長しそうにない私、そして反抗期真っ只中の私と真剣に向き合い、指導してくださいました。先生のご自宅で教えて頂いたこともあります。

中学に入り、サタデースクールで友達が沢山でき、日本の音楽とアイドルの話題や、日本の雑誌を囲んで、毎週土曜日、「これぞ青春!」という楽しい日々を送りました。もちろん授業や宿題は大変で、他の生徒さん達に付いていくので精一杯でしたが、人生で初めて日本語への抵抗がなくなった時期でもありました。あれは宝マジック?だったのでしょうか。

ザタデースクール卒業後、仲間の生徒達の大半が日本へ帰国してしまい、とても淋しかった覚えがあります。平日の夜、現地校のテニスやチアー部の練習の後に宝に通い続けましたが、土曜日が急に暇になってしまいました。これまで散々「補習校辞めたい」、「宝辞めたい」、「日本語を勉強する意味ない」、「日本語嫌い」、「日本人嫌い」と言い続けてきた私が、なんと「また補習校に行かせて下さい」と親にお願いしたのです。土曜日に日本語で勉強をしたり、日本人の友達と過ごしたりしてきた私にとって、いつの間にか「土曜日は日本語の日!」になっていたみたいです。

大学受験の時期が来て、私のような成績とSATのスコアではまさか日本の大学に受かるはずはないと思っていたものの、ジョージ先生と有理子先生のお陰で国際基督教大学へ入学でき、2006年に無事卒業しました。初めての日本での生活はとても大変で、ホームシックになったり、カルチャーショックを受けたりと、何度も日本での生活を諦めてアメリカに戻って来そうになりました。でも、ここでもまた仲間に救われました。私と似たようなバックグラウンドの生徒が沢山いる環境だったので、何かと励まされました。日本での生活は勉強だけではなく、今まで夏休み中にしか会えなかった親戚との距離を縮めたり、自分のルーツである日本の文化をより深く知ることができたりしたことも、とても貴重な経験でした。

大学卒業後、英語と日本語を両方活用できる秘書としてモルガン・スタンレー証券の東京オフィスに入社しました。入社2年後、そして日本に引っ越してから6年となり、そろそろアメリカが恋しく思ってきた時に、マンハッタン本社への異動が決まりました。その後、IT系やメディア系の会社に転職し、あんなに勉強ができなかった私が、「私、ここにいて良いの?」と思うような企業で働かせて頂いています。職場でも、Asian Employee Resource Groupなどに積極的に参加して、アジア人、そして何より日本人であることにプライドが持てるようになりました。

大袈裟かもしれませんが、自分が日本人であることに対して誇りを持てるようになったこと、そして自分の日本語力に自信を持てるようになったこと、全て宝学院のお陰だと思っています。もちろん親の努力も半端なかったです。当時は日本語教育を押し付ける母を面倒臭いとしか思えなかった私は、今では感謝の気持ちでいっぱいです。Thank you for believing in me and never giving up on me.

<卒業生Who’s Who? #18>今回、登場して下さったO君も前回のHさん同様、宝学院サタデースクールの出身者です。8年生終了までに日本語の種を蒔いておくことが将来、必ず役に立つと信じて、子供達を指導していましたが、O君の人生が、それを...
02/15/2025

<卒業生Who’s Who? #18>
今回、登場して下さったO君も前回のHさん同様、宝学院サタデースクールの出身者です。8年生終了までに日本語の種を蒔いておくことが将来、必ず役に立つと信じて、子供達を指導していましたが、O君の人生が、それを見事に証明してくれました。素晴らしい文章をお寄せ下さいましたが、一点だけ訂正です。夏休み冬休みが宝学院の講習で埋め尽くされたことはないですよ(笑)。夏は20日間、冬は5日間でした。でも気持ち的には「埋め尽くされた〜!」と感じていたのですね(笑)。よく頑張りました!ハナマルです!写真は3点。3枚目は絵葉書かと見まごうほど。写真の腕もプロ級です!
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私は中学1年生から3年生まで、毎週土曜日と木曜日に開校されていた宝学院パラマス校に通っていました。
父の仕事の関係で、物心がつく前からアメリカで暮らしていましたが、家庭では日本語を話していました。しかし、日本語を勉強する意味を見いだせず、嫌々通っていた記憶が今でも鮮明に残っています。
現地校の友人たちが金曜日の放課後に遊んでいる間、私は土曜日の授業に備えて勉強。長期休暇も夏期講習や冬期講習で埋め尽くされ、「なぜ自分だけ2倍も勉強しなければならないのか」と納得できない日々でした。
しかし、大人になった今、その価値をようやく理解できるようになりました。
幼いうちに努力して身につけたことは、確かな土台となって活きること、そして、同じことを大人になってからやろうとすると、何倍もの労力がかかることも。また、自分が親になったことで、送り迎えの大変さも身に染みてわかるようになりました。車社会のアメリカでは、親の送迎が必須です。そんな環境の中、毎週、欠かさず通わせてくれた両親には、今さらながら深く感謝しています。
宝学院での思い出は、勉強だけではありません。
丸めた紙とペンでの室内野球に夢中になったこと。室内鬼ごっこでドアノブを壊してしまったこと。喧嘩をして壁に穴を開けてしまったこと。
廊下の奥には、当時の宝学院の愛犬でありマスコットでもあったMax君がいて、別室にはよく謙君がいたことも懐かしい思い出です。
中学3年までの課程を修了したことで、日本の義務教育はひと通り終えたことになります。日本の制度上は「中卒」ですが、アメリカでの教育と組み合わせたことで、国際社会で生き抜くための知識やスキルを身につけることができました。
その後、引き続きアメリカで生化学を専攻し、経済学を副専攻として大学に進学。
卒業間際に医薬品業界に興味を持ち、国を限定せずに就職活動を進めた結果、アメリカ企業の日本支社とのご縁が生まれ、東京での就職が決まりました。
家族も友人もいない日本での単身生活。
ほぼ初めて日本で暮らすことになった私は、日本へ「戻る」というより、「行く」という表現のほうがしっくりきました。
渡日直前にアメリカの紀伊國屋書店で購入した電子辞書を片手に、毎日何度も単語を調べながら過ごした日々を懐かしく感じます。
それでも、この時期を乗り越えられたのは、宝学院で築いた日本語の土台があったからこそ。
中学卒業以降、日本語を学ぶ機会はなく、大学4年間は寮生活だったため、日本語を話さない・目にしない週も珍しくありませんでした。
それでも、当時詰め込んだ知識が脳のどこかに残っていたおかげで、尻尾を巻いてアメリカに戻ることなく、日本でのキャリアを築くことができました。
現在は、がんをはじめとする深刻な病に対する次世代の抗体医薬品を患者さんに届ける仕事をしています。
日本国内にとどまらず、年に数回は海外へも飛び回っています。
これからも、国際的な視点を持ち、医薬品業界を通じて社会に貢献していきたいと考えています。
📷 写真1:記者のインタビューを受けるO君。
📷 写真2:ハドソン川とマンハッタンを背景に妻、長女、長男との家族写真。
📷 写真3:旅行や出張先で真剣に写真撮影をすることも。夜明け前のゴールデンゲートブリッジ。

<卒業生Who's Who? #17>「宝学院中学生のためのサタデースクール」は1990年〜2007年、宝学院のパラマス教室で毎週土曜日+木曜日に開校されていました。現地校に通う生徒さんが、現地校生活を第一に置きつつ日本語学習を進めていくに...
02/02/2025

<卒業生Who's Who? #17>
「宝学院中学生のためのサタデースクール」は1990年〜2007年、宝学院のパラマス教室で毎週土曜日+木曜日に開校されていました。現地校に通う生徒さんが、現地校生活を第一に置きつつ日本語学習を進めていくにはどうしたら良いのか、効率よく、密度濃く学んで頂くためのカリキュラムを常に考えながら、作り上げたプログラムでした。今回、登場して下さるHさんはサタデースクールの卒業生です。Hさんの文章を読み、私自身が仕事と子育てを両立させようと、無我夢中で過ごしていた当時のことを懐かしく思い出しました。(画像2枚目は、文中に出てくる作文です。)
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小学5年生から中学3年生までの思春期真っ盛りの頃を宝学院パラマス校で過ごしました。小学4年生で渡米した私は、英語が得意ではなく、週に2回、日本語で過ごせる時間が嬉しくて楽しくて…。塾用の筆箱の中身を揃えたり、通塾日に友達と手紙を交換したり、夏期講習中に友達の家で勉強会と称して集まっては遊んだりと、クラスメイトとの青春に全力でした。授業が早く終わった時に出してもらったジョージ先生手作りの積み木パズルや、先生方が小学生だった頃のお話など、授業以外の思い出も印象に残っています。また、教室の景色もよく覚えています。教室の隅にあった本棚に並ぶ本の背表紙、壁に貼ってあった掲示物。その掲示物の中に、私が書いた作文も貼っていただいていました。

現地校では、まだまだ英語が苦手で授業内容がすんなりと頭に入ってこない毎日を過ごしていた私にとって、日本語で作文を書くことは癒しでもあったと思います。作文を書くと、ゆりこ先生が赤字で添削して下さっていましたが、それ以上にゆりこ先生からの感想を楽しみにしていました。
そして、その壁に貼っていただいていた私の作文は、最初に読んだ時、ゆりこ先生が「涙が出た」と教えてくださったものだったのです。それは、将来の夢について書いた作文で、私は「お母さん」になりたいと綴っていました。小さかったけんちゃんが、私たちが授業を受けている間、空いている教室で待ってくれていた頃のことなので、今思うと、きっとゆりこ先生はご自身の子育てでもお忙しい中、授業をしてくださっていたのだと思います。
その作文は当時、読売アメリカにあった子どもたちの作文を掲載するコーナーに載せていただいたりもしたので、私にとっても心に残るものとなっていて、その後私はずっと「お母さんになりたい」と思ったまま大人になりました。
そして、そんな作文の写真を、今から9年ほど前にゆりこ先生が送ってくださったのです。もう何年も前の作文を今でも覚えていてくださったことも、それを画像でお送り頂けたということにも(我が家にはもうないかもしれません)感激致しました。

中学生の頃、年の離れた弟を妊娠した母の代わりに家事を少し手伝って、その大変さを知ったつもりになっていた私でしたが、「お母さん」になることも、そうであることも想像以上に大変でした。
長女妊娠の時には絶対安静となり入院していましたが、妊娠継続が難しかった為、1386gとまだ小さかった娘を産みました。ようやくその長女が小学校に入学してホッとしたら、乳がんが見つかり、もしかして「お母さん」でいられる期間は短いのではないかと不安になったり、治療の副作用で「お母さん」として振る舞うことができない日々があったり…
あの頃は、「夢がお母さんだなんて、誰にでもなれそうなものを答えて笑われる」と思っていた私ですが、母になること、母でいることは、想像以上に大きな夢でした。

さて、そんなこんなで色々ありながらも夢が叶った私は、その後、小さな教室を始めました。専門の音楽を中心に、英語を取り入れた子ども達を対象とした教室です。小さかったけんちゃんが、空き教室で待っていてくれたことは、もしかしたら、大人になってから、より鮮明に思い出したことかも知れません。預け先がなく、娘たちを施設内の空きスペースでベビーシッターさんに見てもらいながらレッスンをしていた時期があり、「もういっそ、一度教室を閉めようか」と思ったことがありました。そんな時にふと、空き教室で待っていたけんちゃんのことを思い出したのです。

私のお教室では本の貸し出しもしているのですが、それもサタデークラスで本を紹介しあった時間が頭に浮かんでのことでした。ぱっと頭に浮かぶことが今も沢山ある宝学院での日々を思い出す度に、我が子にもそんな場所との出会いがありますようにと願い、また自分自身も心に残る時間を提供できるようにと気持ちを引き締めています。
何より卒業してから何年も経つのに、こうして先生方と連絡を取り合えることも大変恵まれているなと思いますし、今も宝学院で目標に向かって頑張っている方々がいることは私にとって励みになっています。“卒業生Who's Who?” が更新される度、年代は様々ですが、同じ塾で学んだ方々が、やっぱり頑張って過ごされているのだなと元気と勇気を頂いています。そんな中このような機会をいただき、とても嬉しく、つい長々と書き過ぎてしまいました。

先生方も、そして、現役やOBOGの皆様も、日々目標に向かって力を尽くされていることと思いますが、くれぐれも健康には気をつけてくださいね。

今日、11月3日は宝学院インターナショナルの39周年の創立記念日です。1985年11月3日に開塾以来、指導生徒数は1743名となりました。今まで一緒に勉強してくれた生徒の皆さん、私たちを信じて大切なお子さんを託して下さった保護者の皆様、「中...
11/03/2024

今日、11月3日は宝学院インターナショナルの39周年の創立記念日です。1985年11月3日に開塾以来、指導生徒数は1743名となりました。今まで一緒に勉強してくれた生徒の皆さん、私たちを信じて大切なお子さんを託して下さった保護者の皆様、「中学生のサタデースクール」があった頃、お手伝いに来てくださった先生方、そして、宝学院の歴代ワンコ達、ありがとうございました。改めまして感謝申し上げます。
昨夜は卒業生の方が日本から訪ねて来て下さいました。ボストンから毎週、片道4時間かけてアムトラックでグリニッチ教室に通って下さった方です。こうした生徒さんの熱意に支えられて、私たちは歩いて来られたのだなと、改めて感謝の思いでいっぱいになりました。
写真は、生徒さん達の名簿カードを整理するための仕切りです。擦り切れて文字が読めなくなったので、新しいものに変えました。今日から40年目の日々が始まります。

<卒業生Who’s Who #16>アイビーリーグの名門校、U Penn大を卒業後、Washington D.C.でコンサルタントとして活躍するSNさん。2枚目の写真にあるように、彼女がNJで生まれた時からのお付き合いです。💕*****宝学...
10/02/2024

<卒業生Who’s Who #16>
アイビーリーグの名門校、U Penn大を卒業後、Washington D.C.でコンサルタントとして活躍するSNさん。2枚目の写真にあるように、彼女がNJで生まれた時からのお付き合いです。💕
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宝学院の皆様、こんにちは。高校から単身渡米し早9年、DCで仕事とテニスを頑張っているSNです。

私は両親がNJ留学時代にアメリカで生まれました。母と有理子先生が小学校時代からの親友だったことから家族ぐるみで仲良くしていたようで、両親の在米時代に生まれた私は、ジョージ先生と有理子先生とはお腹の中にいた頃からのお知り合いということになります!生後3か月で両親と共にいったん帰国したものの、その後も家族で渡米した時など先生方とお会いする機会も多くありました。ご長男の謙くんは小さかった私と妹を喜ばそうと紙飛行機投げをして遊んで下さるなど、家族で過ごした楽しい思い出がたくさんあります。

しかしながら家族ぐるみで仲良しという先生との関係は、私が中学の最終学年の時に変化して「先生と生徒」になりました。私は日本でインターナショナルスクールに通っていたので英語は堪能(と勝手に思っていた)だったものの、将来自分の英語力をどのように活かせば良いのか悩んでいました。そんな時、有理子先生がアメリカにはボーディングスクールという寄宿学校があるので、そこからアメリカの大学進学を目指すことを考えては?と提案して下さいました。競争的かつ文武両道が評価される環境に身を置くチャンスに私はすぐに興味を持ちました。とはいえ日本で生まれ育った私と両親は、ボーディングスクールの実際も知らず、受験の準備も分からず、出願手続きはどうしたらいいの?と、何も知らない状態でした。そこで私は宝学院の生徒になって、学校選びや学校訪問のノウハウを一からご指導いただきました。と同時に、ジョージ先生にはTOEFLとSSATを、有理子先生からは文法や願書のエッセイ指導を受け始めました。

当時通っていた日本の小さなインターナショナルスクールではそれなりに成績が良く、地元の日本人友達からは英語を褒められ(今から思えば井の中の蛙)、自信満々の私だったのですが、、、TOEFLやSSATでは知らない単語が次々に出て来るし,模擬試験の点数も全然取れない現実に愕然としてしまいました。しかし意気消沈する間もなく、ジョージ先生と有理子先生にビシバシ鍛えられて必死でついてゆくしか無いうちに、徐々に成績が伸び始めました。

とはいえ、全てが順調に進んだ訳でもありません。宝学院の宿題、願書書き、学校の宿題が積み重なるにつれ、プレッシャーに苦しみ自分を追い込むようになりました。そして、ついにプレッシャーに耐えられず単語テストでズルをしてしまった時のことです。すぐにお見通しになられたジョージ先生に叱られたのは当然ですが、その時に先生は「手を抜いたら今までの努力は実らないし、将来への自信にも繋がらないよ」と諭して下さいました。私は、先生が生徒を想う心に対する自分の有り様を恥じました。そして私は改心し、単語帳に真摯に向き合い、間違えた問題は必ず復習するようになりました。渡米して夏期講習に参加させて頂いた時には、グリニッチ教室の帰りの先生の車で爆睡してしまう程、毎日必死で勉強に励みました。

目標に向かってコツコツと努力を続けた結果、第一志望校(Blair Academy)への合格が決まりました。努力は報われるのだ、これからもとにかくコツコツ頑張れば、何事も達成できるはず!という気持ちが強くなりました。例えばBlair Academyで、日本では習ったことの無かったアメリカ史に苦労した時も、宝学院での日々を思い出し、歴史の先生に積極的に質問したり、過去問から要点を類推したりすることで勉強を進めました。また、ボーディングスクールは学校内に住んでいるという時間効率の良さを活かして、授業が終わったらクラブ活動(テニス、水泳、ソフトボール、サックス演奏)にも積極的に参加しました。
Blair Academyはアットホームで温かい高校でしたので、大学では全然違う世界へチャレンジしようと(競争社会に耐える練習?!)アイビーリーグのペンシルベニア大学へ進学することにしました。コロナ禍もあり、なかなか大変でしたが、なんとか無事に卒業出来、就職も志望したコンサルタント業に就くことが出来ました。

この10年を改めて振り返ってみますと、淡く遠い夢だったアメリカの大学への進学を叶えられたのは、やはりジョージ先生と有理子先生の愛情深いお導きのお陰だったなあと感謝の気持ちで一杯になります。改めましてジョージ先生と有理子先生、本当にありがとうございました!そして、現生徒の皆さま、「今」の努力は「将来」の自分に必ず繋がります。夢と目標は高く持ち、それに向かってコツコツ努力することで夢は叶えられます。めげそうになることもあると思いますが、どうぞ気持ちを強く持って頑張って下さい。応援しています!

<卒業生Who’s Who? #15>スポーツ万能だったD君。NYCの大学を2023年に卒業し、現在は世界的に展開している総合コンサルティング会社で働いています。掲載した写真は、研修終了後、わずか1ヶ月でミュンヘン出張に行った時のものだそう...
09/22/2024

<卒業生Who’s Who? #15>
スポーツ万能だったD君。NYCの大学を2023年に卒業し、現在は世界的に展開している総合コンサルティング会社で働いています。掲載した写真は、研修終了後、わずか1ヶ月でミュンヘン出張に行った時のものだそうです。
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私は高校のsophomoreの時に、初めてNYに引っ越してきました。その前にも海外経験があったため、正直英語にはあまり困ることはありませんでした。それでも、環境に慣れることや友達をつくることには精一杯努力した覚えがあります。高校卒業までの3年間を振り返ると、とにかく興味を持ったものには、物怖じせずになんでも挑戦していました。挑戦することに、英語力は関係ありません。サッカーの試合の審判、学校のフェスティバルでのボランティア、サマーキャンプでの活動。とにかく色々なことに挑戦して、色々なことに触れ、いろんな人と出会う。国際色豊かなNYで得られる新しい発見や出会いは無限にあります。私はそれによって、高校時代を通じて自分の世界観が広がったと感じますし、その中でアメリカの大学に進学したいという思いも芽生えました。

宝学院では、大学受験に向けてSATやTOEFL対策を始め、common applicationのエッセイやカレッジエッセイなど、幅広い範囲を手厚くご指導頂きました。結果的には、SATのMathセクションで満点を取ることができましたし、common applicationのエッセイも深みがあり満足のいく文章を作り上げることができました。ジョージ先生にSAT mathを「早く解きすぎるな」と何度も注意してもらったり、有理子先生と一緒に自分が納得するまでcommon application のエッセイを何度も何度も書き直したりしたことは、今でもすごく心に残る思い出です。

しかし、それ以上に、自分を一番助けてくれたと思うのが、ジョージ先生と有理子先生がいつも熱心におっしゃる「単語」だと思います。大学進学前、私の一番の課題はTOEFLの点数を上げることでした。前述の通り、私はNYに来てから英語に困ることはありませんでした。けれどもそれは、あくまでも高校での課題を英語でこなしたり、友達と思うように会話したりすることあって、TOEFLを受けるとなると話は全く別でした。

渡米後初めて受けたTOEFLで自分の思っていたような結果が出ず、コテンパンにされて家に帰った時の悔しさを今でも覚えています。それからは、英語がある程度喋れるからというプライドは捨てて、ひたすら単語を覚えて、TOEFL対策に本腰を入れました。知っている単語が多ければ多いほど、聞き取れる会話も増えるし、書ける文章の質やレパートリーも格段に増えます。ジョージ先生と有理子先生のご指導のもと、宝学院を信じて、コツコツと単語を覚えていくことによって、TOEFLの点数も見違えるほどに向上しました。結果的には、先月卒業したNYのマンハッタンにある大学から、高額のメリットベースの奨学金を頂き、入学することができました。

単語勉強の効果は、それだけではありませんでした。大学に入ってからは、エッセイは当たり前のように書くことになると思います。それも複数の授業でのエッセイを同時進行で仕上げて行くのです。さらに私はビジネススクールに通っていたので、とにかくレポートやプレゼンテーションの量が多かったです。私は留学生として在籍していましたが、留学生だからと言って甘やかされることはありません。大学に入れば、皆が同じステージに立ち、対等に活動して行くのです。しかし宝での単語勉強のおかげで、いざ大学に進学してからも、自信を持って学業に励むことができました。英語を書くにしろ、話すにしろ、単語は必ず助けてくれます。知っている単語が多ければ多いほど、自分の考えの伝え方の幅が広がり、質も高まります。
単語は常に自分の味方をしてくれます。単語が皆さんを裏切ることは絶対にありません。

単語勉強は、とにかく継続が大事です。宝に入って最初のうちは、高校の課題や課外活動などに追われて、単語勉強の時間をとることが難しいかもしれません。私も課外活動や部活動に打ち込みながら高校生活を過ごしていたので、最初の頃は、いざ単語の勉強をするとなると、疲れすぎてしまっていたり、学校の課題に追われてしまったりで、単語勉強を自分のスケジュールに組み込むことが難しかったのを覚えています。しかし、1日5分でも10分でもいいので、単語カードを見ようと努力しました。朝起きてからすぐの5分、夜、寝る前の10分。少ない時間でも、継続し続ければそれがルーティンとなり、効率よく単語の勉強を自分のスケジュールに融合させることができるようになります。

単語の勉強で身についた継続性は私生活にも好影響を与えてくれます。朝起きてから本を読むこと、ジムでトレーニングをすること。これらも最初は自分の日課として組み込むことに苦労しました。でも、とりあえず本を開く、とりあえずジムに足を運ぶ。とにかく少しずつ時間を作り、回数を重ねることで、自然と自分のルーティンと化していくようになりました。

宝では勉強のみならず、人として大切な事も学びました。それは、ともすると忘れてしまう、「挨拶」です。「挨拶なんて簡単だ」と思うかも知れませんが、慣れないと案外難しいものです。アメリカでは、待っていても友達は簡単にはできません。自分から話しかけないと、輪は広がらないし、誰も手を差し伸べてはくれません。学校で友達を見かけた時や教授の講義が終わった後、私は自ら進んで挨拶することを心がけていました。それによって、友達からは「こいつ、いつも話しかけてくれる、いいヤツだな」と思ってもらえるし、教授からは「この子は愛想がすごくいいな」と好印象をもたれます。そうすれば、人が寄ってくるようになります。笑顔で挨拶されて嫌がる人なんて、そう簡単には見つかりません。4年間の大学生活を今振り返ると、私は挨拶を心がけたことによって、友達にも、環境にも恵まれ、充実した大学生活を送ることができたのかなと思います。挨拶は人望を集めてくれます。

高校時代の宝での経験は、大学受験のみならず、大学進学後も私を支えてくれました。大学を卒業した今は、コンサルティング会社に就職し、現在はIT関連のグローバル案件に従事し、多国籍なクライアントの方々とコミュニケーションをとりながら仕事をしております。宝学院での勉強があったからこそ、やりがいを感じながら充実した日々を過ごせていると感じます。

宝学院は、ジョージ先生と有理子先生が、私の自信を支える土台を一緒に作ってくれた大切な場所です。
後輩の皆さんもSATやTOEFLなど、点数が伸びずに悩むことも多いかと思います。それでも、努力はあとで必ず実りますし、宝で培うことができるであろう忍耐力や継続力は、大学のみならず、社会人生活や私生活にも必ずポジティブな影響を及ぼしてくれます。ですので、焦らずに頑張ってください。応援しています!

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