体感!!とちぎの文化財~見て 聞いて 触れて 香って おまけに食べて・・・あなたの「いいね!」はなんですか?~

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体感!!とちぎの文化財~見て 聞いて 触れて 香って おまけに食べて・・・あなたの「いいね!」はなんですか?~ 栃木県文化振興課が運営する公式Facebookページです。
◆HP「とちぎの文化財」https://bunkazai.pref.tochigi.lg.jp/

とちぎの文化財、知っていますか?
豊かな歴史や文化は、栃木県の魅力の一つです。

このページでは、栃木県文化財課の職員が、本県の文化財に関する様々な情報を発信します。
本ページの運用方針をご一読いただき、内容に同意の上、ご利用ください。
◆運用方針
http://www.tochigi-edu.ed.jp/center/bunkazai/Facebook運用方針.pdf

+*゚。*。゚*+ 体感!!とちぎの文化財応援団 第十期団員募集 +*゚。*。゚*+ いつも「体感!! とちぎの文化財」をご覧いただきありがとうございます! みなさんの「いいね」に支えられて、「体感!! とちぎの文化財」は、開設10年目を迎...
18/08/2026

+*゚。*。゚*+ 体感!!とちぎの文化財応援団 第十期団員募集 +*゚。*。゚*+

 いつも「体感!! とちぎの文化財」をご覧いただきありがとうございます!

 みなさんの「いいね」に支えられて、「体感!! とちぎの文化財」は、開設10年目を迎えます。
 そして応援団は現在第九期。63名の団員のみなさんに「いいね」や「シェア」、さらにはタイムリーな話題を提供していただきながらフェイスブックを応援していただいています。

 その応援団ですが、今回第十期団員を募集することになりました!!とちぎの文化財や歴史に興味がある方、一緒にとちぎを盛り上げていきませんか? もちろん県外にお住まいの人もOKです!

 団員のみなさんにお願いするのは、「FBで発信して欲しい文化財等の情報や写真」などを寄せていただいたり、「いいね」やシェア、知人への紹介により、「体感!! とちぎの文化財」のPRをしていただいたりすることなどです。
 
 団員のみなさんと文化財を巡る「リアルに体感!! 現地交流会」の開催も予定しています。
みなさんそれぞれの方法で「とちぎの文化財」を盛り上げてもらえるとうれしいです!

 新たに団員になっていただいた方には、団員証、専用名刺、缶バッジを差し上げます。

 第十期の委嘱式は、委嘱式を令和8(2026)年9月29日(火)午後1時30分から大谷コネクト( 大谷観光周遊拠点施設)で委嘱式を行う予定です。さらに、委嘱式終了後に現地交流会を開催し、カネホン採石場や大谷奇岩群などを見学する予定です。ぜひ御出席ください。

 お申し込み締め切りは9月15日(火)です。たくさんのご応募をお待ちしています!

■詳しくはこちら
URL https://www.pref.tochigi.lg.jp/c10/kouhou/kouhou/20260818_ouendnannbosyu_migisita.html

■お申し込み・問合せはこちら
 栃木県 生活文化スポーツ部 文化振興課 文化財保護担当
TEL:028-623-3424
e-mail:[email protected]

【「子安地蔵和讃」が今夏、城興寺で蘇ります!】 安産・子育てで知らされる芳賀町下延生の城興寺(延生地蔵尊)には、芳賀町指定の文化財である銅造地蔵菩薩坐像やムクロジュの樹などがあります。銅造地蔵菩薩坐像には宝暦4(1754)年に作られた銘があ...
06/08/2026

【「子安地蔵和讃」が今夏、城興寺で蘇ります!】

 安産・子育てで知らされる芳賀町下延生の城興寺(延生地蔵尊)には、芳賀町指定の文化財である銅造地蔵菩薩坐像やムクロジュの樹などがあります。銅造地蔵菩薩坐像には宝暦4(1754)年に作られた銘があり、歴史的に貴重な仏像です。また、境内にそびえるムクロジュの樹は、高さ25mを超える巨木で、「子が患わない(無患子・ムクロジュ)」に通じる安産・子育ての縁起木として親しまれています。

 今回は、この城興寺(延生地蔵尊)について、地域の歴史や文化を研究されている方から興味深いお話を伺いましたので、皆さまに御紹介します。
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 栃木県東部、芳賀郡茂木町の尾軽集落には、少なくとも100年以上の歴史がある「子安地蔵和讃」が伝承されてきました。かつては集落の女性たちが月に一、二度集まり、この和讃を優しく唱和する温かい風習がありましたが、この風習は時代の流れの中で一度は途絶えてしまいました。
 「伝統の唄を未来へ繋ぎたい」という一心で、この和讃を今も唄うことができる集落の女性(95歳)にヒアリング調査を行った結果、この和讃は芳賀町下延生の城興寺(延生地蔵尊)の僧侶から伝えられたものだったということが分かりました。

 現在、和讃の伝承元である城興寺(延生地蔵尊)の関係者や下延生地域の方々の協力により和讃を継承する取り組みがスタートし、その第一歩として、地蔵盆の縁日にあたる「8月24日の正午」、地蔵尊のご開帳に合わせて子安地蔵和讃の奉納が行われます。
 また、当日は口伝で守られてきた和讃の歴史の説明や現代語訳資料を用いた解説も行われます。
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時を超えて蘇る温かな祈りの声に耳を澄ませてみませんか。

【子安地蔵和讃奉納 概要】
日時: 8月24日(月) 正午〜(地蔵尊ご開帳に合わせて奉納)
場所: 城興寺(延生地蔵尊)境内(栃木県芳賀郡芳賀町下延生1641)
内容: 子安地蔵和讃の奉納、現代語訳資料を用いた解説
見学: 予約不要・自由見学

【M.O】

🏮那須烏山市の「山あげ祭」開催中✨ 400年以上の歴史を誇る烏山の「山あげ祭」 一番の見どころは、全国的にも珍しい絢爛豪華な野外歌舞伎舞踊です。竹枠に特産の烏山和紙を張り、山水を描いた「はりか山」をバックに、常磐津の三味線と唄にのって美しい...
25/07/2026

🏮那須烏山市の「山あげ祭」開催中✨
 
400年以上の歴史を誇る烏山の「山あげ祭」
 
一番の見どころは、全国的にも珍しい絢爛豪華な野外歌舞伎舞踊です。竹枠に特産の烏山和紙を張り、山水を描いた「はりか山」をバックに、常磐津の三味線と唄にのって美しい踊りが披露されます。
 
昨晩の演目は、迫力ある大立ち回りで知られる名作「将門(忍夜恋曲者)」!
 
【あらすじ&見どころ】
平将門の滅亡後、怪異の噂がある相馬の古御所を訪れた大宅太郎光國の前に、京の遊女「如月」と名乗る美女が現れます。しかしその正体は、父の遺志を継ぎ一族の再興を狙う将門の娘・滝夜叉姫。光國に将門の最期を語られ、思わず流した涙と落とした形見から正体を見破られた姫は、ついに妖術を発動! 巨大なガマガエルを召喚し、光國と激しい立ち回りを繰り広げる迫力満点のストーリーです。
 
夜の公演は、昼とはがらりと雰囲気が変わる情景も魅力のひとつ。暗闇の中に浮かび上がる幻想的で美しい舞台には、思わず引き込まれてしまいます✨
 
公演が終わった後の鮮やかな撤収作業も見逃せません。あれほど大きな舞台や山を、若衆たちが息の合った動きであっという間に解体・片付けしていく姿は圧巻!
 
祭りは今日26日(日)まで、烏山地区の中心市街地で開催されています。ぜひチェックしてみてください。
 
◆関連リンクはコメント欄をご覧ください。

(T.S)

☆とちぎいにしえの回廊 特集ページ☆【祈りと熱狂の営み~受け継がれる心、とちぎの民俗文化財~】 私たちの暮らしの中で受け継がれている年中行事や民俗芸能等の「民俗文化財」は、日々の営みのなかで地域の人々が大切に守ってきた「生活の歴史」そのもの...
22/07/2026

☆とちぎいにしえの回廊 特集ページ☆
【祈りと熱狂の営み~受け継がれる心、とちぎの民俗文化財~】

 私たちの暮らしの中で受け継がれている年中行事や民俗芸能等の「民俗文化財」は、日々の営みのなかで地域の人々が大切に守ってきた「生活の歴史」そのものです。
 近年、ライフスタイルの変化や少子高齢化によって地域コミュニティの繋がりは薄れつつありますが、そうした厳しい状況のなかでも、数多くの魅力的な祭り、絢爛豪華な屋台や山車が練り歩く行事、そして獅子舞等の民俗芸能が県内各地に受け継がれています。
 今、改めてそれらに触れ、そこに込められた祈りや知恵に思いをはせることは、私たちのアイデンティティを確認するだけでなく、未来へつないでいくためにも大きな意義があるのではないでしょうか。
 この度、HP「とちぎいにしえの回廊」に県内の年中行事や民俗芸能等を紹介する特集ページを新たに設け、今日、その第一弾として以下の3つを公開しました。コンテンツは今後順次追加する予定です。
みなさん、ぜひご覧ください。
○烏山の山あげ行事(那須烏山市)
○鹿沼今宮神社祭の屋台行事(鹿沼市)
○河井のささら(茂木町)

■HPとちぎいにしえの回廊 特集  祈りと熱狂の営み~受け継がれる心、とちぎの民俗文化財~ 
https://www.inishie.tochigi.jp/special-folk.html

「徳次郎智賀都神社夏祭り」が開催されます。 みなさん、おはようございます。 今回は、Facebook「体感!! とちぎの文化財」応援団員の井上俊邦さんより「徳次郎智賀都神社夏祭り」についてレポートをいただきました。 早速御紹介しましょう。(...
20/07/2026

「徳次郎智賀都神社夏祭り」が開催されます。

 みなさん、おはようございます。
 今回は、Facebook「体感!! とちぎの文化財」応援団員の井上俊邦さんより「徳次郎智賀都神社夏祭り」についてレポートをいただきました。
 早速御紹介しましょう。(M.O)
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 宇都宮市徳次郎町では3年に1度7月第4土曜日に本祭りが開催され、町内の西根、田中、門前、上町、中町、下町の6集落から彫刻屋台が繰り出します。
 この6台屋台は江戸時代後期から明治時代にかけて作られたもので、宇都宮市の民俗有形文化財に指定されています。また、この夏祭りは宇都宮市の地域遺産の「みや遺産」に認定されています。
 各集落から繰り出された彫刻屋台は100を超える提灯を飾り、威勢のよい祭り囃子を響かせながら日光街道を巡行し、20時ごろには「日本一の夫婦けやき」と呼ばれ、県指定文化財の「ケヤキ」がある智賀都神社の境内に繰り込みます。すべての屋台が境内に揃うと「ぶっつけ」と呼ばれるお囃子の競演が行われ祭りは最高潮に達します。

日 時  令和8年7月25日(土)

屋台巡行 宇都宮市徳次郎町内日光街道

屋台集合 智賀都神社 宇都宮市徳次郎町2478
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【🌲日光杉並木街道を守る “杉の並木守(ボランティア)”🌲】こんな道、栃木県にあったんだ。ここは日光杉並木街道。1625年の植樹開始から、昨年で400年。幾世代もの時を越え、歴史を今に伝え続ける道です。その荘厳な景観を支えているのが、“杉の...
02/07/2026

【🌲日光杉並木街道を守る “杉の並木守(ボランティア)”🌲】

こんな道、栃木県にあったんだ。
ここは日光杉並木街道。1625年の植樹開始から、昨年で400年。幾世代もの時を越え、歴史を今に伝え続ける道です。

その荘厳な景観を支えているのが、“杉の並木守”による草刈りやゴミ拾いの活動。
愛着を込めた一つひとつの丁寧な手仕事が、この静かな道を守り続けています。

次の100年へ。新たな歴史を紡いでいく。
この活動に、あなたも参加してみませんか?

▶詳しくはこちら
https://www.pref.tochigi.lg.jp/c10/education/bunkazai/suginamiki/namikimori.html 

(H.S)

文化財保護のための資金調達・活用セミナー―多様な文化財の資金調達方法と実践事例に学ぶ―✨開催のお知らせ✨ 栃木県には、豊かな自然と歴史の中で育まれてきた数多くの文化財があります。しかし、その保存や活用に当たっては、補助制度を活用しても文化財...
01/07/2026

文化財保護のための資金調達・活用セミナー
―多様な文化財の資金調達方法と実践事例に学ぶ―
✨開催のお知らせ✨
 
栃木県には、豊かな自然と歴史の中で育まれてきた数多くの文化財があります。しかし、その保存や活用に当たっては、補助制度を活用しても文化財所有者の負担が大きく、修理や活用に踏み出せない場合があります。
 
こうしたことから、栃木県では、文化財の魅力や価値への理解を深めるとともに、地域資源として活用を促進し、地域に支えながら次世代へ継承していくことを目的として「とちぎの文化財を地域で支えるしくみづくり事業」を実施しています。
 
この度、本事業の一環として、多様な資金調達手法や、県内での取組事例、資金調達の実践的なノウハウをご紹介するセミナーを開催します。
 
\こんな方におすすめ/
• 文化財の修理や、公開等の活用のための費用確保に悩んでいる方
• クラウドファンディングに興味があるが始め方が分からない方
• 実際の成功事例や工夫を知りたい方
 
文化財所有者や保存活動に携わる方はもちろん、地域の文化財の保存・活用に関心のある皆
さまのご参加をお待ちしています。
 
〇 主催:栃木県
〇 日時:令和8(2026)年7月29日(水)13:30〜16:00
〇 会場:栃木県庁東館講堂(栃木県宇都宮市塙田1-1-20)
〇 対象:県内所在の文化財の所有者・保存団体、文化財に関心のある方、県内市町担当者
〇 チラシhttps://www.pref.tochigi.lg.jp/c10/bunkazaihogo/documents/20260624163644.pdf
〇 お申し込みはこちら
https://forms.microsoft.com/Pages/ResponsePage.aspx?id=Onm0aYWZOUe2g3W5FInThi4noOn_Qx1Il8b7eUE34ZJUN1lPREdaREFIMDI1MERSSDU1RVFXOE9WQS4u

【とちぎの山車-泉町の山車 諫鼓鶏-」 みなさん、こんにちは。 今回は、栃木市教育委員会事務局文化課さんから4月の「とちぎの山車」に続いて、「泉町の山車 諫鼓鶏」についてレポートをいただきました。 早速御紹介しましょう。(M.O)*****...
01/07/2026

【とちぎの山車-泉町の山車 諫鼓鶏-」

 みなさん、こんにちは。
 今回は、栃木市教育委員会事務局文化課さんから4月の「とちぎの山車」に続いて、「泉町の山車 諫鼓鶏」についてレポートをいただきました。
 早速御紹介しましょう。(M.O)
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栃木市指定有形民俗文化財
「泉町の山車 諫鼓鶏」復元プロジェクトに向けたクラウドファンディング始動
~150年を翔ける「諫鼓鶏(かんこどり)」を次世代へ~

 みなさん、栃木市で隔年開催している「とちぎ秋まつり」の山車巡行に登場する江戸型人形山車を全てご存じでしょうか。
 栃木県指定の「とちぎの山車」6台と栃木市指定の山車3台があり、豪華な彫刻が施された高欄や幕で彩られた山車の一番上に、三国志の劉備玄徳(りゅうびげんとく)や日本神話の日本武尊(やまとたけるのみこと)などの人形が、吉祥・徳・忠義・武勇などの象徴として乗っており、小気味よいリズミカルなお囃子とともに巡行する姿は圧巻です。

 英雄や人の姿をした神様の人形のなか、「諫鼓鶏(かんこどり)」は唯一、鶏の姿です。
 この鶏は古代中国の伝説に由来する『天下泰平』の象徴であり、山車の制作は江戸末期あるいは明治初期と考えられ、100年以上経過している大変貴重なものです。

 所有者の泉町自治会にとって「宝」である「諫鼓鶏」は大切に継承されてきましたが、人形部分の「諫鼓鶏」の経年劣化と使用による劣化がかなり進み、本格的な修理を必要とする状態です。
 修理は制作当初の状態に近づける復元を目指しており、2年かけて実施する大がかりなものです。泉町自治会の力だけでは困難であり、様々な方の応援をいただければとクラウドファンディングに挑戦することとなりました。

★「泉町の宝」=「栃木市の宝」を次世代へつなぐための本格的修理とクラウドファンディングへの挑戦

 修理は鹿沼市の彫工師、黒崎孝雄氏と文星芸術大学総合造形専攻の先生・学生とがタッグを組んで行います。
 泉町で保管していた制作当初に近いものと考えられる「尾羽根」を黒崎氏が調査したところ、構造、使用されている材料、修理の痕跡等が明らかになってきました。貴重な文化財である「諫鼓鶏」について、修理を通して歴史も解明しながら進めたいという泉町の熱い思いが込められている一大プロジェクトです。
 クラウドファンディング挑戦にあたり、県の“とちぎの文化財を支えるしくみづくり事業”によるアドバイザーを派遣していただき、準備をしてきました。
 「泉町プロジェクトページ」で詳細を掲載しています。
ご覧いただければ幸いです。

泉町プロジェクトページと令和6年度とちぎ秋まつり特設サイトは、コメント欄のURLからご覧いただけます。

日光の社寺に訪れた危機と、それを救った人々 みなさん、突然ですが、世界遺産「日光の社寺」には、国宝や重要文化財の建造物が何棟あると思いますか? 10棟? 50棟? それとももっと? 正解は、国宝9棟、国重要文化財94棟、合わせて103棟! ...
19/06/2026

日光の社寺に訪れた危機と、それを救った人々
 みなさん、突然ですが、世界遺産「日光の社寺」には、国宝や重要文化財の建造物が何棟あると思いますか? 10棟? 50棟? それとももっと?

 正解は、国宝9棟、国重要文化財94棟、合わせて103棟!
 これほど多くの貴重な建造物が1か所に集まっているのは、全国でもたいへん珍しいことです。さらに、「日光の社寺」は建造物だけでなく、その境内地が国の史跡に指定されています。

 今では世界に誇る文化遺産として多くの人々を魅了する「日光の社寺」。
 前回ご紹介した、明治11(1878)年に日本を旅した英国人旅行家イザベラ・バードも、その著書『日本奥地紀行』の中で日光の美しさを絶賛し、「日光を見ずして結構というなかれ」という言葉を引用して紹介しており、海外からの旅人をも魅了するほどの壮麗さを誇っていました。

■ 幕府の庇護が失われ荒廃の危機に
 しかし、明治維新は、日光の社寺に大きな転機をもたらしました。
 江戸時代、日光は徳川家康を祀る東照宮が置かれた、幕府の威信を象徴する場所でした。幕府によって当時最高の技術による修理や維持管理が行われていましたが、幕府の崩壊によってその庇護は失われます。
 さらに、明治維新後の文明開化の急速な進展は、日本古来の伝統文化を「旧物」として軽視する社会風潮を生みました。
 イザベラ・バードが日光を訪れた頃、日光の社寺は荒廃の危機に直面したのです。そして、その危機から救おうと立ち上がった人々がいました――。

■ 地元の人々らが立ち上がり「保晃会」を結成
 この状況を憂い、地元の有志や旧幕臣たちが明治12(1879)年に「保晃会」(ほこうかい)を設立しました。初代会長は、東照宮宮司を務めていた松平容保(かたもり)。幕末の会津藩主として知られる人物で、明治維新後は日光の社寺を守るため尽力しました。
 保晃会は「日光山祠堂ノ壮観及ヒ名勝ヲ永世ニ保存セン」と、全国に会員を派遣して募金活動を開始、その結果、明治19(1886)年までに1万1千人以上の賛同者が集まりました。
 賛同者の中には、英国外交官であり中禅寺湖畔に別荘(現在の「英国大使館別荘記念公園」の建物) を建てたアーネスト・サトウなど、外国人の姿もありました。
 日光の価値は、すでに国際的にも認められていたのです。

■ 勝海舟が揮毫した「保晃会之碑」
 保晃会の活動を顕彰して明治25年(1892)年に建てられた「保晃会之碑」が、今も日光の社寺の一角に残っています。
 碑文は旧幕臣の勝海舟によるもので、海舟自身がその苦労を次のように語っています。
 「しかし日光はやや規模が大きいから、欧米の土地を踏んで来た人に見せても決して恥ずかしくない。将来きっと繁昌するだらうヨ。土地の人も、繁昌すれば火事の恐れがあると思って、先年数萬坪の公園を作ったが、石碑は、その公園の真中にあるのだ、字も文も皆おれの手際だ、字体は竹添などが調べてくれたが、書き馴れぬ字だから、中々骨が折れたヨ。石は石の巻の産だが、こんな大きな石は決して他にはないさうだ、特別の汽車で送ったのだが、建立までには確かに七千人も人夫を使ったであろうヨ。人間の力も集めると大したものサ。(かくて碑面の石摺を示さる。その大きさは十畳の座敷に溢る。)」 (『海舟先生氷川清話』より。一部の漢字を平仮名にして記載しました。)

■ 国による文化財保護、そして現在へ
 その後、社寺の保護に国が乗り出しました。明治30(1897)年、「古社寺保存法」が制定されると、日光には国・二荒山神社・東照宮・輪王寺よって日光社寺修繕事務所が設置され、専任の技士による修理が行われるようになりました。
 こうした保存の取組は、現在の(公財)日光社寺文化財保存会に受け継がれています。

■ 受け継がれる伝統技術
 (公財)日光社寺文化財保存会が守り続ける「建造物彩色」「建造物漆塗」の技術は、令和2(2020)年にユネスコ無形文化遺産「伝統建築工匠の技」として登録されました。
 日光の社寺は、歴史的な建造物だけでなく、日本の伝統技術を未来へつなぐ場としても重要な役割を果たしています。

◇HPとちぎの文化財
国選定保存技術 建造物彩色・建造物漆塗(ユネスコ無形文化遺産) ※リンクはコメント欄にあります。

(T.S)

イザベラ・バード、栃木をゆく~日記でたどる明治の旅路~ 先週は、明治初期に英国人女性旅行家イザベラ・バードが宿泊した日光市の「金谷侍屋敷(旧金谷カッテージイン)」をご紹介しました。 ☆関連記事「明治の日光を旅した女性 イザベラ・バード」 ※...
17/06/2026

イザベラ・バード、栃木をゆく~日記でたどる明治の旅路~
 先週は、明治初期に英国人女性旅行家イザベラ・バードが宿泊した日光市の「金谷侍屋敷(旧金谷カッテージイン)」をご紹介しました。
 ☆関連記事「明治の日光を旅した女性 イザベラ・バード」
 ※リンクはコメント欄にあります。
 
 バードは関東・東北・北海道、そして関西へと旅をし、その記録をまとめた『日本奥地紀行』を後に出版しました。この著作は欧米で大きな話題となり、日本への関心を高めるきっかけとなりました。とりわけ彼女が絶賛した日光は、観光地として広く知られるようになります。
  
 今回は、そのバードが日光へ向かう際に通ったと考えられる明治初期の街道と、沿線に残る文化財について、少し深く掘り下げてご紹介します。
 
◇ バードの旅程 ― 東京から日光へ
 バードは明治11(1878)年6月10日、東京を人力車で出発し、粕壁(春日部)、栃木、今市にそれぞれ一泊しながら日光へやってきます。
 東京から粕壁までの道のりについては、「道は二台の馬車が並走できるだけの幅があった」、「幹線道路に沿って村がほぼ連続的に続く」と綴っています。さらに、利根川は「たくさんの旅人」や馬、人力車と一緒に舟で渡ったそうですから、東京から栗橋で利根川を渡るまで日光街道を北上してきたと考えてよいでしょう。
 そして、栃木から日光までは「私がとった例幣使街道沿いには」と記していますので、道筋は明らかです。

◇ 謎は “利根川を渡ってから栃木まで”
 ところが、利根川を渡ってから栃木へ至る道筋がはっきりしません・・・。可能性があるルートは次の3つになりそうです。
■Aルート 日光街道を北上し、小山で思川を渡り、栃木へ向かう(明治15(1882)年に森鴎外が栃木にやってきた時の道筋)
■Bルート 野木で日光街道から分岐し、下生井で思川を渡り、巴波川沿いに北上する(当時 “栃木道” と呼ばれた脇街道)
■Cルート 古河から西へ進んで思川を渡り、藤岡・富田を経て栃木へ向かう(『日本奥地紀行』を翻訳した金坂清則氏が想定している道筋)
 
◇バードの記述から読み解く “3つの手がかり”
 そして、バードの道筋を推理する上での主な手がかりは・・・
① 「遠くの方には低い山々がぼうっと霞んで見えた」
② 「東京との間に蒸気船が通行しているある村のところで別の川を渡船で渡り」
③ 「水田が少なくなり、木々や家屋・納屋が大きくなり」、「うどんの原料になる小麦は多くがすでに運ばれている」
というものです。
 
 ①は、A・B・Cいずれのルートにも当てはまりそう。
 ただし、「低い山々」が太平山を指すとすれば、Cルートはその近くを通るため、「ぼうっと霞んで見えた」という表現とはちょっと合いにくいでしょう。
 
 ②はどうでしょうか。
 当時、思川には蒸気船が行き交っていました。バード来日の前年、明治10(1877)年5月には内国通運会社(日本通運(株)の前身)の外輪式蒸気船 “通運丸” が東京深川扇橋-生井村(現東京都江東区扇橋-小山市下生井)間に就航し、同年8月には乙女村(現小山市乙女町)まで延伸しますが、これより思川の上流に遡ることはありませんでした。
 このため、渡河地点の小山に蒸気船の往来がないAルートは候補から外れます。
 
 なお、現在の思川は下生井から約1km南東を流れていますが、これは明治43(1910)年の洪水を契機とした治水事業により新水路が整備されたためです。
  
 最後に③です。
 この記述からは、水田中心の風景から畑作地帯へと変化したことが読み取れます。
 台地上を進むCルートは、この記述とよく合致します。
 
 一方、Bルートは、巴波川沿いで水田地帯と考えられがちですが、明治17~19(1884~1886)年作成の “第一軍管区地方2万分1迅速測図” を見ると、ルート上の下生井~新波~小林では水田より畑が多く分布しています。
 これは、洪水による土砂堆積で形成された微高地(自然堤防)があるためです。また明治10(1877)年の記録では、稲作や畑作とともに蚕(かいこ)の種(卵)を生産する蚕種業が盛んであったことが分かります。バードが見た大きな家屋や納屋は、もしかしたら蚕種の作業場がある農家だったのかもしれません。

 さらに、Bルートは、当時 “日光山近裏道(にっこうさんちかうらみち)” と呼ばれた脇街道で、明治10(1877)年の記録によると、下生井渡船場には年間3万7,960人、馬5,475頭、人力車6,205台、荷車1,095台が往来し、蒸気船の船着場も備えていました。当時の重要な交通路であったことがうかがえます。

 では、イザベラ・バードはB・Cルートのどちらを通ったか?
 これについては決め手がありませんが、栃木へ向かう最短経路という点、そして、「低い山々」の見え方という点からすれば、Bルートに軍配があがるでしょうか?
 
「 」内は金坂清則訳注『完訳 日本奥地紀行Ⅰ』から引用しました。
 
(T.S)

住所

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320-8501

電話番号

028-623-3421

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