学校法人 徳山中央幼稚園

学校法人 徳山中央幼稚園 思春期を見通した対話的実践保育

先日の草引きの後、保護者の方に畑に実った、夏から秋の贈り物を収穫して頂き持って帰ってもらった。その際、よくみると、私たちと同じように頂かれている方の姿が見えた。なるべく食事の邪魔をしないように、声まで小声になり、動作までも慎重になった。思わ...
25/08/2026

先日の草引きの後、保護者の方に
畑に実った、夏から秋の贈り物を
収穫して頂き持って帰ってもらった。
その際、よくみると、私たちと同じよう
に頂かれている方の姿が見えた。
なるべく食事の邪魔をしないように、
声まで小声になり、動作までも慎重
になった。
思わず、飛び立ったひとに『ごめん』と
声をかけた。
他方、草刈りの休憩中ふと木の根元に
目が向いた。すると、あるはあるは。
いるはいるは。抜け殻が。、、、、
こうして、夏しか知らないセミが、命を
つなぐため懸命に生きた時間の痕跡を
私に知らせてくれた。
思わず、ご苦労さまと声をかけた。
それにしても、草引きは芋のつるの生育
を願う行為だ。同時に、それ以外の草
をいらぬ命だとする行為なのである。
無花果。私、大好きなんですの声
嫌いな人にとっては、無理ですの声
それぞれ人は、区別・比較しながら
生きている存在ですね。
もうすこしすると、このイチジクを頂きに
スズメバチさんが、寄ってくる。
私たちの、正しさとは。
私にとっての、正しさとは。

今日と昨日で、50人弱の保護者の方が芋畑の草取りにおいでいただいた。両日とも、天候に恵まれ汗をかくことができた。 それにしても暑い。自分の年齢がそうさせるのかと常々思うがどうやら、地球全体の高温が影響していることは、間違いないらしい。 厄介...
21/08/2026

今日と昨日で、50人弱の保護者の方が
芋畑の草取りにおいでいただいた。
両日とも、天候に恵まれ汗をかくことができた。
 それにしても暑い。自分の年齢がそうさせる
のかと常々思うがどうやら、地球全体の高温
が影響していることは、間違いないらしい。
 厄介なのが、この問題の解決策を誰も
持っていないということだ。戦争もそうだ。
 どんなに、生成AIが答えを紡ぎだしても
するのは、為すのは、行動するのは私だ
人間だ。感じるのは、AIではない。
 この文章を書きながらも、枠の下では
AIを使って書くと表示されている。
 草引きは、引かれる草の匂い。引き抜く
時の、根が抜かれることを拒否する声の
響き。跳ねる土、土煙。など決してAIでは
感じることのできない視覚・聴覚・触覚・味
覚・嗅覚。自然は、五巻を通してしか感じ
ることができない人間の人間たる所以だ。
つまり、これを
 現実との生々しい格闘と呼ぶ
両日参加してくださった方、ありがとう。
今日参加、昨日お手伝いありがとう。
諸事情あって、これなくて言えなくて
参加の心をもって下さった方有難う。
忘れていることを、思い出して下った方
有難う。さあ、もうすぐ二学期が始まる。
明日に向かって、ともに歩みましょう。

夏休み中の預かり保育、子どものあくなき探求心が一層広がり深くなる。セミの抜け殻を集める子ども、クマゼミを捕まえ、おなかの甲冑に興味を持つ子。クマゼミ、アブラゼミ木々の合間に泣き続ける声に耳を傾け、網を掲げる子。届かない木の高さに、先生の応援...
12/08/2026

夏休み中の預かり保育、子どものあくなき探求心が
一層広がり深くなる。セミの抜け殻を集める子ども、クマゼミ
を捕まえ、おなかの甲冑に興味を持つ子。クマゼミ、アブラゼミ
木々の合間に泣き続ける声に耳を傾け、網を掲げる子。
届かない木の高さに、先生の応援を要請する声。
 二連の滑り台のふちに足をかけ、登りきる面白さを感じ、
何度も挑む子。泥団子づくりに励み、木陰の涼しさに包ま
れながら黙々とやり続ける子どもの姿 等々。
 今日も一人一人に生きるドラマがある。決して、生成
AIで計れるものではない。どこまでも、AIは二感の世界しか
把握できない。人は、5感+2感の7感でその環境を受け取り
自分でしかない経験の履歴を辿る。
 今、幼児期に育てるべきは どこまでも体験という身体の印
を育むべきにある。この過程で、知識や技能が身についてくる。
面白がろう、楽しもう。残念がろう、悲しもう。辛がろう。
これら、すべてが現実のと格闘の中で人の、子どもの血や肉と
なる。
 次の時代、この先導役となる動機が、『好きと得意』だ。
今日も、今も、子ども一人一人の生きるドラマがここにある

みんなが楽しみにしていたお泊り保育。夜のキャンプファイヤーで歌った園の歌『あしたに向かって』を大合唱した。お泊り保育への願いは、子どもが非日常の大きな段差を自分自ら超えていこうとする意欲を心を育てることにある。その心は、お化け迷路は楽しいけ...
21/07/2026

みんなが楽しみにしていたお泊り保育。
夜のキャンプファイヤーで歌った園の歌
『あしたに向かって』を大合唱した。
お泊り保育への願いは、子どもが非日
常の大きな段差を自分自ら超えていこ
うとする意欲を心を育てることにある。
その心は、お化け迷路は楽しいけれど
怖い。カレー作りは、うまく切れないか
もしれないけど食べるために、やってみたい。
飾りの風鈴は、描いた虫はどう使われ
るかは分からないが、みんなと一緒に
創るのが楽しい。夜の花火や踊りは、
暗いらしく不安だが暗いから面白い
かも知れない。みんなで作ったカレーは
辛いかもしれないが、美味しく食べたい
花火の後、見に来てくれたお父さん
お母さんあ姉ちゃん弟と、別れて
なきゃならない寂しさ。
親と離れて寝る寂しさと、友達と寝る
嬉しさ。安心できる自分の教室で寝る
ことと朝起きた時の家ではない風景。
これら、すべての事柄は子どもの身体
心頭に二律背反=矛盾=どうしたら
を自分で抱え、自分で越えようとする
超えた紛れもない体験と言える。
卒園児に聞いても、このお泊り保育は
身体に刻まれる大きな身体のしるしと
なっている話をよく耳にする。
本園は、子ども達に身体心頭に揺れ
を引き起こさせ、自分の心と相談し
決め行動表現し、環境を変化させ
新しい環境を創造させる子どもの育
ちの過程を一緒に創ろうとしあている
あしたに向かって 自分の限り
今、ここにいること。君といること、、
本園の願いを汲み取り、園の歌として
作っていただいた二本松はじめ先生に
感謝したい。命の限り♫~
届けさせようと

今年も、お泊り保育のカレー作りに使う木を のこぎりで切る活動を行った。本当に難しい作業を、子どもと一緒にすすめた。何が難しいか。それは少し間違えば、ケガをするということだ。同時に、力の加減を考えつつ力を入れて引くことでしか切れないという矛盾...
13/07/2026

今年も、お泊り保育のカレー作りに使う木を 
のこぎりで切る活動を行った。
本当に難しい作業を、子どもと一緒にすすめた。
何が難しいか。
それは少し間違えば、ケガをするということだ。
同時に、力の加減を考えつつ力を入れて
引くことでしか切れないという矛盾に向き合う
心を調整することだ。文字通り二律背反を
身体と心と頭で調整する自分づくりの環境
づくりなのである。
ここで、はっきりせねばならぬことがある。
それは、のこぎりを使わせることに目的がある
のではない。目的は、お泊り保育を楽しむため
の手段としてのこぎりで木を切ることに向き合う
ことだ。
幼児期の遊びは、~したいという思いが目的だ。
そのための手段が、砂であり水であり土である
のこぎりである。この結果として、思考力・判断力
表現力といった諸能力が後から追いかけてくる
流れだ。ややもすると、目的が手段となって
子どもの成長発達が、停止してしまういわば
やる気を失ってしまうことになる。
成長発達の原動力は、やるきだ。したいだ。
これから、生成AI時代が益々加速度化される。
その時代に合って、ますます重要なのが、
AIは、私に代替えできないということだ。
それにしても、この のこぎりの映像はすごい。
何が、、、、、、、

先週の土曜日、例年の家族参観日を行った。雨の中、登園するのはうっとうしい天候だった。しかし、雨の降る園内だからこそ日頃関わらない自分の子どもの姿を、他者との関係や園の他の環境との関わりの様子がより鮮明に見えたと思う。 朝の会や、親子で作る製...
07/07/2026

先週の土曜日、例年の家族参観日を行った。
雨の中、登園するのはうっとうしい天候だった。
しかし、雨の降る園内だからこそ日頃関わらない
自分の子どもの姿を、他者との関係や園の他の
環境との関わりの様子がより鮮明に見えたと思う。
 朝の会や、親子で作る製作は非日常の一つだ
子どもは、園という環境の中での親子関係の表現
を示してくれ、我が子の家庭では見せない姿を見る
ことができたはずだ。
こうして、様々な時間と空間と仲間(人)・風
色・光・匂い・人間が創り出せるものそうでないもの
等々、様々な環境に関わり子どもは変化させ変化
させられいつの間にか心と体と頭の育ちを獲得する。
 併せて、この機会に日頃お話ができないお父さん
向けのプレゼンを私の方から行っている。又、こんな
本に出合っていただくと良いと様々なジャンルの本も
紹介した。
 本園の目指す子どもの姿である『思春期を見通
した対話的教育実践』を、共に育ち合う親と共に
AI時代を踏まえ考え合う時間とさせていただいた。
共に悩みましょう。共にありましょう。
時代と絡めて伝えた。

40年前から、毎年この時期行っている歯科検診。こうした行事も、子どもの身体と心と頭をジャンプさせる成長のチャンスとなる。1つは、自分の健康を支える歯の具合を日頃の食生 活との関係で意識できる。2つは、何をされるかは、頭ではある程度想像できる...
29/06/2026

40年前から、毎年この時期行っている歯科検診。
こうした行事も、子どもの身体と心と頭をジャンプさせる
成長のチャンスとなる。
1つは、自分の健康を支える歯の具合を日頃の食生
 活との関係で意識できる。
2つは、何をされるかは、頭ではある程度想像できるが
 いざ自分事となると、先生のミラー器具が口に当たる
 と違和感がある。さらに、ピンセットで歯を掴まれぐらぐら
 状態を確かめられると恐怖心が増す子もいる。
3つは、それを『待つ』時間の緊張。ちゃんとしないと、、、
 大きくなった自分だから。ちょっぴり怖いけれども~する
 などと、心の揺れを自分で調整し受診しようとする自分
 の心と向き合わねばならない。
これら、3つの成長チャンスを経験として与えることも、本園
の『自分づくりの教育課程』にも大きく連動する。
 教育は、自分からしようとする発達への願いと
先生の側からの発達して欲しい願いとの接点において
成立する。
 何気ない、こうした検診も日頃関わらない人=歯科医
の先生との関わりも、人との関係を学ぶ上でも重要だ。
待つことでの緊張感と終了した解放感との行き来が、
子どもの身体と心と頭のフル回転を誘い、成長を促します。

23/06/2026

題名 『生活を数える』
給食弁当と呼ぶ昼食準備。年長さんが
クラスの今日の出席人数を聞き、当番の
仲間と数え合う場面だ。
一人が一生懸命数え、他の子どもの声と
共に、頷きつつ数唱に注意を向けている。
先生は、この姿をみつめつつ声をかける
数を数える場面や量に触れる場面は、どこにも
誰にもある。
ただ、一斉に講義型で授業の様に進めることはない。
何故なら、幼児は教え込む指導(援助を含む)
を続けようとすると意識的にその問いに向き合おうと
する興味は、続かない。それが幼児期なのだ。
しかし、ミニ小学校的な幼児教育はなくなっていない。
何故か。小学校教育が、幼児教育と同義語だと
考える教育者がいるからだ。
この背景に、幼児教育はどの発達段階にありどうして
遊びを中心とした教育であるのかを深く問えていない
からだ。
2つめに、育てる大人自身が、子どもでないため
子どもの面白さが分からず、育ての意味を自分が受けた
小学校以降のできる・分かるを基軸にした評価基準
しか持てないからだ。
3つめに、通わせる保護者自身も幼児教育の意味を
のびのび・協調性・無意識他者攻撃・言葉育ちなどと
抽象的にしか捉えられておらず、わかるのは、自分が受
けた小学校以降の、教科教育という分かりやすさの経
験値依らざるを得ない範疇を抜け出せないからである。
4つめに、ようやく文科省が取り上げた架け橋期と称する
年長の1年間と一年生の2年間の接続を具体的に
しようと投げかけたのが、4年前くらいからで、浸透には
かなりの時間を要する。
などなど枚挙にいとまがない。
いずれにしても、幼児期の数や量概念は、映像にある
生活を通して関わり、自分のものとして理解する方途
が幼児教育の意味するところだ。
言葉変えれば、自分の生活の必要感と面白さに動機
付けられ、経験を通して学びを深める時期なのである。
先日の懇談会でも、ポケモンが好きであっという間に
カタカナが読めるようになった保護者の方の報告。
絵とカタカナ文字で、自分の推しのアイテムを知らせようと
表現するまでに、、、、
自分の弁当を数えたいがために、数理解の一つである
『一対一の対応』を難なくクリアーしようとしている絵だ。
最後に、したい行動は「繰り返しの行為・思いを必然とする』
先日の、志賀先生の講演でもあったが。
繰り返しは、気づきの深まりを必然とする、、、
 『遊びは学び、学びは遊び、やってみたいが学びの芽』

水曜日、25年目を迎えた二本松はじめ先生とのつながり遊びうたの集いを、行うことができた。先生の歌と言葉による、子ども親を優しく心地よくつなぐ絶妙な進め方に、いつも感動する。何度繰り返しても温かいぬくもりに包まれる。今年は、園の歌を作っていた...
19/06/2026

水曜日、25年目を迎えた二本松はじめ先生との
つながり遊びうたの集いを、行うことができた。
先生の歌と言葉による、子ども親を優しく心地よく
つなぐ絶妙な進め方に、いつも感動する。
何度繰り返しても温かいぬくもりに包まれる。
今年は、園の歌を作っていただき3年目だが子ども達
が思わず口ずさんでくれる生活があって、心の響き合う
歌声となっていることを嬉しく思う。
年齢ごとのステージの最後に、いつも響き合う
夢わかばの曲。
僕らは生まれてよかったよ。僕らを生んでくれて
ありがとう ^^♪の歌詞を歌うたびに、私の声は
途切れてしまう。
今の日本を取り巻く景色は、どこかの為政者の
物言わさぬ空気に引っ張られ、平気で子どもをあや
める正しさを振りかざすことを、なかったことにする
雰囲気に映る。
子ども達が、心からこの国に生まれてよかった。
この親のもとに生まれてよかった。
この園に、通えてよかった。
先生や友達。他の保護者の方に出合えて
よかった。と思えるそんな国を。園を。親を。
子どもを。共につくっていく一人でありたい。
それでなくとも、思うようにならぬことだらけの現実
と向き合い懸命に生きている。
 二本松先生!私たちのつながりを歌と、ぬくもりで
包んで頂き有難うございました。幸せな時間でした。

42回目の子育て講演会を、6月6日(土)に行うことができた。演題は、小学校教育と幼児教育の接するところと題し、於福小学校教頭の志賀先生にお話を頂いた。 参加者は、福岡県から現役の小学校の先生。先生を目指す、高校生とその父。隣の小学校の校長先...
11/06/2026

42回目の子育て講演会を、6月6日(土)に行うことができた。
演題は、小学校教育と幼児教育の接するところと題し、於福小
学校教頭の志賀先生にお話を頂いた。
 参加者は、福岡県から現役の小学校の先生。先生を目指す、
高校生とその父。隣の小学校の校長先生。行政のアドバイザー
の先生。卒園児の保護者。小学校の生活指導員の方々、志賀
先生の教え子。周南市内の幼稚園の先生。本園保護者等々、
多様な人たちが集っていただき感激した。
 その内容は、小学校教育の教科学習が、面白さという動機付
け及び、分かりたい知りたいを誘発する環境をどう構成するのかと
いう幼稚園教育との相似形にあることを具体的に、先生の動画
実践の中にも盛り込まれ伝えていただきた。
 その際、重要な点が3つあると思えた。
1つは、子ども考える力を育むための『問いかけ内容の質』だ。
2つ目は、子どものしぐさ・発言・雰囲気から予見される気持ちの
汲み取りをして、肯定的意味をつけて子どもに伝えるということ。
3つ目は、子どもが引き起こした戸惑いを、知識や内容を教え
諭す回路で解決しようとする従来の教授型の教育から脱皮し
子ども自身が、答えの発見気付き深まりを試行と錯誤を展開
する調整役としての先生の役割についてだ。
私は今、1つ目の問いかけの内容に深い興味を持っている。
問い詰めではない、問いかけられ思わずワクワクしながら答えよ
うとし、思考が広がり高まり深まる子どもの育ちを支えるために
私はどんな関わりができるがの古い垢を落とそうとしている。
来年の講師は、どなたにしたらよいかを考える夏がやってくる

住所

3-18/22
Shunan-shi, Yamaguchi
7450807

アラート

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