08/10/2025
そして現在、芸術学研究所とともに発掘調査に従事しているのが、ダルヴェルジンテペです。とくにここに紹介したDT-1、DT-25(発掘場所の番号)からの出土品はそのほんの一部とはいえ、よく知られています。
立正大学が関わることとなった調査トレンチのひとつ、DT33は城壁角ですので、このようなバクトリア~クシャン期の出土品は期待できませんが、それはこの町と外部との攻防を示す証左を提供してくれるに違いありません。それは都城の歴史をよりあきらかにするかもしれません。
またもうひとつのDT40は、現段階ではササノクシャン期の層(と思われる)を掘っています。したがって、ここに紹介したようなバクトリア、クシャーンの盛時の遺物の土層ではありません。ここは何百年も人びとが生活していた都市遺跡なので層序(土層の構成)がきわめて複雑です。ある時期の都市の平面構造さえよくわかりません。それを読み解くのは容易ではなさそうですが、歴史学的には興味深い課題です。
ウズベキスタンの考古学者たちが取り組むこの難題に、我々がどのような協力が出来るのか、そしてどのような議論ができるのか楽しみです。成果にご期待ください。
07/10/2025
次にズルマラ仏塔周辺での発掘品について紹介しましょう。
実はそれはこの仏塔が本来どのような姿をしていたのかと言う問題につながっています。これについてはスワート地方(現パキスタン)の仏塔が参考になるという示唆を、その分野の専門家の加藤直子さんからいただいたことがあります(写真2枚)。2019年のズルマラの写真からも、塔の周囲をぐるっと装飾がほどこされていた痕跡がうかがえます。この点では現アフガンのカブール周辺(例えばShevaki、リンク参照)の仏塔も共通しているでしょう。いずれも3~5世紀の建築で方形基壇で円筒形なので、ズルマラ仏塔の年代もそのくらいかその後になるはずです。ところが通説通りのカニシュカ1世だとすれば2世紀(諸説あるが)の建築ということになってしまうわけですね。さてどう解釈するのか。実はテルメズ大学が単独で現在の保全作業直前に緊急発掘と称して、仏塔直下を掘ってますので、それを知る手がかりがあったはずですが情報がありません。
なお、ズルマラ仏塔は日干しレンガで、スワートやカブール周辺では石材を使用していて、そこは決定的に違います。またプガチェンコワは、ズルマラの仏塔は日干しレンガで構築され、外観は石灰岩の化粧石で飾られていたとしています。テルメズ考古博物館所蔵のコーニス(建築装飾)はその一部の可能性があるというのです。ただ先述のように仏塔の上部は日干しレンガのままでも他所の意匠と近似している可能性が高いので、石灰岩の装飾は塔の上部を完全には覆っておらず基壇部分を中心に装飾していたともおもわれます。
崩壊が始まっていた塔が近年保護されたことは素晴らしいことです。
ただ修復の際に盗掘孔をミフラーブ状に仕立てたのは違和感があります。仏塔の意匠としては理解できなくもないですが、ここにつけるべきものでしょうか?また根拠無く塔の正面(階段をつけた方角)を決めてしまったのも納得できないところです。仏塔の階段がどこにどのように設置されていたかは、塔と周辺建築との関係や建築様式・年代を示す重要な指標で、当時の礼拝様式への理解にまでおよびます。同様に階段を2つつけていることも理解できません。なお遺跡は、立正大とテルメズ大の合同発掘調査によって現在の地表面より下に2m程度埋まっている可能性があきらかとなっています。その発掘の知見はいかされているのでしょうか?
ウズベキスタンはここ数年で急速に豊かになりつつあります。外国人がたくさん訪れる観光地化をすすめるのであれば、一時的な観光客誘致や投資を目指すのではなく、同国の考古学者や美術史家の養成に力を入れ、学校や博物館にもっと投資し、より細部を理解する人を増やす必要があるのだと思います。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ghalegay #/media/File:Shingerdar_stupa.jpg
https://kparchaeology.gkp.pk/abba_sahib_cheena.php
Conservation of Stupa of Shewaki
https://www.aliph-foundation.org/en/projects/conservation-of-buddhist-era-built-heritage
06/10/2025
さてカラテペからの出土品の紹介をつづけます。芸術学研究所と立正大学は2014年~2017年に協力してカラテペ北丘の発掘をすすめました。北丘は3世紀以降に僧院と仏塔を中心に建築され、その後も何度か拡張されたと思われます。当初、発掘を手がけたのは、ここもソビエト-ウズベク考古隊でしたが、ウズベキスタン独立後、芸術学研究所と加藤九祚らが掘り進め僧院と仏塔の姿が現れたようです。2014年から立正が協力した発掘場所は、盛時には外側の回廊だったとおもわれる場所ですが、出土状況からみると廃寺の後に、破損した彫像など雑多なものがまとめて放り込まれた様子でした。詳細は報告書をご覧ください(報告書には英語・ロシア語訳付属)。
出土品として目につくものに、多数出土した石灰岩製の彫像や建築意匠の一部があります。これらは直前の記事に示したものと同種の様式であり、カラテペ北丘寺院の盛時の壮麗さとそれを支えた宗教と権力の関係をうかがわせる一級資料といえます。カロシュティ文字バクトリア文字の墨書も同様です。
とりわけ壁画は目を引きます。おそらくこれだけ多量の壁画や断片が出土したのはテルメズの仏教遺跡の発掘史上でも画期的なことです。インド・パキスタン方面からのみならずより西方からの文化伝播の痕跡もうかがえます。ところがこれらは先般おこわれたフランス、ドイツなどの展覧会では全く紹介されていません。しかもここに紹介したのは、ほんの一部なのです。残念ながら立正側は、これらが現在どこに保管されているのかさえ知りませんが(写真のほとんどは発掘時にすぐに撮影したものです)、ささやかながら作業の一端に協力できたことには誇りをもっています。
今後もこうした文化遺産の調査を続けるため、ウズベキスタン共和国自体が、自国の研究教育により多くの資金・時間・人力を投入し、その複合的で多様性を包含した歴史文化の一端をあきらかにしてくれることに期待しています。
05/10/2025
そしていよいよカラテペとその出土品の一部を紹介します。カラテペは南丘・西丘・北丘の構築物によって構成されています。丘をくりぬいて造った石窟様式(南・西、2-3c)から中庭を有する僧院様式(北、3-5c)へとこの地の仏教建築が推移していく様子をみることができます。写真は本学調査隊によるドローン撮影によるもので、写真上が南丘・右中が西丘、下が北丘です。右中に白いバン(車)が写っているのでその広大さがわかります。建築様式からアムダリヤ対岸のアフガニスタン・パキスタン・インドでおこった潮流が次々と導入されていった様子がうかがえます。20世紀前半から長いこと、ウズベク・ソビエト考古隊の発掘や調査がおこなわれ新しいことがわかってきたわけです(写真に1964年刊の報告書表紙)。
なお、2011年から2013年には韓国国立文化財研究所が、当地の芸術学研究所と協力して南丘の一部を発掘、180枚近い貨銭を発見しています。貨銭の種類や出土場所から、南丘の仏塔がソーテルメガス期かそれ以後の建立、カニシュカ1世の時代に隆盛であったこと、3世紀末にここが使用されなくなった可能性が推測されています。
出土物は写真4点(ウズベク・ソビエト考古隊の発掘による)に絞ります。金色の仏頭はモスクワのロシア東洋美術館蔵。ガンチ(粘土漆喰)に色や金箔をつけたのでしょうか。石灰岩製の天部やカルラの類も多数出土していて、建物のあちこちを飾られた壮麗な寺院がおもいうかびます。仏塔の上部を飾るハルミカ(傘蓋の根元)も出土しています(以上、国立歴史博物館蔵)。
04/10/2025
カラテペ、ズルマラの近くの遺跡からの出土品の紹介をします。
おそらく最も著名なのはファヤズテペ(1~3世紀の仏教寺院)から出土した三尊(主尊と左右の脇侍、3体の仏像)と複数の壁画です。国立歴史博物館所蔵です。発掘した考古学者アリバウムは、惜しいことに報告書を刊行することなく、亡くなっています。現状の修復を一見して困惑するのは、出土状況や歴史・宗教的考察をどの程度反映したのかはうかがえないことです。
この修復は、ユネスコ文化遺産保存日本信託基金によっておこなわれ、フランスと日本の遺跡修復技術者が関わっていて、経過を示した資料が複数残っています。またどのように日干しレンガをつくれば適切かなどを実験した過程もわかります。外見で仏塔にみえるのは保護塔で、小さな窓から中に入ると、実際の仏塔をみることができるよう工夫されています。
2025年現在さらなる手をくわえるべく作業がおこなわれていましたが、ズルマラ仏塔と一連の作業のようにみうけられます。観光しやすいよう「きれいに」修復してしまっているようにみえますが、前提として徹底した歴史的な考証がなされるべきだったでしょう。2025年から公式に遺跡の周辺に柵をもうけ、入り口で料金をとるようにしたようです(それ以前に料金をとられた人がいるとすれば非公式な者によるものでした)それは遺跡保存の観点からよいとは思いますが、今般の作業にともない、ユネスコ日本信託基金のプレートも剥がされてしまったらしいのは残念です。
最近、名古屋大学の影山悦子先生をはじめとした国際チームがサマルカンドの考古学研究所などに保管されていた壁画の修復をされ、当時の鮮やかな色使いや壁画の配置、描かれた仏塔の様子などをうかがうことができるようになりました。
書影を利用したのは、”Fayaz Tepa : Surkhan Darya region Uzbekistan”CRATerre-ENSAG, 2006
※書影の写真の遠くにみえる青い屋根(仏塔基壇の保護屋根)がカラテペ北丘です。
03/10/2025
直前の記事で古テルメズを紹介しましたので、カンピュルテペ(Kampirtepe)を紹介しようとおもいます。写真は本学調査隊が許可を得てドローン撮影(委託)したものです。場所は直前の記事の地図をご覧ください
カンピュルテペは、グレコバクトリア時代以前のアムダリヤの渡河地点に近く古テルメズより前から繁栄していたとされます。河道の変化のせいか、クシャーン期に入る前に放棄され、地域の中心は古テルメズとなったようです。
現在、遺跡の眼下に広がる緑は、畑(稲作ふくむ)ですが、湿地であったのをソ連時代に干拓したもので、実はグレコバクトリア時代には眼前にはアムダリヤが流れていました。この遺跡は崖上にあり崖下に降りると、この地形が河によって削られてできたこと、またここが河港であったことが推測できます。雄大な印象深い遺跡です。手前で城壁の修復をしていますが、やり過ぎないことを祈ります。
ここは、ウズベキスタン科学アカデミー芸術学研究所の故Edvard Rtveladze先生が長年、発掘調査をされていた場所でロシア語の報告書が何冊か刊行されています。Rtveladze先生は、ダレイオス3世を殺害したベッソスを追ってこの地にやってきたアレクサンドロス大王軍の足取りを、この地域を歩きまわり史料を渉猟し遺跡を調査して、あきらかにされました。帯谷先生の訳書(残念ながら絶版)は必見です。前の地図のシェラバッドダリヤ沿いにカンピュルテペー鉄門を結ぶルート(現在のM39に近い)がそれです。最後の写真は、アレクサンドロス大王軍だけでなくその後に玄奘、クラビホらが通過した鉄門(Iron Gate)です。
このカンピュルテペでは、日本隊の調査活動もありました。東北大学の芳賀満先生を中心に、Jangar Illyasovさん、古庄浩明さんなどが発掘作業に従事されました。
02/10/2025
カラテペ(Karatepe)、ズルマラ仏塔(Zurmala)、ダルヴェルジンテペ (Dalverzintepe)と紹介してきたわけですが、このあたりから何が出土しているのか、地図を使いながら少し紹介してみましょう。
まずは、テルメズ考古博物館が現物を所蔵する仏伝図の一部とみられる石灰岩の塑像2点です。古テルメズ(地図上ではChingiztepe付近、現地看板の想像図も参照)出土とされています。古テルメズは現在のテルメズ市街より西のアムダリヤ沿い(アルハキムアッテルミズィー付近)にあり、テルメズ国立大学やフランス隊の先生方が発掘中です(ここはいまだ軍の管轄なので一般人立入禁止)。坐像が二段にみえるものはソ連ーウズベク隊によるもので(古テルメズ出土)、立像はフランス隊との発掘時に発見されたもの(チンギステペ出土)です。2年ほど前にLeriche先生から当時の様子を教えていただきました。Web上なので細かいことは書きませんが、これらだけでも論文が何本か書けそうな……。なお、カラテペ(寺院)とズルマラ(仏塔)は、古テルメズから歩いて20分くらいの郊外(当時)に位置しています。
01/10/2025
そして現在、発掘調査に関わっている遺跡です。写真は本学調査隊が許可を得てドローン撮影(委託)したものです。全景写真1枚(ツィタデリ除く)と、DT40(左側、枡目状に区画)とDT33(右上、城壁端)が含まれる写真1枚です。DT40は9月9日投稿のリール動画を撮影した場所です。DT33は全景写真では、遺跡右上端にあたります。
遺跡名:ダルヴェルジンテペ(バクトリア・大月氏・クシャーン・ササノクシャーン・エフタル期の都城遺跡)
所在地:ウズベキスタン共和国スルハンダリヤ州シュルチ市近郊(ダルヴァルジン村:村名は現地表記にしたがう)
提携機関:ウズベキスタン科学アカデミー芸術学研究所
期間:2024年~
※代表的な報告書
・ Пугаченкова,Г.А., Ртвеладзе,Э.В. (1978) Дальверзинтепе – кушанский город на юге Узбекистана. Ташкент, «Фан»
・ 加藤九祚・Pugachenkova,G.A.・Rtveladze, E.V.(1991)『南ウズベキスタンの遺宝 : 中央アジア・シルクロード』
・ 創価大学シルクロード学術調査団編(1996)『ダルヴェルジン・テペDT25』
・田辺勝美・堀晄ほか(1996)「ダルヴェルジン・テペ城砦址の発掘(1996年度)」『古代オリエント博物館紀要』第17号
・田辺勝美・堀晄ほか(1997)「ダルヴェルジン・テペの発掘(1997年度の調査概報)」『古代オリエント博物館紀要』第18号
※このほか2010年代に至るまで報告書がありますが割愛します。
※現在発掘調査がおこなわれているDT33・DT40については、Jangar Illyasov、Otabek Aripdjanov、Timurhon Jakhonovさんが、ウズベキスタン国内の考古学雑誌に2022年~2024年の毎年、ロシア語で発掘概報を載せています。 詳細は年度末の報告書に。
29/09/2025
立正大学ウズベキスタン学術調査隊が、現地発掘調査に関わった遺跡はダルヴェルジンテペで3つめとなります。これまでの経過はこのFacebookに記載のとおりですが、ふりかえって紹介しようと思います。写真は本学調査隊が許可を得て撮影したドローン映像から抽出しました。
遺跡名:カラテペ(クシャーン朝の仏教寺院、北丘)
所在地:ウズベキスタン共和国スルハンダリヤ州テルメズ市
提携機関:ウズベキスタン科学アカデミー芸術学研究所
期間:2014年~2018年
報告書:『カラ・テペ テルメズの仏教遺跡』六一書房、2020年
※このほか多数の刊行物を作成しました。
28/09/2025
カラテペ、ズルマラの調査の様子は、現在でも以下の2つのビデオ(ガリレオX:BSフジで放映)でもみることができます。
【アフガンの対岸で発掘する】文明の十字路で仏教遺跡を発掘せよ|ガリレオX第183回
https://www.youtube.com/watch?v=jX19QI7mHl0
【アフガンの対岸で発掘する】続・ウズベキスタンで仏教遺跡を探る|ガリレオX第204回
https://www.youtube.com/watch?v=PG-9IPES97k
【アフガンの対岸で発掘する】続・ウズベキスタンで仏教遺跡を探る 仏塔の発掘調査に密着取材|ガリレオX第204回
2019年11月放送作品 中央アジアの国、ウズベキスタンでは、多くの遺跡や美術品が発見されてきた。 その代表例が、様々な民族達が描いた「壁画」。 ウズベキスタンは、シルクロードのほぼ中央に位置することから、別名....
28/09/2025
調査隊が2番目に発掘調査に関わった遺跡です。写真は本学調査隊が許可を得てドローン撮影したものです。
遺跡名:ズルマラ仏塔(クシャーン朝の仏塔)
所在地:ウズベキスタン共和国スルハンダリヤ州テルメズ市
提携機関:テルメズ考古博物館、テルメズ国立大学
期間:2016年~2017年、2018年~2022年
報告書:『ウズベキスタンにおける仏教文化遺産の調査と保護』文化庁・立正大学
https://www.ris.ac.jp/branding/news/mb47040000000kyb-att/mb47040000000ox3.pdf (事実上の最終報告、オンライン・PDFで読めます)
※このほか多数の刊行物を作成しました。
※残念ながら遺跡保存・修復に関して、調査隊の見解はあまり考慮されませんでした。調査の成果と観光との関係を考えるきっかけになればよいと思います。