12/04/2025
「我が青春のテネシーワルツ」
聴くともなしに聴いていたカーラジオからテネシーワルツが流れてくると、たちまち心は高校時代に舞い戻ってしまう…そんな経験をした人が卒業生の中に必ずいると思う。
それはいつ頃始まって、いつ頃まで続いたのだろうか… 少なくとも私が在籍した昭和40年代の中頃はそうだった。
入学して千岳荘でのオリエンテーションも済ませた頃、昼休みにダンスの講習会が始まった。放送班に属していた僕が部室にいると、当時は本当に大人の女性に見えた3年生の先輩から「誰か好きな子いるの?だったら早く申し込んでおかないとダメよ。後夜祭のダンスってフォークダンスだけじゃなくて本格的な社交ダンスもあるんだから…」そう言われて、つい半年前の中学時代には学校帰りに友達と公園で走り回って遊んでいた素朴な自分が急にどぎまぎしたのが分かった。
そうしてダンス講習会に出ると、先輩たちが手を取ってワルツの踊り方を教えてくれたのだった。クラスメートの皆も音楽に合わせてぎこちなくステップを踏んでいた。
秋の学園祭、模擬店やお化け屋敷、フォークソングや芝居に落語…二日間のイベントが終わって片付けも済ませた夕刻、校庭の真ん中に組まれたファイヤーストームの木材に学園祭で使った廃材がうず高く積まれ、秋の陽が暮れなずむ頃、いよいよ後夜祭が始まるのだった。生徒会長の挨拶の後、ファイヤーストームに点火され暗くなった校庭に炎が上がると皆、輪になって踊るフォークダンスが始まる。オクラホマミキサーやマイムマイムなど小中学生時代から親しんだお馴染みの曲だ。手を取ってパートナーを交代しながら踊るうちにファイヤーストームの炎に勢いも徐々に弱くなり、さっきまで黄昏が残っていた空も漆黒に近くなる。祭りのあとの一抹の寂しさが胸をよぎるその頃、校庭を照らしていた照明が一段暗くなり、パティーペイジのテネシーワルツが流れ始める。これはパートナーの交代なしに二人で踊るワルツなので、お互いに示し合わせていたカップルはその相手と、そうでなかった男子は近くにいる女子に声をかけてペアになって踊るのだった。当時は昔、男子校だったことをまだ引きずっていて男子生徒の方が若干多かったので、幸い女子があぶれることはなかった。他にも同じくパティーペイジの涙のワルツなどあって、わずかに残ったファイヤーストームの赤い炎が最後の瞬きを見せる中、二日間の学園祭が幕を閉じるのだった。
この儀式が終わって無邪気な中学生もはじめて大人へと一皮剥けたような気がして、こういう高校に入れたことが、当時、誇らしく、とても嬉しかった。
今、思い返しても本当に良い伝統だったと思う。これからも、テネシーワルツを聴くたびに楽しかった高校時代のことをほろ苦い思いともに思い出すことだろう。
=== 完 ===
※ 「私にも記憶がある」、「関連写真がある」といった情報をお持ちの方、Res頂けると嬉しいです。(27期)渡辺一夫
Provided to YouTube by TuneCore Japanテネシー・ワルツ · PATTI PAGEオール・ザ・ベスト パティ・ペイジ℗ 2008 ARCReleased on: 2008-06-02Composer: KING P*E WEELyricist: KING P*E WEECompo...