24/03/2025
【及川公生先生、ご逝去のお知らせ】
音芸の前進、録音技術専門学院の頃から、長年講師として後進の指導に当たってくださった、レコーディングエンジニアの及川公生先生が、3/20(木)に逝去されました。
昨夜、及川先生がサウンドエンジニアとしてのキャリアをスタートさせたTOKYO FM(旧FM東海)でラジオミキサーを務める卒業生からの連絡でこの事実を知り、先ほど、奥様にお悔やみと長年お世話になったことの感謝を電話でお伝えしたところです。
及川先生のご功績については、私が改めてここに記す必要もないとは思いますが、キース・ジャレット、マル・ウォルドロン、日野皓正、平原まこと(敬称略)など錚々たるミュージシャンたちや、曲編成が複雑でソロパートが頻繁に入れ替わるジャズオーケストラのレコーディングを、マルチチャンネル録音せずにいきなり2chで録ってそのままマスタリングエンジニアに手渡してしまう、という実に恐ろしい手法を、マルチチャンネルでのディジタル録音が当たり前となった1990年代以降も続け、プロデューサーやミュージシャン、そして後進エンジニアたちの信頼と尊敬を集めてきた方です。
ステレオ2ch一発録音の手法に絡めて、ご自身のことを「一発屋」とまるで卑下されるような口調で仰っていましたが、この「2chのレコーダーをパラで回しておく以外には保険を一切かけない録音手法」が、どれだけ音楽に対する知識、経験、優れた感性、技術力を要するものかは、レコーディングに携わる人なら誰しもわかることでしょう。
私個人の及川先生の思い出は、この場でお伝えするにはあまりに膨大です。しかし、いくつか、特に記憶に色濃く残っていることに絞ってお伝えしたいと思います。
欧州への海外研修旅行に2回、ご同行くださったことがあります。その際は、私と同室でした。そこで何を話したかはあまり覚えていませんが、二回りも年下の私に対しても、常にフラットに接してくださり、単純に一緒にいてとても楽しい気持ちになる先輩でしたし、ああ、自分もこういうふうに年下の人たちに接したいものだと学ばせてくれました。デュッセルドルフ駅にて短時間で乗り換えを完了するために、バケツリレーの如くスーツケースリレーをしたのですが、その際に及川先生が発揮してくださったリーダーシップがなければ、我々は乗り換え電車を逃していたかもしれません。
また、私が当校の学校長に就任した際に、お祝いをしよう!と言って、麻布十番の高級イタリアンレストランに、海外研修旅行で一緒だったNHK勤務の卒業生(彼女がTDテクニカルディレクター就任直後だったのでそのお祝いも兼ねて)ともどもご招待くださったことも嬉しい思い出です。
及川先生が、脊髄が硬化してしまう難病にかかられ、手術をした後には、アメリカで活躍する卒業生エンジニア/コーディネーターの一時帰国に合わせて、国内でレコーディングエンジニアとして活躍する卒業生らと共に、御成門のレストランで及川先生を囲む小さなパーティーをしました。その時の先生の幸せそうなお顔が今も昨日のことのように浮かんできます。
音芸ファミリーの多くの皆さんにも、それぞれ、及川先生との沢山の思い出がおありかと思います。ぜひ、この投稿のコメント欄に、皆さんの及川先生との思い出をお書きになるか、ご自身のタイムラインに投稿なさってください。
学生たちを心の底から愛し、育ててくださった及川先生には、それが、一番の供養になるのではないかと思います。
なお奥様より、ご葬儀は家族葬にて行い、供花等についてもお気持ちだけで十分で、辞退申し上げたい、とのお言葉を授かっております。
末筆になりましたが、改めて、及川先生の長年の音響業界におけるご功績、後進たちへの愛情に満ち溢れたご指導に心からの感謝を申し上げたいと存じます。
2025年3月25日
音響芸術専門学校
学校長 見上陽一郎