16/09/2026
◆稲盛和夫の生涯㉖ セラミックの技術を再結晶宝石へ
1970年、高度経済成長を背景に、日本人の暮らしは豊かさを増し、人々は物質的な充足だけでなく、アクセサリーやファッションなど、美しさや個性の表現を求めるようになっていました。なかでも宝石への憧れは高まっていましたが、良質な天然宝石の原石は世界的に不足し始めており、その希少性から価格も高騰していました。
こうした時代背景の中で稲盛は、「宝石をつくれないか」と考えるようになりました。それは、宝石もセラミックスも同じ鉱物結晶であり、自らの専門分野だったこと。また、上質な原石が次第に枯渇し、市場では品質の劣るものまで高値で取引される状況に疑問を抱いたからでした。
「京セラが培ってきた技術の延長線上で、新たな市場を創り出せるのではないか」と考え、ファインセラミックス技術を応用した「再結晶宝石」の開発に挑むことになりました。
最初に取り組んだのはエメラルドの再結晶です。何度実験を重ねても結晶は思うように成長せず、天然宝石とまったく同じ組成および結晶構造を人工的に再現する再結晶宝石の開発は、容易なものではありませんでした。
しかし稲盛は「今はまだ大きな結晶はできないかもしれない。しかし自分の能力を未来における進行形でとらえ、つねに進歩していると信じるんだ。これは世界でも例を見ないイノベーティブな研究成果になる」と励ましました。
挑戦と失敗を繰り返し、1975年春、ついに日本初となる2センチの大型結晶の育成に成功しました。
再結晶宝石は、「クレサンベール」ブランドとして販売を開始しましたが、「天然石こそ本物」という価値観が強く、天然宝石と同じ組成・結晶構造をもつ再結晶宝石であっても、なかなか受け入れられません。販売開始でつまずき窮地に立ちましたが、それでも稲盛は、全国で展示販売会を開催し、営業部員に対しても「販売のプロとして、誰も売れると思わないものを売ってみよう」と先頭に立って鼓舞し続けました。
その後、アレキサンドライトやルビー、ブルーサファイアなど新たな再結晶宝石を次々に開発。品揃えの充実とともに、不純物のないその美しさは宝石愛好家の間で高く評価されるようになり、固定ファンも着実に増えていきました。
稲盛が貫いた「最高品質の宝石を適正な価格でお客様にお届けすれば、その価値は必ず理解していただける」という信念――再結晶宝石への挑戦は、既成概念を打ち破り、新たな価値を創造しようとする稲盛の姿勢を象徴する挑戦だったのです。
写真
1枚目:クレサンベール直営店開業
2枚目:エメラルド原石
3枚目:第一号のエメラルドを使った指輪(記念の品として稲盛が着用)