22/08/2026
【先生の言い訳(分)とにんじん】
「通知表の評定は部分的な評価だから重要視してない」
「定期考査や模試の結果なんて重要じゃない」
→じゃあこの塾って進学を意識してないで知能的に問題がある子を育てる塾なの?
→元から頭がいい子しか取らない塾なの?
と、記事を読んでいて誤読してらっしゃる方がいそうなので、たまには私の言い訳。
これは「学習塾」という装置の使い方や捉え方の違いによって生じやすい認知のズレです。
「にんじん」
ビタミンやカロテンや食物繊維ってにんじん以外でも摂取できますよね。
サプリメントも豊富ですし。
好き嫌いはダメだから食べろ!にんじんはそういうものなんだ!と無理矢理突っ込むのもよくある話です。
最近では嫌いなものや苦手なものをとことん避けさせて、偏食家と言われる人が昔より多い気がします。
ですが、食育熱心な方はこのにんじんの調理方法を工夫します。
香りを消し味を消し、形を消し、少量ずつ与えていつのまにかにんじんが食べられるようになった と。
アレルギー治療も似ていて、アレルゲンをごく微量ずつ摂取することで克服する というのもあります。
毎回私の意味不明な記事を読破しているマニアックな読者はお気づきだと思いますが、ここのにんじんとは勉強です。
私の仕事をにんじんで例えるならば、
にんじんがどんな食物なのか
どんな種類があるのか 祖はどんな感じなのか
調理方法は何種類あるのか
どんな味付けが合うのか
を例示するのが私の仕事です。
生徒たちがどのようにしてにんじんを食べるか、楽しむかは自由で、「にんじんは野菜ジュースじゃなきゃダメだ!」なんて押し付けはしない主義です。
そして「食わず嫌い」を許しません。
食べてもない 食べ方を試してもないのに「にんじんは不味い「不味いって聞いたから」 は私の前では御法度です。
既存の塾は生徒数が多いことから、このにんじんの食べ方を最適化しています。
「レンチンですぐ食べられる美味しいレシピ」的な感じですね。
ここでにんじんの美味しさにハマってアレンジできたら料理上手ですが、ずっとそれだけで食べていてもいずれ飽きや限界がきます。
高級志向になると「高級にんじんのフルコース」的なものになるかもしれないのですが、ここは私の想像力の欠如なので軽く流してください。
レストランににんじんを食べに行ったと思ったら畑でにんじんを触ることから始まって育てることになった となれば「レストランってなんや?」ってなりませんか?
「味に自信ないんか?屁理屈捏ねてるだけやんな?」
ってなりませんか?
私の中にも、
自分は結果という単純な答えに対して屁理屈を捏ねて難化させて自論を高等なものに誤魔化しているのではないか
というのは常にあります。
要は詐欺師のテクニックですね。
単純な工程を複雑化させて専門性を演出して高給を貪ってるのではないか?とすら 常に自問自答してます。
然しながら私がやってることは構造の可視化と技法の可視化、それらを生徒個別に最適化する事です。
暗記 の話になれば心理学や認知学を引っ張り出してその子の特性の解析をしますし、どうしてその子が間違えるのか となれば、「演習で解決」ではなくて原因を探ります。
暗記に限って言えば「見れば覚えるでしょ」が私です。
ですが、この「見れば覚える」という現象をできる限り細分化して言語化して子供たちに与えるのが私の腕です。
その子の脳の特性や癖を考慮して調理法を変えて「にんじんって美味しいね!」と思わせるのが私の仕事で、私はここに「受験テク」ではなくて幅広い専門学を持ち込みます。
ここで学んだ調理法は他の食材にも活かせます。
ですが「鼻を摘んで我慢して食べる」しか教えないと、永遠と続く食(学)が苦行になるんですよね。
私はこの食(学)がずっとこの先も楽しくなるように教育法を組み立ててます。
これこそ私が兼ねてからテクニックだけを教えることの否定です。
だから私一人では無理ですし、教材を解くだけだけでも無理です。
ゲームをしたり本を読んだり校外学習に行ったり、いろんな経験が「もしかしてこの調理法にんじんにも会うんじゃないか?」と、子供たちの自らの一歩に繋がるんです。
調理法を覚えることだけ 詰め込むだけ では、食べることが好きな人が料理をし始めた状態にはかないません。
もちろん基本的な調理法はマスターした上での話で、基礎がない人が料理をしても闇鍋を作るだけですからね。
世間が美味しいと思っている食べ物を食べた時、「うん 美味しい」 ではなくて、自分の人生の中でしか感じ得ない旨味を思考の中で言語化できるように日々教育をしています。
いきなり自分から「〇〇のチョコレート美味しいよね」と語り始めたらちょっと痛いやつですが、チョコレートの話題になった時、「〇〇のチョコレートはこんな感じ、××は特にこれが美味しい」と語れるならば、これは「教養」なのです。
勉強で覚えるべき内容もチョコと一緒で、ワードに反応して知識のストックを記憶のタンスからどれだけ引き出せるか が知能の高さで、これは嫌々暗記をひたすら書いて覚えタイプではなし得ないことです。
なので私は「ひたすら書いて覚える」「ひたすら問題を解く」という行為が無駄なこと と一刀両断してます。
一見すると私の教育法は「遠回り」「遅効性」と思われがちですが、基礎作りさえ済んでしまえばいくらでも先に進めるわけで、「夏休みで20点アップ!」という安売りをしない理由は、ここ土台作りに贅沢なほどに時間をかけて醸成したいからなんです。
美味しいにんじんを食べたいなら環境、土壌にとことんこだわるべきで、美味しい食べ方っていうテクニックの部分は割と後でいいと思ってます。
植えて仕舞えば最後枯れるか育つかで、時間は止められません。
不可逆の世界で私たちは美味しいにんじんを育てるために注力します。
なのでたまに農園の見回りをする管理人がどれだけ頑張っても限界があるし、実際の世話人全員が頑張るべきで、にんじんにも頑張ってもらわなきゃいけないんです。
完璧に育ったにんじんを、最後にどう美味しく食べるか なんてのはまさに私の中の些末な結果論。
今までどれだけにんじんを計画的に大切に育てたか でにんじんの美味さは決まってます。
臭みやえぐみを消すために調味料をぶっかけるくらいなら、最初からそれすらも旨味になるにんじんの方が高価値です。
全てが旨味のにんじんは生で食べても美味しいのですから、食べ方(考査結果や受験結果)は私にとっては些末なもの。
なので私は成績が悪い生徒でも成績だけがいい生徒も同じに見えて、入塾には消極的な姿勢を取ります。
「成績」というものをほぼ採用の考慮に入れていない の方が正しいかも。
全員が土汚れを厭わずに全員で土を掘り起こして最高の土壌を作るんだ と思う人ににんじん作りの達人は微笑むのです。
「金に糸目はつけないから作業全部やっといて」
とか
「とにかくにんじんを食べられるようにして!今すぐ!」という考えの人は嫌いです。
むしろこれ以外の家庭や生徒に対して、私は広く柔軟に対応しています。
面談もすぐ行いますし、納得するまで疑問をぶつけていただいても構いません。
ただ、この「美味しいにんじんの作り方」ってのは、一通り美味しいものを食べた人にしかイメージできないんです。
安くて早くてそこそこ美味しいものしか知らない人には、タイパもコスパも理解できないんですよね。
だから教育に悩みを抱えていて、なんとか現状を打破したい って熱い思いがある人は結構好きです。
「夢があって何とか学業頑張りたいんだ!」って過去に私の前で初対面で打っ放した生徒は私の中の宝物です。
後半はにんじんが生徒になっているのでカニバリズム的な雰囲気があるので、私のことをレクター博士、あなたをジョディフォスターに置き換えてお読みください。