28/07/2026
📚 『召命の危機』読書会・読者メモ #10
第10章「平凡という危機」
兄弟姉妹と会う。聖書を学ぶ。賛美をささげる。奉仕をする。そして、説教者にとっては、御言葉を語ること。
これらは、信仰者にとって日曜日の朝に思い浮かぶ、ごく当たり前のことです。
では、次の二つのうち、あなたの理解に近いのはどちらでしょうか。
理解1[これらは、平凡なことである。]
理解2[これらは、神の栄光を味わうことである。]
信仰者にとって、正解は後者であることは明らかです。しかし、問題は正解を頭で理解していることではありません。毎週日曜日の朝、あなたの心を支配しているのはどちらでしょうか。
「日曜日は、教会に行き、やるべきことをこなせばよい。」
そのような平凡さでしょうか。それとも、
「今日も神の栄光を味わうことができる。」
このような主に対する大きな期待でしょうか。
著者は、平凡さがどのように形作られていくのかを告げます。彼は、日曜日の朝になって決まるのではなく、そこへ至るまでの備えの中に表れると教えています。
では、どのような準備、どのような態度が必要なのでしょうか。
ぜひ、ブログをご一読ください。
平凡さへの鈍感説教は準備すればよい。礼拝は無事に終わればよい。会衆が満足すればよい。日曜日を乗り越えることができればよい。「〜すればよい。」という考えが少しずつ入り込むとき「神の前」ではなく「人の前」...