日本聖書学院

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「日本全域のキリストを信じるすべての人を霊的に立てあげるために、神の生きたことばを解き明かす。」
"Expounding the living Word of God for the spiritual upbuilding of all those who believe in Christ throughout Japan."

📚 『召命の危機』読書会・読者メモ  #10第10章「平凡という危機」兄弟姉妹と会う。聖書を学ぶ。賛美をささげる。奉仕をする。そして、説教者にとっては、御言葉を語ること。これらは、信仰者にとって日曜日の朝に思い浮かぶ、ごく当たり前のことです...
28/07/2026

📚 『召命の危機』読書会・読者メモ #10
第10章「平凡という危機」

兄弟姉妹と会う。聖書を学ぶ。賛美をささげる。奉仕をする。そして、説教者にとっては、御言葉を語ること。

これらは、信仰者にとって日曜日の朝に思い浮かぶ、ごく当たり前のことです。

では、次の二つのうち、あなたの理解に近いのはどちらでしょうか。

理解1[これらは、平凡なことである。]

理解2[これらは、神の栄光を味わうことである。]

信仰者にとって、正解は後者であることは明らかです。しかし、問題は正解を頭で理解していることではありません。毎週日曜日の朝、あなたの心を支配しているのはどちらでしょうか。

「日曜日は、教会に行き、やるべきことをこなせばよい。」

そのような平凡さでしょうか。それとも、

「今日も神の栄光を味わうことができる。」

このような主に対する大きな期待でしょうか。

著者は、平凡さがどのように形作られていくのかを告げます。彼は、日曜日の朝になって決まるのではなく、そこへ至るまでの備えの中に表れると教えています。

では、どのような準備、どのような態度が必要なのでしょうか。

ぜひ、ブログをご一読ください。

平凡さへの鈍感説教は準備すればよい。礼拝は無事に終わればよい。会衆が満足すればよい。日曜日を乗り越えることができればよい。「〜すればよい。」という考えが少しずつ入り込むとき「神の前」ではなく「人の前」...

📚 『召命の危機』読書会・読者メモ  #9第9章「隠れた秘密」本書には、多くの推薦者の名前が載っています。その中には、出版後にミニストリーを退かれた方々も含まれています。推薦者たちの歩みをたどると、本書のメッセージはいっそう重みを増します。...
27/07/2026

📚 『召命の危機』読書会・読者メモ #9

第9章「隠れた秘密」

本書には、多くの推薦者の名前が載っています。その中には、出版後にミニストリーを退かれた方々も含まれています。

推薦者たちの歩みをたどると、本書のメッセージはいっそう重みを増します。本書を読むとき、それは決して人ごとではなく、私たち自身にも起こり得る現実であることを思わされます。

このことは、第9章「隠れた秘密」のテーマとも重なります。本章では、ある匿名の牧師が、奉仕の陰で信仰の破船に至ったことが記されています。

では、その背景には何があったのでしょうか。

人ごとではないと思うなら、この問いは避けて通ることはできません。

著者は、その根底には恐れに支配された心があると指摘します。だからこそ本章は、私たちの恐れから神への畏れへと向けさせる重要な章となっています。

ぜひ、ブログをご一読ください。

https://www.japanbible.jp/post/第9章「隠れた秘密」

第9章は、恐れそのものを否定しているのではありません。むしろ、恐れに支配されることの危険を教えています。恐れを誤って扱うなら、働き人は悲惨な結果へと導かれかねません。しかし、そのような悲惨な結果は、多.....

24/07/2026

📚 『召命の危機』読書会・読者メモ #8

第8章「危険な『慣れ』」

聖書の学びを続ける中で、次のような葛藤を抱えたことはないでしょうか。

「課題を提出するためだけの学びになっている……。」
「信仰生活のノウハウを理解しただけになっている……。」
「果たして、神との交わりにおいて、私は本当に満たされているのだろうか。」

本書の著者は、ある神学者の言葉を引用しながら、神学を学ぶ者たちに警鐘を鳴らします。

「神学生にとっての大きな危険は、神聖な事柄に絶え間なく接触している点にある。日常的であるがゆえに、当たり前になってしまうおそれがある。」

ここで言われている「当たり前」こそ、本章のタイトルである『危険な「慣れ」』と呼ばれる所以です。
そして著者は、神との交わりに喜びを見いだせないまま学びを続けるなら、信仰者は本来味わうべき豊かな実りを失ってしまうと示します。

その中で、この章を読み進めるうちに、一つ興味深い点に気づきます。それは、著者が「慣れ」をどのように打ち破るのかについて、具体的な方法をほとんど語っていないということです。

それはなぜなのでしょうか。

ぜひ、ブログをご一読ください。

https://www.japanbible.jp/post/第8章-危険な-慣れ

📚 『召命の危機』読書会・読者メモ  #7第7章「戦場」「絶対に負けられない戦いが、そこにはある。」このキャッチフレーズは、サッカー中継の代名詞ですよね。最近、この言葉を耳にする機会も多かったのではないでしょうか。同時に、これは信仰者が常に...
23/07/2026

📚 『召命の危機』読書会・読者メモ #7

第7章「戦場」

「絶対に負けられない戦いが、そこにはある。」

このキャッチフレーズは、サッカー中継の代名詞ですよね。最近、この言葉を耳にする機会も多かったのではないでしょうか。同時に、これは信仰者が常に心に留めておくべき言葉でもあります。

福音を語り続けること。

偽りの教えに立ち向かうこと。

私たちはこれらの戦いに妥協することはできません。

その中で、本章が焦点を当てるのは、このような外側の戦いではありませんでした。むしろ「戦場がそこにはある」と告げ、どこに戦場があるのかについて一点に的を絞り次のように語ります。

「福音が私たちの心の拠り所となるためにも戦わなければなりません。」

つまり、著者は、私たちが最初に戦うべき場所、それは、私たち自身の心だと明かします。

ところが、私たちは、私たち自身の心から離れ、周囲の問題へと目線を逸らしてしまいます。まさに、そのような私たちの傾向こそ、本章が取り扱うテーマです。

戦場がどこにあるのか?

その問いへの答えを誤るなら、私たちは戦うべき場所を見失い、気づかないうちに敗北してしまいます。

私たちは、本当に戦うべき場所で戦っているでしょうか。ブログをご一読ください。

📝ブログ
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「霊的戦い」と聞くと、多くの人は何を思い浮かべるでしょうか。異端との戦い。世俗的な価値観との戦い。あるいは、教会を取り巻く社会との戦い。確かに、それらは現実の戦いです。しかし、著者ポール・トリップは本...

📚 『召命の危機』読書会・読者メモ  #6第6章「失われた共同体」本書は、ミニストリーの価値と共に、ミニストリーの葛藤の側面が強調されています。しかし、あくまでも本書は批判を行うためではなく、危機に瀕する状態を避けるための助けとして用いられ...
22/07/2026

📚 『召命の危機』読書会・読者メモ #6

第6章「失われた共同体」

本書は、ミニストリーの価値と共に、ミニストリーの葛藤の側面が強調されています。しかし、あくまでも本書は批判を行うためではなく、危機に瀕する状態を避けるための助けとして用いられることが意図されています。

第6章でも、牧会者が共同体の外で生きることによる危険性について語られています。その目的は、ミニストリーが一人の働きではなく、共同体の営みであることを思い起こさせることにあります。

本章は、共同体の中で起こりやすい現実として、人は人に期待を抱くことを扱います。

「この人なら成し遂げてくれるだろう」
「この人なら間違いない」
「この人についていくべきだ」

もちろん、教会のリーダーは人前に立つ機会が多くあります。「神にだけ期待しましょう」と兄弟姉妹に教えたとしても、人々から寄せられる期待が現実に存在します。そして、次第に期待に応えようとするような形で働きが進むと共同体全体としての働きが見えなくなり牧師だけが目立つようになります。

しかし、著者は「牧師ひとりが唯一の教師となってしまうなら、あなたは危険にさらされることになります。」と警告します。

その危険の背景には次のような幻想があると考えられます。

「〇〇先生なら問題ない」
「〇〇神学校を卒業しているから大丈夫」
「経験も実績も十分だから大丈夫」

これらは、リーダーに対する健全な信頼が置かれているというより、リーダーに対する過大な幻想なのです。

本章では、こういった幻想が潜んでいることに警報を鳴らします。そのような幻想は、働きが形骸化している現実や、その原因に気づくことを難しくしてしまうのです。

本書自体は、対象を牧会者にしています。しかし、特にこの章は牧会者だけに向けられた内容ではありませんでした。教会に属する一人ひとりに、「あなたは自分の牧会者をどのように愛し、どのような関係を築いているだろうか」と問いかけています。

本ブログの読者メモを読みながら、ぜひ共に問いかけ、考えましょう。

牧会者は、自らを危険な幻想の中に置いてはいないでしょうか。

共同体は、牧会者に対して危険な幻想を抱いてはいないでしょうか。

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「牧師だから大丈夫」は危険なサイクルの兆候牧師の失脚や教会の分裂、信頼の崩壊その背後には、多くの場合、長い時間をかけて形成された「危険なサイクル」が存在します。つまり、問題は、ある日突然起こるものでは...

21/07/2026

📚 召命の危機 読書会・読者メモ #5

第5章「関節と靱帯」

しばらくFacebookでの投稿は控えていましたが、『召命の危機』読書会は継続しています。第5章も内容に沿って活発なディスカッションを行いました。

ところで、この本は昨年、日本聖書学院から出版しましたが、翻訳そのものはずっと以前から進められていました。しかし、出版の時期を迎えたとき、私たちはこの本を「教える側」としてではなく、自分たち自身が吟味される書として読むことになりました。

躊躇せずに言うと、その背景には、当学院の主要な講師の離脱という出来事がありました。それは突然の出来事で、当時は何が起こったのか十分に理解できず、振り返れば、学院が冷静な判断を保つことさえ難しいほど深刻な状況にありました。

本書は、そのような出来事が教会や神学校の働きの中で実際に起こり得ることを率直に示しています。だからこそ私たちは、この問題を「どこか他の教会の話」としてではなく、「私たちは本当に大丈夫なのか」と自らを吟味し続けたいと願っています。

そして、そのような経験を通ったからこそ、本書が訴えようとしていることを、多くの教会の皆さんと分かち合いたいと考えています。

第5章では、教会の働き人を襲う「孤独」という深刻なテーマが取り上げられています。著者は、「孤独を召命の一部として受け入れてしまうこと」の危険性を警告しています。

一人で抱え込み、一人で戦い、一人で歩み続けることは、神が働き人に意図された姿ではありません。聖書は、互いに支え合い、励まし合い、ともに成長するよう私たちを召しています。

今回の記事では、知識や技術だけでは、長く健全に主に仕え続けることはできないことが語られています。

ぜひお読みいただき、ご自身の教会や奉仕について考える機会としていただければ幸いです。

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📚 『聖書の教理』日本語版 無料贈呈 受付終了のお知らせこのたび『聖書の教理』日本語版無料贈呈の予約受付を無事に終了することができました。多くの方々のお祈りとご支援により、106の教会・団体全国30都道府県へお届けすることとなりました。お申...
20/07/2026

📚 『聖書の教理』日本語版 無料贈呈 受付終了のお知らせ

このたび『聖書の教理』日本語版無料贈呈の予約受付を無事に終了することができました。

多くの方々のお祈りとご支援により、

106の教会・団体
全国30都道府県

へお届けすることとなりました。

お申し込みくださった方々の約半数は牧会者であり、そのほかにも教会員、神学生など多くの方々に本書をお届けできることを心より感謝しております。

この働きのためにご協力くださった Grace to Youの皆様、関係者の皆様、そして祈りをもって支えてくださったすべての皆様に、深く感謝申し上げます。

この一冊が、日本全国の教会において御言葉に仕える働き人の助けとなり、健全な教会形成のために豊かに用いられ、多くの教会の祝福となることをお祈りいたします。

「聖書の教理」第三巻より最後となる第3巻は、「天使論」「教会論」「終末論」の三つの教理から構成されています。各章を通して、神があらゆる被造物を超越しておられるお方であることが、いっそう鮮明に示されます。──────────────────天...
19/07/2026

「聖書の教理」第三巻より

最後となる第3巻は、「天使論」「教会論」「終末論」の三つの教理から構成されています。各章を通して、神があらゆる被造物を超越しておられるお方であることが、いっそう鮮明に示されます。

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天使論

「神のみこころを果たし、彼ら(天使)の創造主にふさわしい礼拝を献げるために神が配置した天使に不足はありません。」

天使の全体像が見えてくる本章では、聖書が教える天使の存在と役割を学びます。天使について学べば学ぶほど、その応答として、創造主が唯一の礼拝の対象として最も偉大であるという理解がますます深められるのです。

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教会論

「教会はキリストによって愛されているからこそ、この主に属する全ての者にとって宝であるべきです。」

キリストがご自身をささげるほどに愛された教会には、この世の何ものとも比べることのできない輝かしい価値があります。その宝としての価値は、本来は値しなかった信仰者に等しく与えられているのです。

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終末論

「歴史は創造、堕落、贖いという、聖書の物語における主要な4構成のうち3つを体験してきました。最後に来るのは、悪の敗北と地上における神の王国の設立を含む「回復」です。」

第1章「序説」では、神の王国が聖書全体を貫くテーマであることが示されました。そのテーマは、本書の最終章において「回復」という形で結実します。キリストによる預言は、神の永遠の支配という眩いばかりの希望を信仰者に示しているのです。

本書が、読者一人ひとりを神の偉大さへと導き、神をより深く知り、より深く愛し、その栄光のために生きる歩みの助けとなることを心から願っています。

「聖書の教理」第ニ巻より本巻では、聖霊論から始まり、人間論、罪論、そして救済論へと進み、神が備えられた偉大な救いのご計画を学びます。その一部をご紹介します。──────────────────聖霊論「キリストの道を歩むためにも、キリストの栄...
17/07/2026

「聖書の教理」第ニ巻より

本巻では、聖霊論から始まり、人間論、罪論、そして救済論へと進み、神が備えられた偉大な救いのご計画を学びます。

その一部をご紹介します。

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聖霊論
「キリストの道を歩むためにも、キリストの栄光のために戦うためにも、聖書と聖霊の切り離せない関係性が信者を勝利へと押し進めます。」

新約の時代を生きる私たちは、聖霊をどれほど身近なお方として知っているでしょうか。聖霊は神であり、人格を持つ助け主です。そのお方を知るほどに、慰めは深まり、励ましは力となり、信仰は大胆さを増していくのです。

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人間論と罪論
「罪は神を中⼼とした⽴場で理解されなければなりません。罪の核⼼にあるのは創造主と被造物の関係の侵害です。」

本書で積み重ねられてきた教えを基盤として、人間と罪の現実が鮮やかに描かれます。神から離れた人の姿と、罪の深さを見つめるとき、私たちは救いの必要を深く知るのです。

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救済論

「神がご自分の民を救済する目的が、ご自分に栄光と誉れを帰するという、神のすべての行為の究極目的と一致する‥」

救いは、人の行いへの報酬ではなく、神の恵みによる賜物です。救いは、信仰によって、キリストの贖いを通して成し遂げられます。そして、神ご自身の栄光を目的としており、この救いの現実は、私たちのうちに深い畏敬の念を生み出します。

次回は、『聖書の教理』第3巻をご紹介します。

📖 『聖書の教理』第一巻よりこの一冊では、神学とは何か、聖書の権威とは何か、神とはどのようなお方か、そしてキリストとはどのようなお方かを、聖書に基づいて学んでいきます。その一部をご紹介します。────────────────── 序論「キリ...
17/07/2026

📖 『聖書の教理』第一巻より

この一冊では、神学とは何か、聖書の権威とは何か、神とはどのようなお方か、そしてキリストとはどのようなお方かを、聖書に基づいて学んでいきます。

その一部をご紹介します。

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序論

「キリスト教神学は聖書における神の啓示に関する研究である。」

信仰者には、啓示という恵みが聖書に惜しみなく与えられています。したがって、神学とは、啓示に記された神を知り、神を礼拝し続ける壮大な旅なのです。

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聖書論

「聖書的な世界観では、その起源と究極的な権威は神に、そして神だけにある。」

聖書の権威は、人が認めることによって生まれるのではない。聖霊が御言葉を通して心を照らすとき、人はその権威の前にひざまずくのである。

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神論

「神の完全性とは、神の本性の本質的な特性です。これらの特性は神の本性に必要であるため、神のすべての属性は絶対的に完全であり、完全性と呼ぶのが相応しいものです。」

本章は、神を知るとは、その完全さを知ることであると教えます。神の完全さとは、神ご自身の栄光の輝きです。その栄光を学び、味わい、知るたびに、礼拝はより深く、賛美はより豊かになっていきます。

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キリスト論

「主であり救い主であるイエス・キリストに関する聖書の証しは、書かれた神のことば全体を通して、緋色の糸のように練り込まれています。」

キリストは、しもべの姿をとってこの地に来られました。そのへりくだりは、私たちが抱く『偉大さ』の概念を覆します。そして、その比類ない愛に触れるとき、私たちの心はただ礼拝へと導かれるのです。

『聖書の教理』第ニ巻では、このほかにも聖霊論、人間論、罪論など、聖書全体に基づく豊かな教理が続いていきます。

#聖書の教理 #組織神学 #神学 #聖書

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Higashikurume-shi, Tokyo

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