19/12/2020
【西村清人先生ご逝去】
元扶桑寮舎監の西村清人先生が、長野県軽井沢のご自宅で令和2(2020)年12月4日お亡くなりになりました。享年100歳(満99歳)。
先生は昭和56(1981)年から平成3(1991)年3月までの10年間、学生主事として本学の学生を指導、訓育されました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
〈西村先生の経歴〉
大正10(1921)年1月31日長崎県生まれ。父の久彌さんは長崎郵便局長。
長崎中学、大連第二中学を経て、昭和13(1938)年に拓大予科へ入学。南洋語科。学部1年次に療養のため休学、昭和18(1943)年卒業(学部40期卒業生)。学生時代は葦芽塾、予科応援団長、全学応援団副団長(「白袴の西村」と呼ばれる)。拓殖大学歌集編集制作メンバー。
卒業後は、中島飛行機(東洋最大、世界有数の航空機メーカー)勤務。戦後、拓殖大学応援団の結成にあたり学生からの要請を受け、歌集・演舞・リーダー指揮などを指導。当時、茗荷谷のマドンナ的存在であった浅井さと子さんと結婚。3人の娘に恵まれ、長野県軽井沢町に移住。軽井沢中学校教員として勤務。
定年とともに母校拓殖大学の学生主事として八王子校舎に勤務。扶桑寮舎監の他、合気道部部長などを務める。
平成3(1991)年3月拓殖大学を退職。退職にあたり扶桑寮の学生・卒業生が中心となり「西村清人先生を囲む会」を盛大に開催。全国各地および台湾から多くの卒業生が茗渓会館に集まる。
拓殖大学退職後は、アジア学生文化協会の田井重治理事長の要請により、東京都太田記念館(留学生寮、杉並区久我山)の運営に携わる。
軽井沢に帰郷後は晴耕雨読の日々を過ごされました。