24/08/2015
『寺島宗則物語』の執筆を終えて…
あなたは日本のダ・ヴィンチを知っていますか?
あの名画『モナ・リザ』を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチは、15世紀ルネスサンスの最盛期に活躍した誰でもが知る「万能の巨人」です。
彼は絵画以外にも、彫刻、建築、土木、科学技術に優れた才能を発揮し、そのマルチぶりから「天才」と称されました。
同じくここ日本にも、幕末の激動の時代にその多彩な才能により、数々の功績を残した人物がいます。
その人物こそが、この物語の主人公寺島宗則でした。
彼は「日本電気通信の父」と呼ばれていますが、通信技術導入はもとより、開国後の、新国家に必要な外交、教育、交通、海事、裁判、保安などの確立に東奔西走しています。
一人二役どころか、一人十役といったところでしょう。周りを見渡してみてください。携帯電話、ガス、電気、医学等々、彼が関わっていないものを探すのが大変なくらいです。
ダ・ヴィンチのように名画こそ描きませんでしたが、私たちの生活に欠かせない数多くのものが、彼の研究や努力によって日本にもたらされました。
名前も知らない。名前は知っているけれど彼がどんな仕事をしたのか、実のところは分からない、という人は多いかも知れません。
確かに寺島は、常に縁の下の力持ちに徹し、表舞台に顔を出すことはなかった人物であるようです。
しかし、アジアの片隅の小さな島国であった日本が、明治維新の後、いち早く先進国と呼ばれる国の仲間入りが出来た背景には、彼のように、将来を見据えて行動出来る人物の存在こそが不可欠でした。
マルチな才能を持ちながら、控え目で、その一方、これと決めた時の決断力や忍耐力、そして世界を見渡す広い視野をもつ寺島こそ、これから世界の表舞台に飛び立とうとしている若者たちにとって、あるいは混迷を極める国際社会の中で日本の立場を主張していかなくてはならない日本人にとっても、学ぶべきところの多い人物だと思います。
でも、なぜ? と疑問に思われるでしょう。
今から百数十年年以上も前の人物が、まだ鎖国状態の日本にあって国際的な感覚を身につけることができたのか? そもそも九州の、それも南の端っこ(薩摩)で生まれた寺島が、どうしてこれほどまでに多方面で活躍できたのか?
さらに薩摩といえば幕末に西郷、大久保、島津斉彬、他にも多くの偉大な人物を輩出したところですが、彼らと寺島がいかに関わって来たのか? 日本が大きく変ろうとした時代に、もし寺島がいなければ、はたして日本の行くすえはどうなっていたか?
今や世界のいたるところに、日系企業が進出し、海外在留邦人の数は百万人ともいわれています。「グローバル化社会」という言葉が使われ出して久しいのですが国際社会の中で右も左もまったくわからないあのような時代であったにもかかわらず、寺島は奇跡的なほどにまさにグローバルな感覚を持ち合わせた人物だったといえます。色々な分野で、彼が手掛けたことを列挙するだけでも、興味は尽きません。
高度情報化社会の礎を気づいた立役者、外交のスペシャリスト、先駆的な国際人寺島。そんな彼がもし現代にいたら、私たちにどんなアドバイスをしてくれるのでしょう?
そんな疑問から、寺島宗則なる人物をもう一度、再評価してみようという声があがりました。いま一度、彼の人生を物語でたどりながら、「幕末のダ・ヴィンチ」と呼ぶにふさわしいマルチ人間・寺島の偉大な功績の一端を本書で知っていただければ幸いです。
【主要参考文献】
寺島宗則 犬塚孝明 吉川弘文館
薩摩藩英国留学生 犬塚孝明 中央公論社刊
寺島宗則関係資料集 寺島宗則研究会編 示人社
日本電気通信の父 寺島宗則 高橋善七 国書刊行会
堂々日本人物史 島津斉彬 筑波常冶 国土社
五代友厚 真木洋三 文藝春秋刊
薩摩スチューデント西へ 林望 株式会社 光文社
西郷隆盛 池波正太郎 株式会社 角川書店
鹿児島タイムトラベル 株式会社 トライ社 鹿児島県
飛ぶが如く 鹿児島市
日本の歴史 十三 明治時代1責任編集・考証 笠原一男