29/10/2025
『ナチスは「良いこと」もしたのか?』という本が話題に上がった。著者に異論があるわけではないが、この「ナチスは良いこともした」という言い方自体に言いようのない不快感を抱いてしまう。 欧米の議論ではナチスの所業が絶対悪であることは前提である。例えば、貧困対策を行いドイツ国民全体を経済的に潤したという一見善政に見えることも、ユダヤ人から簒奪した財産を流用していたのであり、ナチスの善行は悪行に繋がっていると説明できる。とにかく欧米ではユダヤ人大虐殺をしたナチスのしたことは弁解の余地もない悪であるというところから議論は始まり、それに対する異論は許されない。だからナチスやユダヤ人差別を欧米の大学等で学んだ人間は、ナチスは良いこともした、という見解を真っ向から否定し、ナチスは絶対悪であることを啓蒙しようと努めることになる。 実際、欧米の文化や思想を専門とする研究者には、日本人の読者に対してナチスの絶対的な悪行の説明を自らの使命と考えている人が少なくない。彼らはたとえナチスが良いことをしたのだとしてもそれを上回る悪をナチスはしたのだ、という立場さえも不十分だと考える。とにかくナチスは絶対悪であるというが欧米の常識だ、と彼らは説くのだ。 ここで、フランス文学を専門としフランス在住経験もある私の考えを言っておくと、私はナチスが良いこともしたとしてもそれに異論を加えるつもりはまったくない。良いことをしていてもしていなくても、ショアという人類史上類を見ない悪行をしたナチスの罪は増すものでも減じるものでもない、というのが私の立場だ。つまり「ナチスは良いこともした」という指摘はなんの意味もないことになる。 そもそも、残念ながらこのナチスは絶対悪という発想は日本では理解されにくい。その理由としては、まず、日本ではキリスト教などの一神教の文化に馴染みの薄いことが挙げられるだろう。この辺の事情はとても複雑である。一神教の唯一神とは絶対善であり、絶対悪はその対極にあると思われる。神ではない人間が絶対に間違えない、つまり絶対善であることはあり得ないが、唯一神を信仰し自らの行いを絶対善とする人たちは、自分たちと意見を異にする人たちを絶対悪と認定し差別や虐殺を行なってしまう危険性がある、と考える人が日本には多い。明らかに一神教に対する無理解からくる発想である。 まず、一神教と言えど伝統的な教団は絶対善とか絶対悪を簡単に喧伝するわけではないことを言っておく。確かに、神は絶対善だとしても、人間は神と違って完璧ではないので、何が善で何が悪かについて絶対的な判断を下せないのである。神が求める善を志向しつつも、人間が人間であるうちはそこに辿り着くことはあり得ないと考えるのであり、一神教の信者だからと言って、カルトのような思考をしているわけではない。しかしキリスト教文化圏ではない日本では伝統宗教とカルトの違いはほぼ理解されていないと言って良いだろう。 また、善悪は立場によって違う相対的なものであるという考えも根強い。例えば、一般に桃太郎は善で鬼は悪だが鬼から見れば桃太郎は身内の虐殺者である、というように、善と悪は相対的で、立場が違えば善悪はひっくり返ることがよくあり、逆転しない正義や絶対善は存在しない、という考えは日本人には馴染みやすいのだろう。自分たちの教祖を絶対善と崇めるカルト集団は敵対する者を、例えばかつてのオウム真理教のように、次々と殺してしまうことになりかねない。伝統宗教の力が弱まった現在の日本の社会で、カルトが勢力を拡大することがあるというのはなんとも不思議な話ではある。 通称しばき隊という反差別を掲げる左翼の活動家に反対の立場をとる「『しばき隊研究家』岡田晴道」というX(旧Twitter)のアカウントが引用している磨伸映一郎という漫画家の『氷室の天地』という作品のセリフからの引用を見てみよう。 人が最も残虐になるときは「悪に染まった」ときではない!真偽どうあれ「正義の側に立った」と思ったときに人は加虐のブレーキが壊れるのだ!何せ「自分は正しい」という免罪符を手に入れてしまうのだからな!正義という名の棍棒(こんぼう)で、悪と見なした者の頭を打ちのめす快楽に溺れてしまうものよ!( まず、磨伸氏のこの漫画はしばき隊 vs. 反しばき隊といった政治運動とは一切関係がなく、岡田氏が自分の主張に合わせて磨伸氏のセリフを使用しているだけ、ということを言っておく。しばき隊とは在日韓国・朝鮮人などへの差別的デモを行う団体に対して、反差別を唱え路上で差別団体と直接対峙し、時には罵声を浴びせることも辞さなかった人たちである。彼らに対しては「反差別」という正義を掲げれば何をしても許されるのか?という批判の声を上げる者もおり、岡田氏はそのうちの一人ということになる。ここにおいても、絶対善を想定しまえば、それが過激な悪の温床になりかねないという思考の一端を読み取ることができる。 誰かを絶対善や絶対悪と見做すことは逆説や差別を助長することになり極めて狂信的で非理性的な考えであるのに対し、人間の行いには良い面と悪い面がありどちらかが全面的に正しかったり悪かったりするというのはあり得ず、どんな善人でも人間は過ちをおかしてしまうものだと考えることは理性的だと見なす人は多い。 あるいは交通事故における過失割合を考えてみよう。互いに動いている車同士がぶつかった場合、どちらかが100%悪いということにはならない。止まっている車がぶつけられたとしても、その車が駐車禁止・駐停車禁止のエリアに止まっていたり、ハザードランプがついていなかったりする場合は、ぶつけられた側の責任も問われることがある。 争っている両者のうちどちらかが100%悪いというのはまずあり得ないという立場を常識とする考えによれば、ナチスは絶対悪であるという見解に疑問を持つようになるのも不自然ではない。そのような考えの下、ナチスを絶対悪と見做す人はどこかで間違っており、どんな団体であろうと、良い面と悪い面を冷静に分析し判断することこそが正しい振る舞いなのだと考え、その結果「ナチスは良いこともした」という言葉へと行き着くのだろう。そういう人たちにとっては、ナチスを絶対悪だと啓蒙する学者はなんらかのイデオロギーに染まった冷静な判断のできない可哀想な人たちに見えているものと思われる。当然、研究者はなんとか啓蒙しようと言葉を重ねるが、おそらくこの手の議論は永遠に平行線だ。 実は「ナチスは良いこともした」という言葉にこだわる人々の多くは、ナチスだの欧米の状況だのには興味がないのではないだろうか? 彼らの関心は旧日本軍にあり、何とか第二次世界大戦当時の大日本帝国を擁護したい人たちが言い出したものと思われる。大抵の場合、戦争や喧嘩でどちらが一方的に悪いというのはあり得ない。だから講和交渉においては様々な条件がつけられることになる。例えば、日露戦争においては日本は勝ったものの賠償金は得られなかった。対して、第二次世界大戦は日本の無条件降伏で終わった。ネットを覗いてみれば、それが気に食わない人というのは一定数存在する。彼らは日本の側にだって正義があったはずなのに、原子爆弾という巨大暴力によって無理やり100%悪いことにされてしまった、と考える。ここで彼らの言う日本の側の正義とは、日本がアジア各国に進出したのはアメリカが日本への石油の輸出を止めたために日本の社会が立ち行かなくなったことが原因で太平洋戦争はアメリカの攻撃に対する防衛戦争であって決して侵略戦争ではない、とか、日本帝国は他のアジア諸国に侵攻したがそれはそれらの国を欧米列強の植民地支配から解放するという善の側面も持っていた、などの主張である。これらの見解に私は決して賛成はしないが、気持ちはわからなくはない。 この手の話を聞くと、私はフランス文学研究の恩師である田中仁彦先生のことを思い出す。先生は海軍兵学校の出身で戦争が終わるまで天皇陛下のために死ぬことが正義だと思っていたという。しかし敗戦によりその正義は崩れてしまう。戦後、共産主義に走るがそれもソヴィエト連邦崩壊によりまた正義がひっくり返ってしまった。学内では右翼の論客として名高い渡部昇一氏から左翼として敵視されていたという。私たちの世代からすれば、小さい頃から旧日本軍の悪行は教わってきていたし、自分が左翼という自覚はあるもののソ連の共産主義が紛い物だというのはもはや当たり前の事実であった。だが、人生の中で自分が信じている正義が何回もひっくり返るという経験をなされた先生の言葉には重みが感じられた。その先生はよく、植民地支配は日本だけではなく欧米各国も行っていたのであり、敗戦により日本や枢軸国だけが悪いことになってしまうのは不公平だと言う右翼の気持ちもわかると語っておられた。だが、核兵器が登場してしまった状況では、二度と世界大戦は行ってはいけないわけで、それを避けるために日本が悪役を引き受けるのは仕方がないのではないか、と語っておられた。もちろん、この田中先生の意見には賛否両論あるであろう。 大日本帝国擁護者の人々にとって、ナチスドイツと同盟していたという事実は甚だ都合が悪い。ナチスは絶対悪なので、そのドイツと同盟を組んでいた大日本帝国が悪く言われるのは仕方がないじゃないか、と言われてしまうからである。そういう人たちが「ナチスは良いこともした」という言葉に飛びついてしまうのだろう。世界を善と悪の二つに分けてしまうのはあまりに単純で雑な議論であり、ナチスや差別主義者を攻撃する人の中には絶対悪を設定することによって自らを絶対善に祀りあげてしまうカルト的な姿勢を取るものもいるが、そこは冷静に理性的に考えることが大切である、と彼らは考えるのだ。彼らにとっては、ナチスは絶対悪だと唱える学者先生の方こそが、イデオロギーに侵されたカルト的な思考の持ち主に映るだろう。 その上で、なぜナチスのユダヤ人虐殺が絶対悪と見なされるようになったのかを解説していこう。ナチスの蛮行はただの虐殺ではないのである。もちろん、良い虐殺と悪い虐殺があるわけではない。ただ、旧日本軍が南京やシンガポールで行った虐殺とナチスの蛮行は質を異にしている。旧日本軍のような虐殺は、フランス軍もアルジェリアで、イギリス軍もインドで行なっている。あるいは中国最初の歴史書である『史記』を読めば、それぞれの国が捕虜を虐殺したという記述が見つかる。対して、ナチスが行なったのは、人を大量に殺すだけではなく、ユダヤ人が存在したという事実そのものを歴史から消去しようという試みであった。そのために、ユダヤ人が存在したという文書や墓などの遺跡全てをこの世から葬り去ろうとしたのである。このような虐殺は人類史上初めてのことであった。 クロード・ランズマンは自らの映画の『SHOAH ショア』というタイトルに関して、ナチスの蛮行にはホロコーストではなく、ヘブライ語で「絶滅、破滅」あるいは「破局、カタストロフィ」を意味する「Shoah」を使うべきだとしている。ギリシア語起源の「holocaust ホロコースト」はユダヤ教の儀式において生贄を丸焼きにして神に捧げること、あるいは犠牲を意味する。虐殺されたユダヤ人を神へ捧げられた生贄として捉え、この犠牲の先にユダヤ人の未来があるという意味が込められ虐殺を美化していると取ることも可能だ。映画『ショア』のテクストを翻訳して刊行した書籍の解説の中で、高橋武智氏も「『虐殺されたユダヤ人たちが実は神のいけにえだった』ことになり、コノテーション(言外の意味)としては全く不適切な用語といわざるをえない」と書く。 . フランス19世紀末の詩人ステファヌ・マラルメについて論文を書いている私の立場から言っても、ナチスのユダヤ人大虐殺をホロコーストを呼ぶのはあまり気分の良いものではない。マラルメは『ハムレット』というテクストの中で「すべての時までに拡大された一年のホロコーストの壮麗さよ、さらば」と書いている。マラルメには自然が繰り広げる演劇という発想があり、ここでは『ハムレット』というシェークスピアの演劇作品とその自然の演劇を照らし合わしている。自然の演劇とはフォンテーヌブローの森の木々が秋に紅葉し落ちる様をいう。夏の間、フォンテーヌブローの家で過ごしていたマラルメは秋になると仕事のためにパリに戻る。ヨーロッパは、学校も演劇なども秋にシーズンが始まるのだ。人々がパリに戻り、誰も見ていないところでフォンテーヌブローの森の木々は紅葉と落葉という演劇を行なっていると詩人は書く。実際にマラルメのフォンテーヌブローの別荘を訪れマラルメの部屋に入ってみると、西側に開かれた窓からは、セーヌ川が流れ、その向こうにフォンテーヌブローの森が広がっているのが見える。つまり秋になると夕暮れ時にはこの窓からはセーヌ川の向こうのフォンテーヌブローの森に夕日が落ちていく光景が広がることになる。赤や黄色に染まった木々の葉の上に真っ赤な太陽が降りていく様は、確かに生贄を燃やして天の神に捧げる儀式のようだとマラルメの目には映ったのであろう。この光景の描写は、マラルメの詩学を語る上で重要なテーマとなっている。19世紀末というこの時代、ナチスはまだ歴史の舞台に登場していない。マラルメの詩を愛する者としては、ナチスの蛮行をホロコーストと呼ぶことは何かが汚されているような気がするのだ。
トランプのアメリカ、ライシテのフランス、福音派とカトリック 第一回『ナチスと絶対悪 − フランス文学研究の立場から』 - ブリタニアグループ
『ナチスは「良いこと」もしたのか?』という本が話題に上がった。著者に異論があるわけではないが、この「ナチスは
19/02/2025
○日本文学史は『記紀』に始まる『古事記』と『日本書紀』は、一括して『記紀』とよばれます。日本文学史をかたるとき、発端におかれるのがこのふたつです。わが国であらわされた書物のうち、完本がのこる最古のものが『古事記』。『日本書紀』がこれにつぎます。文学史の起点に『記紀』が置かれてもあたりまえである。そんな声も聴こえてきそうです。けれども『記紀』は、史書としてうみだされました。歴史の本が文学史に席をあたえられる。そこには理由があるはずです。『記紀』はなぜ、「文学」としてあつかわれるのか。両者はともに、編纂目的にそくした文体をもち、精妙に組みあげられています。ことばの彩をつくし、ときには虚構をかまえる。そんなふうにして読者にはたらきかけていく。こうした特質ゆえにこの二著は、文学史のなかで論じられる資格をもつのです。 ○「第二の中華帝国」をめざして編まれた『日本書紀』 天智10(672)年。大海人おおあまの皇子おうじは、兄・天智天皇の子である大友皇子を打倒すべく兵を挙げました。壬申の乱とよばれるこの戦いで、大海人皇子は勝利をおさめます。そしてあくる年に即位、天武天皇の誕生です。 戦勝によって君主となったカリスマ。この「じぶんにしかない力」をもちいて、天武は改革をおしすすめます。それまで「倭」と称していた国号を「日本」に改めた。それまでの「大王おおきみ」にかわる君主のよび名として「天皇」を定着させた。これらはいずれも、天武朝の事績です。 この国を「第二の中華帝国」にする。そこに天武のもくろみはありました。 君主という点ではかわりはなくても、「王キング」と「帝エンペラー」はちがいます。「王」はローカルな権力者。「帝」はいく人もの「王」のうえに君臨する「複合国家」の統治者です。古代東アジアでは、中国皇帝だけが「帝」の名にふさわしい存在でした。ほかの君主は、べつの「王」をしたがえていないので「帝」とはいえない。 この列島の支配者も、倭の「王」と外国からよばれてきました。国内的にも「大王・」といわれていた。これに対し、新称号である「天皇」は「帝」です。 ――「皇帝」とは一線を画するので、中国の君主とは競合しない。ただし格としては、「皇帝」と肩をならべる。 そういう存在として、わが国の支配者を位置づけなおしたい。「天皇」というネーミングには、そんな意図がたくされています。 天武は、律令の制定も命じました。律令というのは、地域をこえて人民の指針となる普遍の法。これをさだめられるのは、「皇帝」だけです。周辺国がこれをもつことを、中国の歴代王朝はみとめなかった。その「禁忌」に天武は挑んだわけです。ここにも、「中国と対等の地位に自国を押しあげる」というねらいがうかがえます。 天武がこんな「虎の尾をふむ政策」を打ちだせたのは、この国が島国だからでした。 「海をわたって倭に干渉するのはコストがかさむ。よほど目にあまらないかぎり、やつらのやりたいようにやらせよう」 古代中国は、これを基本方針にしていました(陸つづきの国がおなじことをしたら、武力で圧をかけられたでしょう)。 「漢文で書かれた国史」を国家事情としてつくる。これも「中国とおなじことができるアピール」の一環でした。 天武10(681)年、『日本書紀』(以下、『紀』と表記)の編纂準備がはじまりました。律令制定の命がくだされた二十二日後のことです。五年後に天武は崩御。最終的には、舎人親王とねりしんのう(天武の皇子)が責任者となって『紀』を完結させました。ときに養老4(720)年。四十年がかりの難事業でした。『紀』は、本文がすべて漢文でつづられています。和歌や歌謡も出てきますが、それを表記するには漢字のあて字がつかわれる。たとえば、こんなぐあいです。 烏波利珥ヲハリニ 多陀珥霧加弊流タタニムカヘル 比苔莵麻莵ヒトツマツ阿波例アハレ 比等莵麻莵ヒトツマツ 比苔珥阿利勢麼ヒトニアリセハ 岐農岐勢摩之塢キヌキセマシヲ 多知波開摩之塢タチハケマシヲ 尾張に 直ただに向へる 一つ松あはれ 一つ松人にありせば 衣きぬ著きせましを 太刀佩はけましを 尾張国のほうをまっすぐむいて立っている一本松よ、ああ。一本松よ、おまえが人間だったなら、服を着せてやるのにな。太刀を佩びさせてやるのにな――和歌や歌謡は、一句あたりの音の数が形式によって決まっています。枕詞のような「音調をととのえるだけで、意味はあらわさない語」もふくまれる。漢文に訳してしまうと、「歌」の存在理由はそこなわれます。かな文字がまだ成立せず、漢字のみしかつかえない状況でこの弊をどう避けるか。その苦肉の策が、「夜露死苦」方式のあて字でした。『紀』を成立させるについての困難は、「歌」の表記だけにとどまりません。なにせ、三十巻におよぶ大著(本文だけで、文庫本千五百頁をこえます)。それを漢文でつづる労苦は、なみたいていではない(日本語ネイティヴが、これだけの分量を英語で記すばあいを想像してください)。渡来していた中国人にも助力をあおぎ、国をあげて編纂にとりくんだ。そのすえにようやく『紀』はできあがったわけです。 〇なぜ『古事記』は必要とされたのか 中国歴代王朝は、じぶんたちの正統を証明するため国史を編みます。もちろんそれらは、漢文でかかれている。あまたの障壁をのりこえ、天武はこれにならおうとした。それだけではありません。この作業と並行してもうひとつ、史書の制作をくわだてたのです。 天武は、近侍する舎人・稗田阿礼ひえだのあれに古記録類の暗誦を命じます。このとき記憶したものを阿礼が口述、これを太安万侶おおのやすまろが筆録した。こうしてできたのが『古事記』(以下『記』と略)です。その成立は『紀』にさきだつこと八年、和銅5(712)年でした。 『紀』の編纂は、それだけで難事業。歴史の記録につかえる人材は、のこらずそこに投入されたはずです。そうした状況で、『古事記』のプロジェクトまで走りださせた。ここまでの「無理」をおかす必要は、どこにあったのでしょうか。『紀』とことなり、『記』は純然たる漢文体をもちません。そこで採用されているのは、漢文とあて字が混在する独特のスタイルです。 これを訓みくだすと、つぎのようになります。 「奴那登母母由良爾」と「佐賀美邇迦美」。この二箇所は、注にもあるとおり、あて字をつかって表記されています。「宇氣布」も、漢字の音をかりて日本語をあらわしたもの(傍線(A)と(あ)を参照)。ほかの部分は、漢文に準じるかかれかたになっています。 『記』と『紀』のちがいは、文体だけではありません。場面構成のありかたが、原理的にちがうのです。『記』は、最善のストーリー、最善の解釈をひとつだけ語ろうとします。これに対し『紀』では、いくつもの異説が併記される。 たとえば天孫降臨の場面。「皇祖」として地上を治めるようニニギは命じられます。『記』において、ここで指令を発するのは高木神とアマテラスの二神(「高木神」というのは、タカミムスビの異称)。これ以外の説はしめされません。いっぽう『紀』では、ニニギはタカミムスビにさしずされたことになっている。さらに、アマテラスがニニギを降臨させたという伝承も異説としてかたられます。 アマテラスが皇祖神になったのは、天武即位後のこと。その称号はもともと、タカミムスビのものであった――そういう説が近年、有力視されています。いずれにせよ、いまの皇統が確定するにつき、紆余曲折があったのは確実です。『紀』は、その過程でうまれたもろもろの伝承をならべて記述します。『記』は、アマテラスから天武にいたる「一本道」を印象づけようとする(そのぶん、「一本道」からはずれる説を、「一本道」にとりこむ趣向がこらされます。タカミムスビに「ニニギへの共同命令者」の地位をあたえているのもその一例)。 アマテラスを祖とする「天皇」が、唯一絶対の君主である。そのことを、「ほかの可能性はありえない必然」として、『記』はかたりとる。「国家公認の歴史書」である『紀』は、異説をならべて客観性を装わんとする。 天皇は、この国を支配する資格をもつ。この事実を自明のものとして、国内の諸氏族に印象づけるために『記』はかかれた。これがいまの段階における「定説」です。天武は、武力で王位をうばいとったので、正統性をアピールする必要に駆られていた。性急ともみえるやりかたで、『記』をまとめようとしたのはおそらくこのためでした。このとき、『紀』とは素性のちがう国内むけ文書である旨を明示する必要があった。そうかんがえるなら、地の文に「あて字」が混じる理由もなっとくできます。 「奴那登母母由良爾」と「佐賀美邇迦美」。この二箇所は、注にもあるとおり、あて字をつかって表記されています。「宇氣布」も、漢字の音をかりて日本語をあらわしたもの(傍線(A)と(あ)を参照)。ほかの部分は、漢文に準じるかかれかたになっています。 『記』と『紀』のちがいは、文体だけではありません。場面構成のありかたが、原理的にちがうのです。『記』は、最善のストーリー、最善の解釈をひとつだけ語ろうとします。これに対し『紀』では、いくつもの異説が併記される。 たとえば天孫降臨の場面。「皇祖」として地上を治めるようニニギは命じられます。『記』において、ここで指令を発するのは高木神とアマテラスの二神(「高木神」というのは、タカミムスビの異称)。これ以外の説はしめされません。いっぽう『紀』では、ニニギはタカミムスビにさしずされたことになっている。さらに、アマテラスがニニギを降臨させたという伝承も異説としてかたられます。 アマテラスが皇祖神になったのは、天武即位後のこと。その称号はもともと、タカミムスビのものであった――そういう説が近年、有力視されています。いずれにせよ、いまの皇統が確定するにつき、紆余曲折があったのは確実です。『紀』は、その過程でうまれたもろもろの伝承をならべて記述します。『記』は、アマテラスから天武にいたる「一本道」を印象づけようとする(そのぶん、「一本道」からはずれる説を、「一本道」にとりこむ趣向がこらされます。タカミムスビに「ニニギへの共同命令者」の地位をあたえているのもその一例)。 アマテラスを祖とする「天皇」が、唯一絶対の君主である。そのことを、「ほかの可能性はありえない必然」として、『記』はかたりとる。「国家公認の歴史書」である『紀』は、異説をならべて客観性を装わんとする。 天皇は、この国を支配する資格をもつ。この事実を自明のものとして、国内の諸氏族に印象づけるために『記』はかかれた。これがいまの段階における「定説」です。天武は、武力で王位をうばいとったので、正統性をアピールする必要に駆られていた。性急ともみえるやりかたで、『記』をまとめようとしたのはおそらくこのためでした。このとき、『紀』とは素性のちがう国内むけ文書である旨を明示する必要があった。そうかんがえるなら、地の文に「あて字」が混じる理由もなっとくできます。 〇『記』と『紀』、それぞれのヤマトタケル像 どのように読まれたいか――そこにちがいがあれば、おなじ話柄がまったくべつのかかれかたをするのも当然です。 『記』と『紀』で、ヤマトタケル物語の大枠はかわりません。景行天皇の皇子・小碓おうすの命みことが、クマソタケルを討伐するべく西国に赴く。みごと使命をはたし、瀕死のクマソタケルからヤマトタケルの名をたてまつられる。つぎにむかった東国でも数かずの「服従せざるもの」を平定。しかし、伊吹山の神から呪いをうけ、大和にむかう途上で命をおとす。死後、その魂は白鳥となって飛翔する。 こうした「あらすじ」を、『記』と『紀』は共有しています。にもかかわらず、両者を読んでの印象にはずいぶんちがいがある。 美濃国の美人姉妹を、景行天皇が後宮に召そうとする。『記』のヤマトタケル物語はそこからはじまります。姉妹をむかえにつかわされたのは、小碓命の同腹の兄である大碓おおうす命のみこと。かれは、姉妹をじぶんのキサキにしてしまい、父帝には替え玉を献上する。天皇は、すりかえの事実を知っていながら大碓命をとがめない。それでいて身がわりの女性たちは、指もふれずに放置する(天皇は息子による「横領」を、内心ではうらんでいたのです)。行き場をうしなった代役のふたりはたいそうかなしんだ。『記』にはそうしるされています。 姉妹をよこどりしてやましいのか、大碓命は、父帝との食事の場に顔をみせなくなる。こういう席にはでるものだと兄にわからせることを、天皇は小碓命に命じます。 それから五日たっても、大碓命は天皇のまえにあらわれない。小碓命に帝は訊く。 「兄にはもう、わからせてやったか?」「わからせてやりました」...
十分でわかる日本古典文学のキモ 連載十五回 『古事記』と『日本書紀』~この国のシステムをつくった「ふたご」の歴史書~ - ブリタニアグループ
○日本文学史は『記紀』に始まる『古事記』と『日本書紀』は、一括して『記紀』とよばれます。日本文学史をかたるとき
29/01/2025
今日は、『平家物語』の話をする番だったよね。 はじめてぼくが『平家物語』にふれたのは、こどもむけリライト版を読んだとき。もう四十年以上まえのことだ。『ルパン三世 カリオストロの城』の映画が公開されてまもないころだった。 清盛が、熱病になって死んじゃう場面が衝撃でね。石づくりの浴槽に水をみたして、そこに清盛をいれたらすぐ沸騰したとか。清盛のからだに水をまいたら、やけた鉄板にまいたみたいに音を立ててはじけたとか。 そんなになるなんてなんの病気だろう? ふしぎにおもって翌日、近所の図書館でカウンターにいるおじさんに訊いてみた。おじさんはいろいろしらべてくれた。それで清盛の病気は、マラリアらしいってわかった。 「マラリアは伝染病でね。蚊にさされるとうつるんだよ。太平洋戦争のとき、兵隊さんがよくこの病気になった。おじさんのお父さんも、南の島でマラリアにかかって死にかけたんだ。」 「蚊にさされたら、ぼくも清盛みたいになる?」 ちょっとこわくなって、「たすけて」っていうような気持でぼくはおじさんをみた。 「日本にいてマラリアになるひとは、いまはもういないよね。むかしはいたんだけど、気候がかわったんだろうねえ――」 おじさんは、にっこりわらっていった。タレ目で、髪の毛が半分しろくなったおじさんだ。そのとき、五十歳をちょっとすぎたぐらいで……小学校三年生で、『百人一首』と『源氏物語』にめざめたって話、このまえしたよね。 「吉永小百合の藤壺が観たい」 そんなことを口にしても、小学校の先生だってうけとめてくれない。両親も全面的にスルーしてくる。ぼくが「古典トーク」をできるのは、当時はこのおじさんだけだった。 「あとね、きみ、体温計がどうして四十二度までしかないか、しってるかい?」 昭和のころの体温計は、目もりではかるやつだった。 「しらない」 ぼくがいうと、おじさんはもういちど。にっこりした。わらうと目じりに、たくさん皺がうかぶひとだった。 「人間は、体温が四十二度をこえることはありえない。それより熱があがると、からだの組織がとけてしまう……それでね、水が沸騰する温度は百度だろう?」 おじさんがなにをいいたいのか、わからなかった。ぼくは理科が苦手だ。だから、おじさんの理科っぽいはなしにイラっときた。 「沸騰のはなしはいいよ。清盛についてもっとはなしてほしい」 「これ、清盛のはなしだよ」 おじさんは、目をまるくしてふざけるような調子でいった。 「水を沸騰させるには、百度以上の必要なんだよ。ところが、人間の体温は百度になんてなれない。水に清盛を投げこんだら沸騰したってのは、つくり話ということだね」 ぼくはすこしがっかりした。じぶんが清盛みたいになるのはこわい。でも、ひどい熱をだしてからだで湯をわかす武士がいたらおもしろい。どこかで、そうおもってた。 「そんなつくりばなしをどうしてするの? おおげさなほうがおもしろいから?」 おじさんは、ポリポリ、左手で頭をかきながらぼくの目をみた。 「『平家物語』の話、もっと聴きたいかい?」 ぼくは、こっくりうなずいた。 「じゃあ、あと二十分ぐらいで図書館は閉館だから、玄関のまえで待っててくれる?」 図書館の正面入りぐちのわきに、赤い公衆電話があった。そこから家に電話した。図書館のおじさんに歴史のはなしをしてもらうから、帰るのは七時ぐらいかも―― おじさんは、ちかくにある小さな喫茶室にぼくをつれていった。そして、ホットケーキと紅茶をたのんでくれた。ぼくがホットケーキを食べおわると、おじさんはしずかに話しはじめた…… ――もし、からだの熱でお湯をわかしちゃう武士がほんとにいたら、きみはどうおもう? 人間じゃねぇ、怪物じみているって、感じるんじゃないかな。昔のひとたちも、おなじだったとおもう。清盛はバケモノか超人だ。『平家物語』の清盛が死ぬあたりを読んで、そんな印象をもったんじゃないかな。 それでね、『平家物語』に出てくる武士で、怪物みたいなのが、ほかにもいるだろう? 木曾だよ、木曽義仲。 義仲は、ずっと木曽の山のなかでくらしていた。魚といえば干ものしかたべたことがなかった。都にやってきて、はじめて生の魚を口にいれたんだ。そうしたら、あんまりおいしいんでびっくりした。 「これはなんなんだ?」 おもわずまわりにたすねた。返事は「無塩むえんの魚です」だった。「ムエン」というのはね、「塩づけにしてない」っていう意味。でも義仲は、とれたてのものはなんでも、「ムエン」っていうんだと勘ちがいした。 ある日、猫間中納言というひとが義仲のところにやってきた。このとき、新鮮なきのこが屋敷にあったんだ。それで義仲は、きのこをメガ盛りごはんといっしょにだした。 「ムエンのきのこだ! たべてくれ!」 そう義仲はいっちゃった。猫間中納言はこまって、ひとくちも食事に手をつけなかった。これをみて義仲は大笑いした。 「これがうわさの猫まんまってヤツか!」 「猫まんま」は、「小食」っていう意味だ。 義仲は、ことばの発音もヘンだった。『平家物語』にはそう書かれている。田舎ものだから、京都の貴族のことばをしゃべれなかったって。 「田舎ものなのに、柄にもなく都に出てきていばった。だから、笑われて、きらわれた」 『平家物語』の義仲は、そういうキャラに設定されている。でも、じっさいの義仲はそれとはちがってた。 木曽でそだったのも、都にでてきたのも、事情があってのことだった。 義仲がうまれたのは、いまの埼玉のあたり。まだちいさかったころ、父親の義賢が、頼朝の父・義朝とあらそって殺された。義仲も、命があぶなくなって木曽に逃げたんだ。 平家とたたかって都にのぼったのも、そうしないと生きのこれないからだった。木曽でおとなしくしてたら、頼朝か平家に滅ぼされてたかもしれない…… でも、『平家物語』には、義仲の生いたちが不幸だったことは、かかれてない。平家に勝って都にむかうしか、たすかるみちがなかったことも。 あとで説明するけど、じっさいの義仲は「貴族の常識」をわきまえていた。山奥から都にでてきたのも、そうする必要があったからだ。なのに『平家物語』は、似あわないことばかりするエイリアンみたいに、義仲を語る。 どうしてそんなふうにしたのか。清盛を怪獣にしたのと、おなじ理由からだとおもう。 清盛は、すごい権力を手にしたけど、死んだら四年で平家はほろびた。義仲も、平家を都から追いだして、討ち死にするまでたったの六ヶ月だ。天下をとったのに末路は不幸だった――そういう武士は、バケモノあつかいにする。それが『平家物語』の方針なんだ。 それでね、『平家物語』にはこんな場面がある。義仲は都にやってきてまもなく、越後の守のポストについた。なのにそれからすぐに、『やっぱり越後じゃいやだ』といいだした。そこであらためて、伊予の守に任じられた。このことは、当時の記録にもでてくるから、現実にあったことだとおもう。 伊予の国が、いまの愛媛県だって、きみは『源氏物語』マニアだから知ってるよね? そして、越後は新潟だ。 現代では、愛媛県知事と新潟県知事のえらさ・・・に変わりはない。でも『平家物語』の時代、伊予の守と越後の守では格がちがってた。 伊予の守と越後の守、どっちが上なのか。...
十分でわかる日本古典文学のキモ 連載十四回 『平家物語』~「生きのびる知恵」と「鎮魂のおもい」が託された書 - ブリタニアグループ
今日は、『平家物語』の話をする番だったよね。 はじめてぼくが『平家物語』にふれたのは、こどもむけリライト版
29/11/2024
以前掲載したコラム「新たな哲学史の必要性」で、旧来とは異なるが、なおマルクス主義に立脚した哲学史理解が必要とされているのではと示唆した。 それは複雑極まりない現代社会が、その根底のところではやはり資本主義であり続けていて、資本主義ならではの矛盾の噴出が現代社会における混迷の主要原因の一つに数える他はないという事実に根拠付けられる。 例えば環境問題である。 環境問題の原因は数多あり単純化できないが、自然を無限に利用可能な富の源泉として永久に開発し続ける経済政策と、そうした開発のあり方を当然視する社会的エートスと個々人のメンタリティの組み合わせが首尾よく環境を破壊する条件なのは疑い得ない。そしてこうした組み合わせは勿論、資本主義という経済体制と、そうした経済の中に生きる多数の常識でもある。 今日では流石に、資本主義という前提自体を疑う声が無視できない大きさになるほど環境問題の深刻さが増してはいるが、資本主義そのものを変革すべきだという声は常識に程遠く、あくまで資本主義の枠内での漸次的改良という基本戦略は崩れていない。現行のように徒に利便性を追求するライフスタイルは持続可能ではないが、しかし既存のライフスタイルの変更は視野に入らず、変わらず維持されるのは当然の前提となっている。それはまさに、そうしたライフスタイルこそが資本主義に適合的だからである。 資本主義とはその成立当初から、環境問題それ自体を「外部」化して視野に収めない経済体制だった。この体制が問うまでもない大前提としていたのは、自然はいつまでも開発可能で,開発に伴う汚染も自然の浄化作用で自ずと解決されるという社会常識である。それはこの体制が確立し発展していた時代に旧通する常識でもあった。それだから、資本主義がそうした当時の常識に即したシステムとして確立し、発展することができたのである。資本主義とは無目的に利潤を追求し、終わることのない成長を当然視する経済体制である。今日のように地球環境全体の脆弱性が強く意識されていたら、資本主義は成立し得ないのである。 ということはまさに環境問題こそが資本主義の絶対的な古さ、それが現在の一方の常識とは適合し得ないシステムであることを示している。その常識とは地球環境は有限であり、永遠の経済成長は不可能なのだから、人々は恣に利便性を追求すべきではなく、自然を無限な富の源泉と見なして搾取するが如き態度は辞めなければならないという考え方である。 他方でこの常識はもう一方のよりずっと強力な常識によって広がり難くなっている。確かに環境問題は深刻であり、そこに資本主義的な利潤追求の悪弊があることは認めるが、しかし社会主義は旧ソ連や東欧といった現実(に存在した)社会主義の崩壊により、その間違いが実証された。従って最早選択肢は存在せず、全ては資本主義の枠内での改善のみが可能だという通念である。 そしてこうした資本主義しかないという思い込みは、それだから資本主義のままでも何とかなるという期待に転換される。確かに資本主義は幾多の危機を乗り越えて存続し続けているので、資本主義でも大丈夫だという期待は無根拠ではなく、それなりに合理性がある。しかしこれまで大丈夫だったことはこれからも大丈夫なことの理由にはならない。予め最善の状態にして危機の備えるのが望ましい。資本主義でも大丈夫かも知れないが、資本主義ならではの野放図な利潤追求が環境破壊をもたらしているのは間違いないのだから、予め利潤を原理にしない形に社会をアップデートしておくのが、環境危機の時代にはふさわしい。しかし、資本主義しか可能ではないという思い込みが蔓延しているため、社会主義的変革という、実は合理的な提言は、無理筋な少数意見の位置に留められる。 確かに崩壊した現実社会主義が実際に社会主義であったのならば、資本主義しかないというのは単なる思い込みではなく、至極もっともな判断である。しかし崩壊した現実社会主義は実は社会主義ではなく、むしろ資本主義によく似た人間抑圧社会に過ぎない(詳しくは拙著『これからの社会主義入門:環境の世紀における批判的マルクス主義』あけび書房、2023年、参照)。それだから、現実社会主義の崩壊は社会主義が不可能なことを示す実例ではない。 それでもやはり資本主義が支持され続けるのは、資本主義自体が強力に自己弁護のためのイデオロギーを再生産し続けると共に、資本主義が推薦する無原則な大量消費型生活様式への抗い難い魅力が、個々人に強く内面化されているからである。 資本主義では売れるか売れないかが重要で、さして売れなくてもそれ自体が望ましい商品は一部好事家向けにマイナー化されざるを得ない。環境負荷からすれば動物成分を含む食事よりもビーガンが選択されるべきだが、肉食への選好が広く確立されている現状にあっては、ビーガニズムはどうしても少数派に留まる。持続可能性を重視するのならば、食品産業は動物性食品の生産を漸次減らし、ビーガニズム製品の比率を高めるようにするべきだが、消費者の選好は相変わらず肉食中心なので、大量の需要を賄うために大量の動物が飼育され、増え過ぎた畜産動物により環境は破壊され続けるのである。勿論こうした因果関係は畜産だけの話ではなく、全産業分野で環境保全のような社会的価値よりも利潤が重視される。 しかしこのことは、仮に環境に優しい消費材が食肉のような環境破壊商品よりも選好されるようになれば、それがただ売れるという理由だけで資本主義でも大きな改善がもたらされる可能性も大ということである。その意味では、資本主義の枠内でもやれることは多々あるという話にもなる。 こうしたことは哲学という学問にあっても当てはまるというのが私の考えであり、私が依拠するマルクス主義の視座でもある。 哲学は物事の究極的な本質を問う学問で、今ここで問題にしたような資本主義的な消費生活のような形而下的要素とは縁遠い分野だと思われがちだろう。哲学が問うのは社会のあり方や時事といったこととは独立した、超時間的で深遠な究極の真理の如きものだというような見方が大きく広がっている。実際にプラトンを代表に古典的な巨匠の多くが、哲学の神髄を無時間的で超越的な、つまりは形而上学的な領域に沈潜する「深い思索」に見出してきた。現代を代表する哲学者の一人と見なされるハイデガーもプラトン以降の形而上学の歴史を批判したが、その求めるところは「存在の声」のような時事問題とは隔絶した深遠な何物かだった。 しかしこうした現実の社会生活と無縁に思われるような思索も、当の哲学者が生きる具体的な歴史状況に深く影響されているのが常である。 プラトンと言えば主著『国家』での洞窟の比喩が有名である。哲学的な思索とは縁がなく、それがためにイデアという世界の真理を知らない一般大衆は、あたかも洞窟に閉じ込められた囚人が壁に照らされた影絵を真実だと思い込まされているが如きだという比喩である。 一見して高尚で、時事性には程遠い話のようだが、ここで真理を知らない大衆を洞窟の囚人に例えているのは偶然とは言い難い。プラトンが生きていた古代ギリシア世界は奴隷制社会である。プラトンも含めて当時の哲学者は基本的に奴隷ではなく自由人であり、その生活は奴隷労働によって支えられていた。そして奴隷の中には鉱山で働く者もいて、奴隷による金や銅の採掘が、プラトンも住んでいたアテナイが繁栄できた一因となっていた。当然そうした鉱山奴隷の存在は、プラトンの知るところでもあっただろう。まさにプラトンが描く洞窟の囚人は、実際に鉱山で働く奴隷を彷彿とさせる。明言されていないので実際にプラトンが鉱山奴隷を意図的にモデルにしたかは定かではない。しかしたとえ意図せざることであっても、無知な大衆を洞窟の囚人になぞらえるという発想自体が奴隷制社会で特権階級として生きたプラトン自身の日常生活に根差していたのではというのは、ごく自然な類推だろう。 こうしたことはプラトンに限ったことではなく、哲学的な思索一般が哲学者自身の日常生活の状況に基本的に規定されざるを得ないことの一例に過ぎない。一見して日常的な具体性と隔絶したかに見える哲学上の抽象的な議論に、実はその議論がなされていた当時の具体的な社会のあり方が強く刻印されているというのは、例外というよりもむしろ一般的な傾向である。 このことはまさに、生活が意識を規定するという『ドイツ・イデオロギー』以来のマルクス主義の基本観点が教えるところでもある。哲学もまた、人々の日常生活に規定された思索が必然的に哲学と呼ばれるような形になった時に生まれたのである。 哲学はそれ以前の神話とは異なり、抽象的な原理でもって世界のあり方を説明しようとする。アリストテレスが最初の哲学者としたのは、世界の「アルケー」(始原)を水だとしたタレスである。そしてタレスの弟子とされるアナクシマンドロスは文字通り初めてアルケーという言葉を用いて、世界の始原をト・アペイロン(無限なるもの)という、全く以て抽象的な概念で説明しようとした。これはつまり、タレスやアナクシマンドロスにはそれ以前の人々ができなかった抽象的な思考ができる社会的条件があったからだというのが、マルクス主義的な観点からする哲学史理解になる。そして実際にそうした社会条件は実在したのである。 タレスやアナクシマンドロスは、アナクシマンドロスの弟子とされるアナクシメネスを含めていわゆる「ミレトス学派」と言われる。この呼称は彼らが現在のトルコに当たるアナトリア半島の沿岸に位置していたポリス(都市国家)であるミレトスの人々だったことに由来する。そして当時のミレトスはギリシア世界でも一早く貨幣経済が発展した場所だった。 世界最初の鋳造貨幣はリュディアのエレクトロン貨で、紀元前7世紀の発明になる。鋳造貨幣は直ちにミレトスにも伝来し、ミレトスではリュディアによる物よりも一層洗練された貨幣が鋳造され、広く流通したと言われる。 鋳造貨幣の普及により、貨幣による商品交換が日常生活の基本線となった。当然ここに計算の風習が根付くことになる。貨幣によって明確に数値化されることによって、大雑把な交換ではなく厳密な等価交換が義務付けられることにもなる。これは等しい物には正確にその対価を与えるべきで、手前勝手に増やしたり減らしたりするするのは不正だという商取引のルールを確立させる。そしてこうした等価交換原理の一般化は、善き行いにはふさわしい報酬を、悪き行いそれに見合った罰を与えるべきだという正義感覚を醸成する土台となった。こうした日常生活の交換実践は、倫理学が生まれる素地を形成する。 こうして鋳造貨幣の発明による商品経済の発展は、人々の日常生活に否応なしに計算という抽象的思考を要請し、習慣化させる。抽象的思考が習慣化した人々の中からやがて、かつては神話的な具象的思考の次元で考えていた世界の起源や成り立ちについて、抽象的な一般原理を用いて説明する者が現れてきた。それが最初の哲学者たちであるミレトス学派の人々であった。つまり、哲学はその出自からして、一見して深遠な形而上学的思索とは無縁に思える日常的な生活実践によって育まれたものだったのである。 抽象的思考から哲学が生まれたが、哲学を生んだ抽象的思考は哲学者の日常生活が貨幣経済という抽象的原理に支配されるようになったからである。日常生活での存在のあり方が、人間の意識を規定するのである。まさに社会的存在が社会的意識を規定するというマルクスの定式通りの事態が、哲学の歴史において生起した。それは哲学もまたマルクスの言うように、経済的土台に対する上部構造としての社会意識という意味でのイデオロギーの一領域に他ならないからだ。貨幣経済によって人間の社会的な存在が抽象化されたから、思考も抽象化されたのである。 しかし哲学を育んだ貨幣経済それ自体は、人間にとって永続的な経済秩序とするのにふさわしくないシステムである。なぜなら貨幣経済が全面的に発達した社会こそが資本主義であり、資本主義とは労働力の商品化に基づく賃金奴隷制社会にして、疎外された労働生産物の怪物的転化である資本によって労働者が支配される社会だからである。資本主義において労働者である大衆は自らが意図せず創り出した資本とその人格化である少数の資本家に支配される。商品貨幣経済はこうした人間にとって望ましくない資本主義的な生産様式によく適合する。それだから資本主義とはまた最も発展した商品貨幣経済でもあるわけだ。 こうした疎外された商品貨幣経済社会である資本主義を的確に批判する理論的武器を与えたのがマルクスである。 マルクス以前の哲学者には大抵、その思考に商品貨幣経済ならではの要素が刻印されていた。そこで、マルクスに至るまでの哲学の歴史を、ミレトス学派への分析で示したような経済的土台のあり方からの影響関係という観点から振り返ることができないかと考えるわけだ。 旧ソ連東欧や中国などの現実社会主義諸国に見られた旧来の哲学史には、唯物論か観念論か、弁証法的か機械論的かといった幾つかの基準で無造作に進歩的か反動的かを振り分けるような、一面的なレッテル貼りの傾向が見られた。そのためその説明は表面的で精彩を欠いていた。 そうしたこともあって、こうした旧来型のマルクス主義による哲学入門や哲学史の概説は、現実社会主義の崩壊と共に急速に忘れ去られた。しかしこのことは、マルクス主義に依拠する哲学入門や哲学史の解説が不要になったことを意味しない。なぜなら環境問題に集約されるように、資本主義の矛盾は深まる一方だからである。労働力の商品化と利潤追求に依拠しない非市場的な経済社会の実現は、困難ではあるが、持続可能性実現の必須条件である。この意味で、貨幣を批判して市場に囚われない人間と社会を模索するマルクス主義に拠る哲学の展開とそのエッセンスの紹介は、大きな社会的意義がある企画だと思われる。 こうした意図に基づいて、実際に「反資本主義哲学入門」の執筆に進む予定だが、このコラムでもその途中経過を伝えられればと思う。
存在の抽象化から思考の抽象化へ - ブリタニアグループ
以前掲載したコラム「新たな哲学史の必要性」で、旧来とは異なるが、なおマルクス主義に立脚した哲学史理解が必要と
02/10/2019
前回まで、しばらくプロテスタント圏の文学作品における悪魔表象を見てきた。今回からは、しばらく、カトリックであるフランスの文学作品における悪魔表象を見てみたい。 フランス文学における悪魔の描き方の特徴は、ロベール・ミュッシャンブレの以下の言葉にうまく要約されている。 カゾットの物語の独創性は、話の曖昧さを増幅していくその手付きにある。[…] カゾットは逸話の全編に、どうしようもない疑念が漂うように工夫している。[…] そのために、読者は完全な疑念に囚われざるを得ない。なぜなら読者は、綴られた文字が現実を表明しているのか、それとも、喚起された内容の純粋に空想的な側面をなぞっているに過ぎないのか、決して判断が付かないからである。 ジャック・カゾットは18世紀に怪奇譚を執筆し、19世紀フランス幻想文学の先駆けになった作家である。その特徴とは、要するに、主人公の目の前に現れた悪魔が現実のものなのか、それとも主人公が空想の中で作り出した幻の類なのかを、わざと曖昧にしていることだ。 具体的に、カゾットの作品『悪魔の恋』(1772) を見てみよう。25歳のナポリ王の親衛隊付大尉であるスペイン人アルヴァーレが主人公であるこの物語は、主人公の回想録という形を取っている。彼はある日ソベラーノという男に出会い、降霊術(カバラ)の手ほどきを受ける。ソベラーノの教えのままにポルティエの廃墟に赴き呪文を唱えベエルゼビュートと3回呼びかける。すると窓から恐ろしい形相の駱駝の首が現れ、イタリア語で「何か御用?(Che vuoi ?)」と主人公に問う。アルヴァーレは早速この悪魔を「奴隷」呼ばわりをして様々な命令を申し付ける。悪魔は、犬になって靴を舐めろと言われればその通りにし、同行していた友人たちをもてなせと言われれば小姓となって御馳走や演奏を提供し、宴のあと全員をナポリのそれぞれの自宅まで送ろ届けろと言われれば馬車を用意する。 このような悪魔の献身ぶりを目の当たりにしたソベラーノはアルヴァーレに以下のように呟く。 「君、見事な御馳走をしてもらいましたなあ。今に高いものにつきますよ」 ソベラーノだけではなく、やはり降霊術に立ち会ったベルナディロという男も次のような言葉を漏らす。 「アルヴァーレさん、あなたの秘密をお尋ねするのでは決してありませんが、あなたは奇態な取引をなさっているに違いありません。誰だって、あなたほどの持(もて)成(なし)を受けたものはいまだだかつてありませんからね。わたしが勉強して四十年になりますが、一夜のうちに、今し方あなたに示されたような好意の四分の一にだってありついたことはありません。」 通常、悪魔は人間に取引を持ちかけるものだ。財産や地位を与える代わりに神を裏切ることを要求したり、あるいは、泥棒などの悪事に手を貸すが最終的には生命を奪ったりなどする。ところが、ベエルゼビュートは何もアルヴァーレに契約を持ちかけてはいないし、アルヴァーレの方も何も約束してはいない。実際、彼らがナポリのアルヴァーレの自宅に戻ってからの以下の会話を見てみよう。 「だが、前以て君には支払ってあったのだから、僕たちはもう貸し借りなしだと思うよ」「アルヴァーレ様はお心も気高い方ですから、よもやこれでお支払い済みになさるとは思召しませんでしょう?」「もし君が当然なすべきこと以上のことをしたと言うのなら、またもし僕が君に対して借りがあるというのなら、勘定書を出してくれ」 悪魔が行なったサーヴィスに対して報酬が足らなかったのであれば支払おうではないか、という提案である。それに対して、悪魔はこう答える。 「殿様、場ちがいな御冗談はおよしあそばせ」 悪魔の要望は、金ではない。では何かと言えば、女性となりアルヴァーレの側にいることなのである。つまり、悪魔はアルヴァーレに恋をしているということになる。 なお、ここで題名の『悪魔の恋』の悪魔の原語はサタンではなく、デーモンと同系列の「le diable」という言葉であり、ベエルゼビュートとは日本語でいう「ベルゼブブ」、つまり「蝿の王」という意味を持ち聖書の中でサタンに次ぐ力を持つとされる悪魔であることを言い添えておく。 その後、人間の女性ビヨンデッタの姿をした悪魔ベエルゼビュートは、召使としてアルヴァーレに仕え甲斐甲斐しく彼の面倒をみることになる。そのような生活を通して、二人の仲は次第に深まり、やがてアルヴァーレは献身的なビヨンデッタに情を感じるようなる。 ところが、奇妙なことに、ビヨンデッタと生活を共にするアルヴァーレは、時折夢うつつの状態に陥る。例えば、二人がナポリからヴェネツィアへ赴く車の中の描写を見てみよう。 睡眠が私の感覚を奪い、様々な夢を見させてくれましたが、この夢は実に快いものであり、その時まで心の疲労の糧となっていた恐ろしくて奇怪な観念から私をくつろがせるのに、極めて打ってつけのものでした。この眠りは、その上に、非常に長いものでした。ですから、これは後になってからの話ですが、ある日のこと、母が私の身に起こったことを色々と考えた末に、このまどろみは自然なものではなかったと言い張ったくらいです。 あるいは、ビヨンデッタが恋敵の遊女オランピヤに刺されるシーンを見てみたい。悪魔は元々霊的存在であるが、アルヴァーレと結ばれるべく人間の肉体を持って出現していることを言っておく。だから刺されれば血が流れるし、血が大量に失われればその肉体は死んでしまう。医者にビヨンデッタの受けた傷は致命的だと聞かされ、アルヴァーレは激しく動揺する。 結局興奮のあまり疲れはて、がっくりしてしまい、そのまま眠りこんでしまいました。私は、夢に母が現われ出たように思いました。母に自分の出来事を物語りました。そして、母の同情を一段と惹こうと思って、ポルティエの廃墟のほうへ、母を案内してゆきました。「そこにはいきますまい」と、母は言いました。「あなたは紛れもない危険に陥っています」私たちが狭い峡道にさしかかり、私は無事にそこへはいっていったのですが、突然、一本の手が私を断崖に突き落とします。その手はビヨンデッタの手だということがわかります。私が墜落していますと、もう一本の手が私を引きとめます。そして私は母の腕のなかにいるのです。私は目を醒し、まだ恐怖に喘いでいました。 このような夢の描写を織り込むことによって、ビヨンデッタは主人公が想像力が産み出した幻想なのではないか、という疑念を読者に抱かせるという仕組みになっている。 ところが、そのすぐ後で、床に臥せるビヨンデッタを付きそうアルヴァーレは以下のように呟く。 「これを、僕は、色彩りをした幽霊だとか、五感をたぶらかすためだけに集められた輝く蒸気のかたまりだとか思っていたのか […] この女は、僕と同じように命を持っていたのだ。」 通常、悪魔は霊的存在であり肉体を持つことはない。対して、ビヨンデッタは明らかに受肉した存在であり、人間と同じように命を持った存在であることを主人公はここで改めて確認している。ここにおいては、ビヨンデッタが幻ではなく現実の存在であることが強調されているというわけだ。なお、受肉した悪魔が出現するという意味において、この作品はゲーテの『ファウスト』の影響下にあるものだと言えるだろう。 このような事件を経て、二人は互いに愛し合うようになる。そして、アルヴァーレはビヨンデッタに結婚の約束をするのだが、アルヴァーレが結婚するためには、彼女を連れて一旦スペインにある領地に戻り母親に婚姻の承諾を得なければならないと告げると、ビヨンデッタは急に不安を露わにし出す。どうもキリスト者である母のもとでキリスト教の婚礼の儀式をすることを敬遠しているようなのだ。結局、彼女の不安は解消されず、故郷の館に到着する直前、彼の兄を領主と仰ぐ裕福な農家で婚礼の宴に出席したアルヴァーレが疲れて寝ている間に、彼女は彼の前から忽然と姿を消してしまうのだ。 館に帰り着き母親に再会したアルヴァーレは、彼女にそれまで体験したことを事細かに報告する。そして、母親にこう言われる。 「いいですか、あなたは様々の嘘佯りの後を追いかけたのです。そして、そのようなことをやり始めるとすぐに、嘘に取り巻かれておしまいだったのです」 ここで改めて、アルヴァーレが体験してきたことは現実ではなく、すべては幻であったのではないかという可能性が強調される。夢だとすれば、ビヨンデッタの姿は他も人間には目撃されていないことになる。そこで、彼らを乗せてきた騾馬曳きを探してみると、やはり見当たらない。また前夜に彼らが泊まった農家について尋ねてみると、そのような家族は領土内には存在しないという。ここで読者は改めて、ビヨンデッタの存在が現実なのか、幻なのか分からなくなる。 以上のように、『悪魔の恋』の描写は、夢と現実の間を往復し悪魔の実在を曖昧しているところに特徴があるわけだが、この傾向は書き直した第二版においてさらに強まっていることを指摘しておこう。ここでは、比較のために、第一版の結末を見てみる。 私は自分がかつて産ぶ声をあげた家の方へ進んでいきました。[…] 車を引っ張ってゆくその手のつけようもない力を押し止めるものは一つもありませんでした。[…] 私はビヨンデッタを眺めます。彼女は思ったより平静に見えます。もっと何でもない理由でも恐怖に陥りがちなのを見たことのある彼女なのに。一条の光が私の心を照らします。「重なる事件で教えられたぞ」と私は叫びました。おれは魔性に取り憑かれていたのだ」そこで、私は彼女の田舎着のボタンをつかみます。「悪霊め」と私は力づよく口を利きました。「もし貴様がここにのさばっているのは、唯、おれをおれの義務にそむかせ、おれが向う見ずにもお前を引き出したあの断崖のなかにおれを引きずり込むためだとしたら、永久にあの中に戻るがいい」このことばを口に出すと忽ち、彼女の姿は消え失せ、私を運んできた騾馬も、彼女と同じ魔性だったので、彼女の後を追って煙のように消えていました。 と、幌馬車が以上な激動を起こします。私は座席から引っ張り出されそうになり、今にもむりやりに、そこから立ち退かされそうになっていると感じます。眼を挙げて空を見ます。空中にさっと一片の黒い霧が捲き起り、その天辺が巨大ならくだの頭を表わしていました。まるで旋風のような激しさでこの幻影をさらっていった風は、まもなくその幻影を吹き払ってしまいました。身の周りを眺めてみると、騾馬は消え去っており、地面へ傾いていた私の幌馬車は、梶棒に支えられていました。 第一版では、主人公アルヴァーレの目の前で、ビヨンデッタと騾馬が肉体を失い消え去っていく様子が描写されている。つまり、主人公は自分の恋人が悪魔であったことをはっきりと自覚して終わるという展開になっているのだ。 それに対して、書き換えられた第二版のでは悪魔の実在は明らかにされず、曖昧のまま終わりを迎えている。ここでは以下のような複数の解釈が可能だ。ビヨンデッタは存在せず、すべては主人公アルヴァーレの想像力の産物にすぎなかったのかも知れない。あるいは、現実に悪魔は受肉してビヨンデッタという女性となりアルヴァーレの前に姿を現したという可能性も否定できない。その場合、悪魔は果たして本当にアルヴァーレのことを愛していたのであろうか? 初めて彼を目にした時、恋に落ち、彼と一緒にいたいと考えて女性の肉体を持って現れたものの、教会でキリスト教徒として儀式を行うわけにはいかず泣く泣く彼の前から姿を消したのであろうか? それともアルヴァーレを美女の姿でたぶらかし堕悪魔の世界に引きずり込もうとしたが、キリスト者である母親の愛が悪の力に打ち勝ちアルヴァーレを救ったのであろうか? 悪魔は、アルヴァーレが寝ているうちに姿を消してしまうので、答は藪の中ということになる。ここにこの作品の魅力があると言えるし、また、プロテスタント圏の悪魔がはっきりと姿を現す作品と違って、その存在は曖昧のままに終わるというカトリック圏の特徴を有していることが確認できた。
ロックと悪魔 第十四回 カトリック文学の悪魔1
前回まで、しばらくプロテスタント圏の文学作品における悪魔表象を見てきた。今回からは、しばらく、カトリックである…
21/08/2019
前回と前々回のコラムで紹介したように、ここ最近は編著を数多く出している。前回の『権利の哲学入門』は2017年、前々回の『原子論の可能性』は2018年に出版した。そしてつい最近も、『徳と政治』という共編著を出した。この本は副題が「徳倫理と政治哲学の接点」とあるように、現代政治哲学の観点から徳に関する諸問題を取り上げたものである。アリストテレスが代表的論者であることから分かるように、徳は古来から倫理学の重要問題として取上げられてきたが、ここ最近、再考の機運が高まっており、徳倫理学という形で改めて体系化させようとする動きが活発化している。そのような時流の中でこの『徳と政治』は、『原子論の可能性』が原子論についてそうであったように、徳倫理を主題とした本邦初の本格的な論文集であり、ここで取上げる価値のある一冊と思われるが、今回は興味ある読者の参照を願うのみにして、別の本を紹介したいと思う。 今回紹介するのは、『支配の政治理論』という編著であり、『権利の哲学入門』と同じく社会評論社から2018年12月に出版したものである。同じ出版社から同じく私の単独編集でかつ同じような表紙と体裁で出版されていることから分かるように、『権利の哲学入門』の続編として企画されたものである。 全20章を一人で纏め上げた『権利の哲学入門』は大変だったが、それだけ予定通りに出版できたことへの満足感も大きかった。とはいえ、流石にすぐに続編に取り掛かるとは思ってもみなかった。ところが、同世代の友人に自分も書きたいから編著を作ってくれと頼まれて、それならばと再びやる気を起こしたのである。 ではどうするかと考えたが、依頼者の専攻が神学であったことから、それならばと「支配」というキーワードを思い付いたのである。しかし、では『支配の哲学入門』ということにするかというと、これは一寸拙いだろうと思わざるを得なかった。というのも、権利が専ら政治的な領域のカテゴリーであるのに対して、支配は政治の問題以上に、男女間の感情や職場での人間関係等に典型的なように、心理学的なカテゴリーとして捉えられることが多いからである。しかし私が念頭においている支配はあくまで政治支配であって、心理学的な論考を含めることは手に余ってしまう。このため『権利の哲学入門』の続編だからといって『支配の哲学入門』というタイトルにすることは、羊頭狗肉になってしまうおそれがあった。そこで今回は『支配の政治理論』として、『権利の哲学入門』同様の政治哲学の論文集であることを誤解無く伝えるようにしたわけである。 さて、ではこの論集の内容であるが、今回は何人かの論考を取上げつつ全体の概要を示すという方法は避けて、他ならぬ私自身の論文の概要を記させて貰いたいと思う。『権利の哲学入門』ではそれを担当せずに他の執筆者に依頼し、このコラムでも倫理学入門の長期連載をしたように、それ以外のテーマでも研究をし、最近ではむしろ動物倫理の研究者として見られることが多くなっているようでもあるが、しかし私の本来の研究分野はマルクスであり、マルクスの哲学である疎外論の研究が、今や数多くなった研究対象の中の本業ということになる。そしてこの『支配の政治理論』に収めたマルクス論では、支配という視角から私のマルクス観のエッセンスを示しつつ、かつつい最近気付いた新たなマルクス解釈も記している。これを機に『マルクス哲学入門』をはじめとする私のマルクス研究の一端を示したいと願うからである。 『支配の政治理論』の第6章をなす拙論「マルクスの支配論」では先ず初めに、これまでのマルクス研究では政治支配の問題は専ら国家論の領域で取り扱われてきたことに注意を促した。それは決して不当ではなく、理論的な必然性が確かにあるものの、このような枠組みでのみ支配を考えると、支配の問題がただ政治的上部構造の領域にだけ縮減されてしまいがちなことを提起した。しかし支配というのはマルクスの理論にあってはむしろ、社会の土台をなす生産関係の基本性格それ自体を指し示す概念と捉える必要がある。まだ共産主義的な解放に達していない人類の前史にあっては、社会的な人間関係の基本性格それ自体が疎外的性格を帯び、諸個人が支配と被支配の敵対的な対立状態に入り込まざるを得ない。このため、支配は疎外された人間関係の本質を指し示すカテゴリーになる。マルクスの支配論を語ることは、マルクスの前提的視座である疎外論を、支配論という観点から解説することにならざるを得ないということである。 マルクスの社会理論の特徴は、政治現象の土台に経済のあり様を見出すことである。それは経済とは何よりも、人間の生の前提に関る領域だからである。生産して消費するという過程が、人間生活の基本的な過程である。従って生産過程とはまた、生活過程(Lebensprozess)でもある。経済の基底を成す生産のあり方が人間の生=生活(Leben=life)そのものを基本的に規定することになる。生産のあり方が否定的であれば、そうした生産に従事せざるを得ない人間の生は、どうしても否定的な性格を帯びる。そのような否定性はいかに克服されるのかというのが、マルクスの根本的な問題意識だった。 どの生産様式でもそうであるように、資本主義でも労働過程の主体は労働者であるが、社会全体の生産過程の主体は労働者ではない。資本である。資本主義は資本が主体となり、労働者を客体的な手段として用いて社会的な生産を実現している社会である。労働者ではなくて資本が主体であり、労働者ではなくて資本が主人公である社会である。だからこそ資本主義というのである。資本主義では働かないのは自由だが、生命を維持するためには働かなければならない。ここには形式的には強制がないが、実質的な強制がある。資本主義における資本と労働者は、選択の余地のない支配と被支配の関係にある。資本主義とは資本が労働者を支配する社会である。これが資本主義の本質である。 だから、国家における支配、現象的には主要な支配のあり方として現れる諸事態は、経済関係における支配、資本による労働者の支配に根ざしている。このため、法律で形式的な平等を幾ら定めても、土台における本質的な支配関係が続けば、不平等は根本的には解消されない。本質は常に現象する。本質が変らなければ、現象は変らないのである。これがマルクス支配論の基本視角である。 マルクスの慧眼は、この支配構造が、支配する資本ではなくて、支配される労働者の側が、それとは意識せずに生み出してしまうとしたところにある。それによって利益を得ている構造を強者自身が作り出したと考えるのは分かり易いし、その解決方法もすぐ思いつく。強者を力ずくで打倒すればいい。資本が疎外を生み出すのだったら、資本をなくせばいい。しかし弱者である労働者自身がそれとは望むことなく、自らが搾取される構造を作り出してしまったとすれば、話は変ってくる。この場合は、構造それ自体を変えずに資本をなくしても、再びそれに換わって同じ役割を果たすものが生じざるを得ない。 実際これが現実社会主義で起きたことでもある。ソ連には生産手段を私的に所有する資本家はいなかったが、官僚が資本家と類似した役割を果たし、労働者は終始一貫疎外され続けた。労働それ自体の疎外的性格をなくさなければいけないのである。単純に支配者を打倒すれば問題が解決するのではない。特定の支配勢力を幾ら打倒しても、支配される側が実は支配構造の原因なのだから、被支配者の基本性格を変えない限り、支配構造は温存され続ける。自己の意図に反して、そうありたい自己から自己自身が乖離すること、つまり支配という局面での、人間の社会における自己疎外状況、これ自体を変えなければ、人間が望ましくない支配に甘んじざるをえない現状は変えられないのである。ではどうすればいいのか。 マルクスにあっては答えは明瞭である。疎外の原因がはっきりしているからである。疎外の原因は分業である。分業をなくせば疎外もなくなり、政治支配の問題も解決される。しかしマルクスのいう分業の克服とは、生産分化それ自体をなくすことではない。それでは文明自体を否定することになってしまうからだ。高度な生産力発展を前提に人類解放を展望する唯物史観は、人間的な文明を希求する立場であって、文明それ自体の否定は志向しない。マルクスが求めた分業の克服とは普通の意味での分業をなくすことではなくて、精神労働と肉体労働の対立に示されるような、労働者の肉体と精神を著しく毀損するような、非人間的な労働の組織化を解消することである。資本主義において労働者は資本によって客体化され、労働過程の主導権は管理職のような資本の代理人に委ねられる。このような状況においては、労働は他者から指令されて働く者と、自らは労働過程に入らず労働者を一方的に指令する者に分割されている。こうした労働者が一方的に支配されている分裂(分割=分業)状況から脱し、自らが支配されるのではなく、支配する者となることである。これがマルクスのいう分業の克服であり、自らが生み出した資本によって支配される関係を、まさに自らが生み出したが故に自らの固有の力として再獲得できるようになることである。 このようにマルクスにおいて政治支配の問題は経済的土台に根ざし、経済のあり方が支配する者と支配される者とに分裂しているような、疎外された分業状態にあることによって生じる。そのため、生産関係が敵対的な分裂を含まない形に再組織化される必要がある。それがマルクスの求めた共産主義であり、人類の前史の後に来ると展望された理想社会である。このような未来像をマルクスは若き日の諸著作以来、折に触れて語っていたが、最終的には晩年の著作である『ゴータ綱領批判』において、ゲノッセンシャフト(Genossenschaft)という言葉で提示された。 マルクスの歴史観では人類社会の編成原理が前史とその後で根本的に変化する。前史は疎外的分業に貫かれた、ヒエラルキー的な支配被支配関係が基本となる。無論前史にあっても支配被支配ではない、非ヒエラルキー的な人間関係は存在した。しかしそれはあくまで私的で局所的な関係であり、社会全体の基本的な編成原理ではなかった。 それはまさに恋愛や親子愛という愛の原理であり、一般市民同士としては友愛の関係であった。こうした愛が大切なものであることは誰しも感じるであろうが、しかし愛こそが私的な原理の最たるものであり、私的な領域を超えて社会一般が愛の原理によって編成されるとは、多くの人は思いもしなかったのである。 この点をよく理論化したのはヘーゲルであった。彼は人間社会を、家族と市民社会、そして国家というトリアーデに分割した。家族の原理は愛であり、家族が人間社会の道徳である人倫の出発点である。しかしあくまで愛は家族の原理であり、社会一般の原理ではなかった。社会は家族の外部にある市民社会であり、これをまさに家族とは対照的に、利己的目的のために相手を利用とする敵対的人間関係だとしたのである。 ヘーゲルにあっては家族の外にある社会の基本的な構成原理は、家族的な愛が後景に退くような競争的な人間関係であり、強者による弱者の支配を生み出しかねない欲望である。ヘーゲルではこの市民社会の矛盾は、市民社会自体そのものを変えることによってではなく、国家によって解決されるとした。ここにマルクスとの決定的違いがある。 マルクスにあって国家は終始一貫イデオロギーである。実体的には暴力装置であり、土台の不当性を隠蔽するための幻想を生み出す、イデオロギー装置でしかなかった。従って国家はマルクスの理想社会には存在根拠を持たないものであり、単なる行政的区分としては残存するかもしれないが、現在あるような国民国家としては存続し得ないものとされる。 ところがマルクスは、ヘーゲルのトリアーデ構想を常に批判しつつも、社会全体を家族と市民社会と国家に三分割するという視座そのものは、基本的な前提として保持していた。 ヘーゲルにあっては市民社会の矛盾は国家によって止揚される。しかしマルクスは国家それ自体を廃棄してしまったのだ。そうなると残るのは家族しかない。愛の原理である。これがゲノッセンシャフトなのである。マルクスによれば、共産主義的に改変された市民社会ではヘーゲルの市民社会とは異なり、欲望以外のものが支配する。しかし国家原理はもはや採用できない。残るは家族しかない。市民社会の基本的な人間関係が、平等な友愛による結び付きになるのである。ヘーゲルが見据えた人倫の解体としての市民社会とは異なり、人倫の実現としての市民社会である。 平等が基本的な原理なっていて、強権的に支配する者がいない人間関係にあっては、個々人の自発性が基本的な社会の構成原理となる。基本的な人間関係が他律的に強制されたものではなく、自律的な連帯によって実現されている。自発的に結び付くのだから、社会のの構成原理は他者への信頼であり、まさにヘーゲルが家族に認めた、愛である。マルクスのゲノッセンシャフトにあっては、家族的な愛が、ヘーゲルがそう見なしたように私的な閉鎖性に留まらずに、公的な公共性の次元にまで敷衍される。 ゲノッセとは仲間であり、兄弟的な結び付きをも意味する。ゲノッセンシャフトは実際の家族ではないが、あたかも本当の家族であるかのような信頼による結び付きを意味する。 この理想社会にあっては人類の前史でのような、疎外された分業によって引き起こされる政治支配は廃絶されている。愛の原理は支配ではない。支配する愛は本当の愛ではない。本当の愛が私的にだけではなく公的にも普遍化したゲノッセンシャフトにあっては、政治支配はその存立根拠を持たない。これがマルクスの支配論からする人類史の展望である。 概ね以上のような議論を「マルクスの支配論」で展開した。無論ここで述べたのは不完全な要約であり、このままでは真意が正確に伝わらないおそれもある。この意味で、一読して分からなかったり意図が掴みかねるという読者には、「マルクスの支配論」を読まれることを願う。 さて、この「マルクスの支配論」の執筆によって新たに得た知見とは何かだが、まさに「ゲノッセンシャフト」という言葉の真意が明確になったことである。『ゴータ綱領批判』以前では理想社会は一般にアソシエーションやフェライン(連合)という言葉で表現されていたのに、なぜ敢えてゲノッセンシャフトという言葉が用いられたかである。既に前掲『マルクス哲学入門』の第八章「『ゴータ綱領批判』の共産主義論」及びこの章の元となった研究ノートで、マルクスがアソシエーションにおける人間関係の基本的な性格を家族的な友愛による紐帯であることを強調するためにゲノッセンシャフトという言葉を用いたのではないかと提起したが、ではなぜ家族的な紐帯なのかが分からなかったのである。しかし答えは実に単純で、マルクスが踏襲していたヘーゲルのトリアーデの内、国家を否定するマルクスには家族しか残っていなかったからだった。ヘーゲルにあって家族の原理が愛であるがために、理想社会の原理もまた、市民的な自立性を前提とした上での愛、自立した諸個人が、自律していながらしかし排他的にならずに兄弟姉妹的に連帯できる友愛である他なかったからである。だから単なるアソシエーションではなくて、ゲノッセンシャフトリヒなアソシエーションなのである。 ではどうしてマルクスが晩年になってこうしたゲノッセンシャフト概念を唱えたかだが、これはこの時点で初めて思い付いたというよりも、元々抱いていた構想をここにきて思い出したということではないかと考えられる。「マルクスの支配論」の注で提起したが、実は若き日の『経済学・哲学草稿』に、兄弟的な連帯を理想視する文言が見られるからである。この二著作の間には30年以上の月日が横たわっている。しかしマルクスは一貫して変ることがなかったのである。 以上、前回と前々回に続いて編著の紹介をさせていただいた。今回は専ら編者である私自身の論考を説明させて貰ったが、勿論他の章も力作揃いで、自信を持ってお勧めできる一冊になったと自負している。実は既に続編の出版プロジェクトが進行している。来年中には第三弾をお届けできるものと思う。こうして、これからもどんどん編著を出し続けてゆく所存である。
政治支配を考える─マルクスを中心に─
前回と前々回のコラムで紹介したように、ここ最近は編著を数多く出している。前回の『権利の哲学入門』は2017年、…