2015年1月【発】
新年、明けましておめでとうございます。
旧年中のご厚情に心より御礼申し上げると共に、本年が皆様にとって幸多き年となられますようお祈り申し上げます。
本年も精進して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
幼い頃身体が弱くて、近所の友だちと外で遊んだ記憶がほとんど無い私は、毎週日曜日に父に図書館に連れて行ってもらい、本を借りて読むのが習慣でした。
身体が弱かった記憶の薄らいだ今も、読書は私にとって大切な楽しい時間です。
今でこそ、たくさんの友人に恵まれましたが、いわゆる『本がお友だち』だった私は、人とのコミュニケーションに慣れておらず、自分の気持ちや考えを発信することが苦手でした。
好奇心や知識欲が旺盛だったこともあり、今までたくさんのものを受信してきましたが、50歳を過ぎて、ようやく自分の中に溜めてきたものを、発信したくなってきました。
しかし、発することには、実は恐れもあります。
なぜならば、そこには評価がついてくるからです。
自分が発したものは、いわば子どものように愛しく大切なもの。
その子を人目に晒すことによって、大切に扱われなかったり、無視されてしまったりしたら悲しい気持ちになるのではないか。
また、溜めたものなど大して多くなく、底も浅くて、すぐに尽きてしまうのではないか、という自信の無さもあります。
何にしても、気軽にチャレンジできず、憂えるタイプの私ですが、それでも発したいという思いの方が勝ってきました。
今回は【発】を分析することで、恥ずかしくない発信ができるよう、自身の心構えを作りたいと思います。
【発】
字が左右に分かれないので、直情の形といい、自分の思いに忠実で終始一貫した姿勢があると観ます。
【発】は【癶】と【元】のような字で構成されています。
【癶】
先ず書く【癶】の【フ】は、圧力を堂々と受け止めた後、方向を変えて、勢いよく左斜め下に下ろします。
一旦はあるがままに状況を受け止め、要る、要らないを明快にし、勝気な姿勢で意志を決めます。
その姿勢に潔さが見える【フ】ですが、【ノ】の真ん中辺りに当てるように上から【丶】を書くことで、意志を確認する慎重さがあるといえます。
また【丶】は、【フ】の【一】の下で守られているとも見え、堂々と見せてはいるけれど、ナイーブさを秘めているとも見えます。
今度は、【ノ】に向かって【〃】を書きます。
貪欲な姿勢で情報を検証・取り込もうとし、【フ】の【一】の右端から【乀】を【ノ】と対称になるように書き、その全てで自分の価値観を構築します。
【癶】は、左の部は我慢形の字で保守から革新の質へ、その中にまた保守的な【丶】を隠し、右の部は感性の字で革新の質の【〃】を晒し、それを保守的発想で自分の価値観とする、という、複雑極まりない全く違う要素の資質を有します。
強気さと、慎重さ、様々な角度からのチェックで、内面をしっかりと守り切る、完璧な備えがあるといえます。
【癶】の中に守られている【元】のような字で、行動に起こします。
守られた空間で【二】二本の線で検証を重ねます。
自分の経験則を元に、じっくりと検証してから、その二本の線を【ノ】で断ち切り確認しながら、自分流の物の観方を勝気に表現します。
さらに【乚】も同じように二本の線を断ち切り確認しながら、今度は集大成としての自分の価値観としてプライド高く発信していくといえます。
一旦発したら、振り返ることは無く、プライドを持つともいえますが、発したものは取り返しがつかないともいえます。
どんな反応があろうとも、発したものへの責任とプライドを持ち、発し続けるしかない上向きの字です。
また、二本の横線と縦線の間に【口】のような空間も有します。
ここには、常に経験や情報が、雑多な状態でストックされているともいえます。
【発】の文字の中心に有り、守られているこの空間は、過去の経験も未分化で、ごちゃごちゃな状態ともいえましょう。
その時々に合った表現の発信をし、時が経てば、また違った表現で発信することもあるかもしれない。
結論ではなく、常に進行形の発信を余儀なくされる、ともいえますし、尽きることは無い大きさや深みを持つともいえます。
【癶】の【フ】と【乀】に方向を同じくして、【ノ】と【乚】で発信をします。
【発】には、中心線を通る線はありません。
結論を明快に表現するのではなく、発したいという強い意志の元に、自分流の物の観方を精査しながら極め、それを偏ることなく保守の質でルールを守って発信します。
自分流ばかりでは理解され難く、目新しくなければ、興味をもたれ難い。
絶妙なバランスの良さは、【癶】の備えの完璧さに守られているおかげかもしれません。
【発】は、あるがままの世界を、自分流の感性で発信したいという強い意志と、検証を重ねながらバランス感覚の有る自己表現を養い、練り上げた考えを勝気に、プライドを持って発信する字といえます。
先に思い有りき。
そしてその前に、現象有りき。
全ての物事を、ニュートラルに受け止める公平さと、自分の感性で解釈する独創性。
この世に現象は尽きることは無い。
自分の言葉で表現したい、と思い続ける限り、常に現象は内面にストックされ続けるから、書くものが尽きることは無い、とわかったことは、安心でした。
また、発することで恐さを感じていた周囲の評価も、どう発信すれば良いかがわかり、安心と共に気が引き締まりました。
2015年は、【発する】ことにフォーカスして過ごしていこうと思っています。
皆様、いつも応援していただきありがとうございます。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
東海のぼかん 名古屋西教室
『のぼかん』って何?!
それは、上海州(のぼり かいしゅう)が編み出した
『のぼかん』って何?!
それは、上海州(のぼり かいしゅう)が編み出した、今までに無い画期的な名前の観方・法則です!
画数では無く『名前を形で観る』ことで、名前を観たらあなたの個性・心理などが大まかに(同姓同名でも一人一人違うので詳しくは環境・人生経験などの情報をいただきます)わかる新しい学問、姓名学です。
個性とは・・・
【性格】
【思考の習慣】→【行動の習慣】
【価値観】
【発想法】
【得意なこと・不得意なこと】
【世界観】
【将来的に何を成したいか】
・・・など。
自分を知らずに生きることは、とても心もとない不安なもの。
運転席に座っても、どこにどんな風に行ったらいいのかわからないまま、アクセルとブレーキを同時に踏みながら恐る恐る発進するようなものです。
目的地を明確にし、どんな乗り物でどんなスピードで、誰といつまでどうやっていくのか・・・。
そのヒントが名前にあります。
人生を楽しみましょう。
28/06/2015
2015年7月イベントスケジュール
第二弾
★大人気企画★
🍀よもぎ蒸し🍀&🌸のぼかん🌸
よもぎ蒸し45分と
リンパorフェイシャルマッサージ30分に、
のぼかん個人相談15分(3000円相当)
なんと✨無料✨で❗️
付いてきます。
7月6日月曜日
25日土曜日
10時〜19時
🌙アルテ🌙
名古屋市中区新栄2-35-21
052-212-8264
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🍀よもぎ蒸しって❓🍀
よもぎを煮出した土鍋を椅子の下に置き、その蒸気を下半身の粘膜にあてて、薬効成分を体内に吸収する健康・美容法です。
デトックス効果はわ半身浴の30倍❗️
30分の消費カロリーは、エアロビクスの3時間分❗️
代謝アップで、ダイエット(≧∇≦)
🌸のぼかんって❓🌸
のぼかん【上流観名法】は、
名前を画数ではなく
【形で観る】ことで
個性がわかる新姓名学です。
あなたの過去、現在、未来の悩みや不安、人間関係のストレスを解消します。
恋愛相談、夫婦・親子関係、ブランディング、就職活動、など、各種ご相談を承ります。
楽しく充実した人生のために、
ご活用ください。
28/06/2015
2015年7月イベントスケジュール
第一弾
7月3日
ピルエットさんの
★ビジネスパーソンと語れるカフェ★
を、担当させていただきます。
【のぼかん個人相談】
A あなたの長所・能力を褒めまくって自信アップコース
◆B ストレス解消 まったり癒しコース
◆C ネクストステージのためのアドバイスコース
全てのコースが
10分1000円からお楽しみいただけます♪
🌸ランチタイム(11時半~14時半)は、10分のコースにめっちゃ美味しいビーフシチューランチ(1500円)付きで
★なんと2000円★
🌸ランチタイム以外は、
カフェをご注文ください💕
◆ご予約優先◆
ご来店が重なるとお待ちいただくことになりますので、
ぜひご予約くださいませ💖
【あなたの取扱説明書】
【ビジネスネーム】
【愛の解説書】などもいかがですか?(30分3000円~)
日時:2015年7月3日(金)
10:00~17:00
場所:ピルエット
一宮市猿海道1-9-20
0586-23-8110
http://www.pa-du-due.jp/pirouette/
2014年12月【陰】
今年も、早いもので1年を振り返る季節となりました。
今まで以上に、陰に日向に、たくさんの方々に支えられ、力を貸していただき、ありがたい幸せな1年でした。
また、目に見える人ばかりではなく、目に見えない大いなる存在にも見守られ、助けられていると感じることも増えました。
私のフェイスブックをご覧になった方から「いつも忙しそうですね。」と、声をかけていただく際に、「お陰さまで・・・」と答えます。
【お陰さま】とは、伊勢神宮へお参りする「お陰参り」に由来する言葉だそうです。
ですから、【お陰さま】という言葉には、神仏や、世間の皆さま、
その両方に対する感謝の気持ちがこめられていて、使うたびに温かさを感じます。
【お陰さま】の人生を生きることで、心安らかな毎日となりました。
今回は、感謝の気持ちをこめて、【陰】を分析したいと思います。
【陰】
中心線で文字が左右に分かれるので、受け入れの形といい、受け入れては流すことを繰り返しながら、吟味する力を培っています。
【こざとへん】
圧力を堂々と面で受け止めて後に、斜め左下にシャープなラインを下ろします。
そのまま線をつなげて、
今度は、緩やかな膨らみを右下に展開した後、左上に跳ね上げます。
どんな圧力もあるがままに受け止めつつ、勝気な姿勢で対応し、時間をかけてタフに自分流の解釈を深めると観ます。
その起点から、縦線を真っ直ぐ下に下ろしますが、三分の二辺りで曲線部と当たることで、複雑な形の空間ができ、縦線はそれより下に突き抜けてスックと立っています。
これにより、縦棒から右側に、縦棒の内面に勢いをぶつけるような空間を有する、旗のような形となりました。
この空間は、いかにも複雑です。
上部は鋭角で直線的な構成に、下部は緩やかに湾曲している。
取り入れた情報に対して、違う対応で確認しながらも、きっちりと仕切らず、取り入れた情報が整理されずに収納されているといえます。
大らかであり、曖昧であり、分け隔てないとも言えるし、混沌としているとも言える。
【こざとへん】は、基本の部分に圧力に耐える忍耐力と、全てを包括する大らかさと曖昧さ、意志の強さがあると観ます。
【今・云】
【こざとへん】の意志を基に、【今・云】で展開します。
【人】で【ラ・云】を守る姿勢がありますが、先ず書く【ノ】に勝気さと【人】が圧力に斜めに対応することでのスピーディさがあり、
攻めの姿勢で守り抜く、というような強さを感じと同時に、
【人】の下部で育成する空間を作ります。
【ラ】【人】で守られながら、じっくりと検証して後に自分流の考えとしますが、それを【云】で受け、さらに二度の検証を重ねます。
【ラ】の結論に、新たに得た情報も足して、【二】繰り返し確かめて、【ム】コツコツと積み重ねた検証や経験を自分の価値観とし、
プライドを持って振り返ることなく行動していくと観ます。
【今・云】は、強い意志で内面の世界を守りながら、周囲に惑わされることなく、検証と経験をコツコツと積み重ねて自分の価値観を構築し、プライドを持って遣り遂げます。
その内面には、違う方向性を、自己検証を経て納得の世界観とするのがわかります。
【陰】は、忍耐力と柔らかだけれど強い意志を基に、圧力から守られながら、検証と経験を積み重ね、自分の価値観を作り上げる字といえます。
混沌とした、曖昧な世界から始まって、辛く厳しい経験を積み重ねて後に、迷いの無い自分自身を構築するに至る。
しかしそのためには、守られている、という環境が先にあったのですね。
耐えて忍んで、また耐えて、泣き言を言わず、めげず、たゆまず努力を続けた結果得られた自尊心も、
自分が頑張ったから得られただけではなく、それをさせていただけたのだ、ともいえます。
そしてもちろん、遣り遂げるまで頑張る自分の努力も必須です。
自分の努力と、取り巻く環境のお陰さまで、物事が成されるといえるのでしょう。
それにしても【陰】という字は、徹底して外への『発信』の意識が薄い字といえますね。
【こざとへん】に在る自分の価値観や強い意志を、経験の中でとことん落とし込んでいく作業を重ねていきますが、
【今】が左下を向き【云】が右上を向くことで、上下に向き合う完結した空間ができています。
【かげ】のイメージ通り、表に現れにくい、密やかな世界観です。
そこに、陰徳に観る謙虚さも、
陰性、陰気に観る消極的で受動的な様もうかがうことができます。
陰で悪口を言うこともあれば、讃えたり、支えたりすることもある。
どちらにしても、人目には見えないところでの行動です。
また、【陰】は、女性を表している字でもあります。
内面に耐える強さと柔らかさ、大らかさを持ち、外にでしゃばらずに、コツコツと努力し、中の世界を守り切ることにプライドを持つ。
『内助の功』に表されるような、
夫を支える妻の在り方・行動そのものを【陰】の一文字で表しているともいえますね。
以前は、「陰ながら応援しています。」と言っていただくことに、
ある種責任の無さや、疑問を感じることもありましたが、今は感謝の気持ちでいっぱいです。
表立っての応援と陰の応援。
その質の違いがわかってきました。
これまでの人生、何か困ったことがあると、直ぐに助けの手がいただけました。
これは、常に助ける準備がある。
常に見守られている、ということの表れでしょう。
年を重ね、応援をいただくばかりではなく、応援させていただく人も増えました。
人の資質、状況をしっかりと見極めて、表に出ない応援をすることで、その人が輝きます。
今年一年、陰に陽に、応援してくださった皆様、いつも本当にありがとうございます。
今の私があるのは、皆様のお陰さまです。
心より感謝いたします。
ますます精進してまいりますので、来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
2014年11月【無】
『般若心経』を4回に渡って、100分間で解説しているテレビ番組を観ました。
第一回『最強の262文字』
第二回『世界は空である』
第三回『無が教えるやさしさ』
第四回『見えない力を信じる』。
その中で、『無が教えるやさしさ』という題名に惹かれました。
『般若心経』は、
【空】という発想が有名と思っていましたが、
262文字中【無】が21回も繰り返されていました。
それは、お釈迦様が創り上げた完璧な理論を、理解しながらも一旦崩す作業とのこと。
『般若心経』は、全ての固定観念を【無】と捉え、
一度リセットすることで、捕らわれから人々を解放することを目的とした、新しい物の観方を提供するお経でした。
初めて触れた『般若心経』の世界は難しく、一度番組を観ただけでは到底理解し得ないものでした。
しかし、【無】という文字の世界観と、『般若心経』が目指した『釈迦の仏教』との違いに、共通する世界観を感じました。
今回は【無】の分析を通して、
『般若心経-最高の悟りに到るための知恵の完成のお経-』の理解を深めてみたいと思います。
【無】
字が左右に分かれないので、直情の形といい、自分の価値観に忠実で、終始一貫した姿勢があるとみます。
【ノ】
最初に書く【ノ】に、『こう在りたい』という、自分流の勝気さがあります。
圧力に対して、必要なのか不必要なのか瞬時に見極め、そこに自分の意志と方向性を指し示します。
先に自分の意志を宣言する、という姿勢です。
【一】
その意志を起点として、【ノ】の真ん中辺りから【一】を書きます。
意志力により、やってくる圧力に対しては避けることなく、堂々と受け止めることができます。
上の【一】より長い【一】をもう一度書くことで、どんな圧力も漏れなく受け止め切ろう、という貪欲な姿勢がうかがわれます。
あらゆる経験を体得しようとする、または、得た体験を反復して取り込もうとするともいえます。
そこに、慎重さと、まるで修行するかのようなタフさがあると観ます。
面であることで、周囲を気にしない、気にならない強さもあり、体験をマイペースに修得していくともいえます。
【│】
【二】の上辺を起点として、
下辺を貫く垂直な【│】を四本、左から右へと等間隔に几帳面に並べます。
保守から革新へと四本も線を下ろしていく作業は、自分の価値観の構築に対するこだわりの強さ、丁寧に追求する姿勢、譲らない頑なさを感じます。
最初の【│】は、
【ノ】と最初の【一】と起点を同じくするので、
どのような体験も自分の在りたい意志から始まっているという、
ずれのない姿勢が有り、そこがまた生真面目な印象を強めます。
また、二本目の【一】は【ノ】を受けているようにも見えます。
ここでも、自分の意志の再チェックをするともいえ、何のために体験をするのか、常に目的を見失わない様があるといえます。
この段階では、左右に並ぶ三つの空間は、上部は閉じられ、下部は開いています。
上下に作られた空間に、体験して得た物を整理し、理解していく時間の経過をみることができます。
そして、意志から始まる体験を、きっちりと整理する作業をもう一度【一】を書いて締めくくります。
それは二本目の【一】よりも短いので、更なる体験を望むものではなく、ほぼ同じ大きさの六つの空間を完成するための横線ともいえます。
しかし、この三本の横線は、どれも構築した空間よりはみ出しています。
これは、完璧を目指しながらも、完成はしない、ということでしょうか。
反対にいえば、完成を目指すからこその、完璧さの追求の姿勢を表しているのでしょうか。
ともあれ、時間をかけ、手間隙かけて構築した世界は【4つの点】で表現されることとなります。
なんという質の違いでしょうか。
質量が全く違って見えます。
クールで、生真面目、頑固にも見える上部と、情熱的で自由奔放にも見える下部。
寸分の狂いなく構築した建築物を乗せるには、心許なく思えます。
しかも【4つの点】は上部に触れておらず、宙に浮いた状態です。
しかし、この四つの点の最初の点のみ、革新の方向を向いています。
つまり最初の【ノ】の意志を、きちんと踏襲しているとの表れではないでしょうか。
徹頭徹尾、在りたい意志を貫く姿勢。
最後まで、そこはずらすことなく、行動するといえます。
残りの三つは同じ保守の方向ですので、自分の価値観を確認しながらの行動となり、
【丶】といえども連ねて書くことで、そのエネルギーは強まるといえるでしょう。
また、斜めであることで、より鋭く、強く見えます。
これにより、上部との見かけの質の違いは、エネルギーとして等しくなるかもしれません。
ただし、隙間があるということは、状況に対して常に対応せざるを得ないので、定まらない印象や臨機応変で融通が利く様ともなるでしょう。
【無】は、勝気な自分の意志を元に、徹底した体験の中から自分の世界観を構築し、
最初の意志をずらさないで、
しかし、自由性のあるエネルギッシュな行動を取る字といえます。
お釈迦様は
『自分の力で自分を変える』
ために、科学者のようにこの世界を細分化し、隙のない論理で理路整然と表し、悟るためにどうしたらよいのかを教えてくださいました。
しかし、その道は険しく厳しく、誰もが到達し得ないものでした。
『般若心経』はそれを元にしながらも、お釈迦様の作った道筋もゴールも枠組みであるから、
それを取り払い、悟らなくても良い、永遠に未完で良い、との救いを与えました。
【無】の上部に観るきっちり構築された世界観は、
整理し切ることで得られる平安の世界ともいえ、
お釈迦様の法に通じ、
それを元にして多くの人々を捕らわれから解放した『般若心経』は、
まさしく【無】の文字の在り方に通じるように見えます。
そして、どちらにも共通していることは【人を救う】こと。
それを【ノ】の在り方に観ることができるといえるでしょう。
ずれることの無い【救済】の意志。
手法は違っても、その心、その目的は同じですね。
仏陀は、自らを救うために修行を積んで悟りを開きましたが、
『般若心経』が目指した理想の生き方である菩薩は、人を救うために永遠に修行を続けます。
全てを無として、枠組みを取り払って、何のこだわりも無い状態に心をおいて、人のために尽くす。
それが自分の安らぎにつながるという生き方です。
【のぼかん】と出会って10年目に入り、今めぐり合った般若心経の世界に、自分の意志が重なります。
【のぼかん】に出会って、自分が救われた。
だから私も、感謝の心をもって、【のぼかん】の理論を通して人の役に立ちたいと思いました。
理論の確かさからくる安心を伝えたい。
しかし、理論であっても『こうでなければならない』という押し付けや頑なさはなく、状況・環境など背景を考慮に入れて、その人が経てきた過去に尊敬をこめて、確定していない未来をその人らしく生き続けることを応援する学問です。
般若心経が不思議の呪文で、唱えることや書くことに意義があるとのことですが、
【のぼかん】という音の響きも、なかなかの不思議さです。
そこには、のんびり、まったり、のん気な温かな空間に包まれるような居心地の良さと、
そこで癒された後に元気を取り戻して、やる気になるパワーを感じるような気がします。
私自身も変わらぬ意志を持ちながら、永遠に未完な自分を良しとしながらも、修練を積んでいこうと思います。
いつも応援いただき、ありがとうございます。
心より感謝いたします。
2014年9月【百】
数年前から所属している社会教育団体では、気付いたことを実践して、より良い生活習慣を身に付けることを推奨しています。
特に、《百日実践》の評価は高く、友人たちの素晴らしい体験談を聴き、自分もチャレンジしてみよう、と思い立ちました。
自分の心が常に穏やかで、愛と感謝に満ちている心の習慣を作りたいと思い、
また、読んでくださった方にも和やかな心になっていただきたいと願い、
≪愛するあなたに贈る 和やか愛言葉≫と銘打って、
《 /100》とナンバーをふり、
百日間、毎日フェイスブックに記事を載せることを決意してスタートしました。
書き始めてすぐに「やって良かった」と思いました。
脳が常に《和やかな愛の言葉》を探すようになり、過去の出来事に対して、今までとは違う深い観方もできるようになりました。
また、和やかな心の状態でいないと記事が書けないし、もちろんウソを書くわけにもいかないので、
以前より心が穏やかに、寛容になってきたような気がします。
一般的にどんな事も60日~90日続けると習慣になる、と言われていますので、
百日後には、思考の習慣が変わり、意識しなくても、常に和やかな私で在れたら、と期待しています。
とは言うものの、先は長く、本当に百日毎日記事を書き続けることができるのだろうか、との一抹の不安もあります。
今回は【百】を分析して、最終地点の景色を先に見ることで、自分を応援したいと思います。
【百】という字には、単に 数値を表す以上の意味合いが含まれています。
お百度参り、百物語、百人力、百点満点、100%・・・。
そこに到達することの達成感や、
願いが叶いそうな期待感、完璧さ、完全などを連想させます。
なぜでしょうか。
【百】
字が左右に分かれないので、直情の形といい、自分の価値観に忠実で、終始一貫した姿勢があるとみます。
【一】
圧力に対して、堂々と受け止める姿勢です。
先ず、全てを在るがままに受け止めます。
先のことを想定して、難を避けたい・よけたいという発想ではなく、どんなものも受け止める忍耐力があります。
ただし、受け止められるから受け止めたのでは無く、来たものは、一旦は受け止めざるを得ないという覚悟があるともいえます。
避けないからこそ体験できる、様々な出来事の中から、要不要を仕分けます。
また、その下に書く【白】は、【一】より小さいので、全てを【一】で受け止め切って、
【白】の世界を圧力から守っています。
【ノ】
【一】の真ん中を起点として、斜めに【日】に着地します。
【一】で、受け止めた圧力から、自分の感性で必要なものを抽出し、【日】に伝達します。
斜めであることで、理論的な整然とした対応ではなく、常に同じ反応にはならない柔軟さがあり、
また、クッション性もできることで、圧力により強く対応できるともいえます。
それは、しなやかな強さでありながら、必死に耐える中で、ようやく伝達する選りすぐりのエッセンスでもあります。
【日】
四方を囲われた空間の真ん中に横線を引いて、きっちり上下に二分しています。
【一】によって圧力から守られた安全な状態で、時間をかけて整理することができます。
一つの出来事の中にある、
良い面悪い面、善悪、好き嫌い、損得などは、自分の価値観や、時間的変化によって違って見えたりします。
上下に仕分けられた異質の世界は、上の箱の底辺と下の箱の上辺が常にくっ付いているわけですから、お互いの世界を常に意識することになります。
新しい刺激を感じ続けることによって、価値観の変化が起こり、場合によっては、善悪や好き嫌いが入れ替わることも、有り得るということです。
しかし【百】は、十、千、万、とは違い、閉じた空間で終わります。
圧力は、当たり続けるわけですから、検証もエンドレスではありますが、ここで一つの区切りを付けなくてはなりません。
慌てず、騒がず、じっくり時間をかけてようやく到達する結論は、
堂々と地面に接地しており自信も感じます。
【百】は、あるがままに受け止めた全てのことに、
その都度の自分の感性や価値観を通して、出来事の表と裏を、幅を持って、時間をかけて、じっくり見極め、明快にしていく字です。
また、直角的で、地に足の着いた安定感の有る様に、安心も感じます。
私は、起きた出来事に、気持ちの区切りを付ける困難を感じることが、ままあります。
物事は、白黒はっきりできることばかりではありません。
はっきりしたと思っても、違う側面から考えたら、まるっきり違ってみえることもあります。
そんな私が、【百】回、自分の価値観や観方を再確認しながら、その日その日の明快な結論に辿り着く作業をすることは、確かに困難かもしれません。
けれど、百回の中の三分の一ほど終わった今、【百】の分析を通してわかったことは、
エンドレスのようでありながら、いつかは終わる人生を悔いなく生きるためには、整理し切り、納得し、区切りを付けていく潔さが必要だということです。
内面的にはいつまでも揺れ動いていても、【百】の文字に観る、二分する明快さや、どっしりとした安定感に助けられて、日々決着を付けて生きる習慣ができつつあります。
人生は唐突に終わるかもしれない。
けれど、一日一生のような気持ちで、愛と感謝を持って、日々和やかに締めくくりながら、まずは百日を過ごそうと思います。
いつも応援いただき、心より感謝いたします。
ありがとうございます。
2014年8月【自衛】
8月、今年も終戦記念日がめぐってきます。
今年は「戦後69年」に当たります。
現在59歳の安倍晋三内閣総理大臣が2006年に就任した際、初の戦後生まれの総理大臣でした。
その時に掲げた
『美しい国日本を作る』というスローガンは、記憶に新しいところです。
『戦後』の年数が、このまま70年、100年、200年、と、ずっと続いて欲しいものです。
そのために、どう考え、どう動いたら良いのか。
戦争を知らない世代が増える中、
終戦記念日には、戦争の真実に触れながら、人任せにせず、
国民一人一人が考え、家族で話し合う機会としたら良いと思います。
かけがえのない大切な家族の命を守るには?を根底に置いて考えたいものですが、守り方の価値観にも様々有る中、《正解》というものは無く、徹底した話し合いが必要です。
今回は、国を【まもる】とはどういうことなのか、
【自分がまもるには】というテーマで【自衛】の文字から考えてみようと思います。
【自衛】
攻撃の形から、やりたい願望が先に有り、まずやってみる、やりながら考える、体験から学ぶという発想があります。
常に未知の人生を、切り拓いていく姿勢があるようにも観えます。
【自】
まず【ノ】で、革新的な発想・勝気な姿勢で情報を取り、瞬時に自分はこうしたい、という意志を決めます。
それを、【目】の一角目の【l】に伝達します。
【目】は上中下と仕切りがあります。
上へ上へと生きる私たちの人生において、縦軸は時間的推移を表しますので、この三段の箱への整理はじっくりと時間をかけながら、ということになります。
自分の価値観や過去の経験則に鑑みて、先に決めた意志に確固たる理由付けや精査した確信を持つといえます。
【自】は、革新的な自分流の発想を元に、経験からじっくりと培った誇り高き精神が構築された字といえるでしょう。
四方を囲まれた守られた空間で、周囲に惑わされることなく培われた強い精神を元に、【衛】で行動に移すと観ます。
【衛】
【彳】
【彳】は【自】と同じく先に【ノ】を書くことで、その姿勢をまず決めることから始まりますが、二つ重ねて書きます。
斜めであることでスピーディな決断が求められることから、瞬時の意志を打ち出しますが、それを追うようにもう一つの線で調整し確定とします。
慎重に検証したことで、その意志には強固さがあるといえます。
また、何度も繰り返すタフさも、資質として持っているといえます。
強く固い意志と圧力に負けないタフさを持って、【韋】へと展開します。
【韋】
【ュ】堂々と圧力を受け止め、勝気な姿勢で決めた意志に縦線を引き、明快な主張をする力と空間を作ります。
一旦受け止め、整理した後に主張するという姿勢といえます。
その後【口】で大まかなまとめをし
【ヰ】そのエッセンスを受け取り、慎重に検証を繰り返し、今度は、保守の方向を作って縦線を引きます。
【韋】は、左向きで上向きから始まり、右向むき下向きで終わります。
その違いは、冷静に検証するともいえますし、最初と最後では出方が違うまた、上と下には出し方が違うともいえます。
また、【口】を上下から来る圧力から、必死に守っているようにも見えます。
【口】の中には、何が大切にしまってあるのでしょうか。
仕切りの無い空間には、どんなものも入れることができます。
人それぞれ違う大切なものが、しまわれ、守られているのでしょうか。
【彳】で圧力を斜めに受けて始まった【衛】は、【つくり】で圧力を直角に受け止めて〆ます。
つまり、どんな圧力も受け止め切ろう、しかもダブルで!という徹底した備える構えです。
そして、【彳】【韋】【つくり】のどれもが一本足で立っていますが、【つくり】のハネに、さらに強固な決意を感じます。
【衛】は、勝気でタフな姿勢で強い意志を持ち、冷静にバランス良く検証を重ね、決めたことをとことんやり抜く強い意志と、地面に点で立っていることから、素早く対応する行動力のある字といえます。
また、真ん中にある【口】(国構え)を、左右上下から守り切っているかのような字でした。
【自衛】とは、自分の価値観や経験則の全てを駆使して、強い意志とタフな姿勢で、冷静に周囲から情報を取り、また発信しつつ、
大切なものを必ずや守り抜くという徹底した強固さのある文字といえます。
分析をしていつも思うことは、文字の面白さです。
【まもる】には、【守】や【護】もありますが、【自衛】に使う文字として【衛】という字の世界観は完璧ですね。
【自衛】とは、自分で決めて自分で動いてまもること。
誰かに護ってもらうのなら、
【守護】とか【庇護】でしょう。
2011年の大震災の後に、
【自助】の文字を分析しました。
有事にあって大切なのは常に【自】なのですね。
それぞれが自分の価値観や経験則を駆使して、それぞれが大切にしているものをまもり切るのだ、という強い意志の発動が必須といえます。
私も、大切な娘たち、未来の孫たちが、安全な社会で安心して暮らせるように、今すべきことを考え、実行したいと思います。
まもり切る強い意志を持って。
ご精読いただき、ありがとうございました。
今後も日本が日本らしく平和で在り続けますよう、感謝と祈りをこめて。
2014年7月【書】
現在放映されているNHK朝の連続テレビ小説【花子とアン】は、
私が子どもの頃一番の愛読書だった【赤毛のアン】の翻訳者である、
村岡花子さんの生涯が原案となっているドラマです。
彼女が翻訳をした、マーク・トウェイン、オルコット、ジーン・ウェブスター、ルイス・キャロル、バーネット夫人、そして、赤毛のアンシリーズを始めとする、ルーシー・M・モンゴメリの作品の数々。
想像の翼を広げて、胸を踊らせて、寝る時間を惜しんで読み耽った大好きな本たちが私の手元にくるまでには、このようなドラマがあったのかと、感慨深く観ています。
娘の才能を伸ばすために奔走する花子のお父さんの姿が、
毎週日曜日に図書館に連れて行ってくれた亡き父と重なり、
あらためて父に対して感謝の思いが湧きました。
親が子の才能を信じることで、
子はそれに応えて才能を開花させるのだなぁと、
子を持つ母親として反省するところもあり、また、自分自身、父にしてもらった思いに応えられていないという自責の念に駆られるところでもあります。
生かしているかどうかは別にして、読書が好きなのは、父のおかげに他なりません。
父が教えてくれた『書を読む』楽しみですが、最近は、読む時間より、書く時間の方が多くなってきました。
インプットから、アウトプットへと移行する時期に入ったということでしょうか。
一口に『書く』といっても様々な分野がありますが、今回は、
『自分の思いや考えを書くこと』を【書】の文字を通して考えてみたいと思います。
【書】
形分けでは『直情の形』といい、自分の価値観に忠実で、何時でも何処でも誰といても、状況に関係なく自分のスタイルを貫く姿勢があると観ます。
【聿】
筆(ふで)の下部のような字をまず書きます。
圧力を【一】で堂々と受け止めることで刺激を受け、自分の思いや意見を「書きたい」という意欲が生まれます。
右端から縦線を下ろして左と下に間口を作り、二本の横線を引き【ヨ】に似た字を書きますが、
真ん中にある横線は、左ははみ出し、右は突き抜けています。
左の間口は『革新の質』があり、勝気さや自分のスタイルで物を見る姿勢があるとします。
上下に二分する仕分け法は、
伝えたい自分の世界観が明快に構築されていくといえます。
真ん中の線の長さは、取りこぼしなく圧力を受け止めたい貪欲さにも見えますが、下にある空間が上から見え辛くなることから、表裏の世界のようにも見えます。
一つの物の観方を経て、さらに深く別の観方で見た世界を持つ。
先ずの主張を発し、その後に裏付けていくともいえます。
その後、中心から上下に突き抜けた縦線を下ろすことで、左に間口のある上下二つの空間の奥に【日】のような閉じられた空間を有することになりました。
なぜ一旦閉じるのか。
移り変わる情景や心の景色にストップをかけて、
そのシーンを切り取り、今を表現するためではないでしょうか。
一本のアンテナ的要素で捉え、発するには、進行形である事実を踏まえながらも、明快さが求められます。
その後もさらに二本の横線を書いて、精査する作業にようやく終止符を打ちます。
何本も重ねた横線は、鍛錬するタフさ。
コツコツと自論の精度を上げていきます。
そして、それを貫く縦線。
この直角的な様が、論理的な説得力を持つとみえます。
自分なりの物の観方や考え、内面の世界を、文字に置き換えて表現して、伝え切りたいという切なる思いが伝わってくるかのようです。
【日】
そこまでこだわって絞り出した思いを、またしても【日】という二つに分ける発想で表現するとは、どういうことでしょうか。
中学生の頃に教わった、
『推敲』の語源である『僧は推す月下の門』か『僧は叩く月下の門』で迷うという故事を思い出します。
自分の中からしっくりくる言葉や表現をとことんこだわって導き出す、その過程を私も好みますが、
最終的には一つに絞らなくてはならない。
【日】は、一旦の決着を付ける、ということがいえるのでしょう。
【書く】とは、様々な情報や経験則を基にして今感じたことや考えたことを切り取って、検証を重ねてプライドを持ち、明快に表していくことといえます。
そして、伝えること、伝わることが大前提です。
直角的に精査を重ねていく作業にその思いが見えますし、その作業は終わりなき鍛錬ともいえます。
物を書くこと、それは今自分の内面に真摯に向き合うことから始まります。
毎月のぼかんの文字の分析を書くたびに思うことですが、内面にあるものが表に出ることの気恥ずかしさと、自分を確認できる面白さがあります。
書いた物は、自分の生きた軌跡、大切な人生の記録です。
書く作業の中で、独自に編み出した表現は滅多になく、何千年と使われてきた、先人たちが身を削るようにして絞り出した秀逸な表現を拝借しているに過ぎないことがほとんどです。
でも、先人たちとの共同作業を経て、私が伝えるべきことを伝え遺していきたい、と思うこの頃です。
皆様、拙い文章をお読みいただき心より感謝いたします。
これからも、精進してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
2014年6月【演】
夕刻に車を走らせながら、
ふと見たバックミラーの中に、彩雲を見つけました。
虹色に輝く雲を観るのは久しぶりで、その稀な美しさにとても心が浮き立ちました。
温かなオレンジ色の光を放ちながら沈んでいく夕陽も美しく、
初夏の気持ち良い風に吹かれながら、
この完璧に美しい世界を創ったのはいったい誰なのだろうと、思いを馳せました。
いつも自然は、無償で私を癒してくれます。
このギフトに感謝の気持ちがあふれました。
20年近く前に、飯田史彦さんの【生きがいの創造】を読んで共感して以来、
人生とは、壮大な脚本の下に、
ご縁のある人たちで織り成す《劇》のようなものだと考えるようになりました。
学生時代に、演劇に携わったことがあるからでしょうか。
このところその思いが強くなり、
美しい景色を観ては、
《大道具》さんの仕事の素晴らしさ讃える気持ちになったり、
人に出会えば、
自分はこの人にとって、どのような役回りなのだろうと考えたり・・・。
無数の人々の人生が、
全て絶妙なタイミングで、
出会いと別れが絡み合う。
飯田先生的発想をお借りすると、
一人ひとり違う脚本を完璧に組み合わせた驚くべき素晴らしい大脚本があり、
こんなにも美しい舞台を与えてもらい、
私のために演じてくださる山ほどのキャストも、
全員が友情出演、無償で役を引き受けて下さっている・・・。
短気なお父さんも、
心配性のお母さんも、
意見の違うあの人も、
私が配役したと思えば、
腹が立ったり、傷付いたりする必要は無いのでしょう。
そして私は、自分の役をどの様に設定したのでしょうか。
どのような目的を持って、
何にチャレンジをしようとして、
生まれてきたのでしょうか。
自分の書いた脚本に、沿っているのでしょうか。
好奇心旺盛だけれど恐がりで、
計画倒れしやすい私のこと。
夏休みの計画のように、
あれもしたい、これもしようと脚本に盛り込んで、チャレンジしようと思って生まれてきたのに、
しり込みしてやり残していることがたくさん有るような気がします。
人生を演劇になぞらえて、
【演】を分析することで、
改めて生き方を考えてみたいと思います。
【演】
字が左右に分かれる受け入れの形で、常に情報や圧力を受け入れては流すことを繰り返しながら検証し、吟味する力を培っています。
【さんずい】
まず、基本の姿勢の「さんずい」は、
【丶】【丶】同じ方向で二度チェックをした後に、
そのチェックを全て受け止め切って、方向を一気に変えて上に跳ね上げています。
この、隙間だらけの保守の部は、
移り変わる状況に常に影響され続けています。
保守の方向ですので、
自分の価値観に忠実に情報を分析することを試みますが、
点々のようにも見えるシンプルなつくりであることと、
周囲の影響を受け入れる中で、
確固たるものがあるというより、
捉えどころの無さや自由性を感じます。
しかし、最後に方向を変えて『上に行く』ことで、
変化もまた成長とする、
強い意志があるといえます。
また、鋭角な接地の仕方から、爆発的な瞬発力も感じます。
変化には、エネルギーが必要です。
内面の世界に、変化への強いエネルギーを持っているといえるでしょう。
【さんずい】は、
様々な情報・圧力からの影響を受け入れ、刻々と移り変わる状況の中で、元来シンプルを主張する自分の価値観を元に、変化・成長していくことを、自由に楽しむ姿勢があるといえます。
【さんずい】の思いを元に、
【寅】で行動に移します。
【寅】
オープンな【さんずい】とうって変わって
【寅】はクローズした印象の強い字です。
元になる思いにスピードと変化を許しても、
行動は影響を受け過ぎることなく、じっくりとした自分作りをしたいと言うことでしょうか。
先ずの【宀】で、圧力から内面の世界を守ります。
小さなアンテナ的要素で周囲の様子を窺い、先の情報を取りながら、
受け止めた圧力を検証して後に、自分の世界観に取り入れます。
【一】
【宀】と【一】の間に空間がありますので、強い圧力もタフに受け止めることができ、
また、取り入れたものをもう一度落ち着いて吟味することもできます。
このタフさを《備え》という発想でみれば、生きる中で強い圧力が来ることを当然のごとく想定している、とも、望んでいるともいえるのではないでしょうか。
【由】
取り入れたもののエッセンスを【田】の中に仕分けていきます。
なんと緻密な作業でしょうか。
ここに至るまでの慎重さ、それを整理する箱の細かさ。
全て【宀】より始まる、生きる日々の努力・鍛錬という圧力に対応する能力ゆえのことでしょうか。
腑に落ちるまで生真面目に整理をする頑固な様子がうかがえ、喜怒哀楽の感情の機微も、様々な経験から得た価値観も、しっかりと自分の物として落とし込む、完璧主義的世界観を感じます。
【ハ】
【宙】に似たどっしりとした重みを感じる安定感の有る字の下に、
軽くて不安定な【ハ】を書いて締めくくります。
【宙】のような字と【ハ】、大いなるギャップを感じます。
【ハ】に至るまで、これほどまでに慎重にじっくりと腹を据えて取り組んできたのに、【ハ】で終わるとは・・・。
これまでのことをひっくり返して、台無しにしてしまわないのでしょうか。
つまりこの【ハ】は、結論のようであり、途中経過である、ということの表れなのでしょう。
常に振り出しに戻り、経験と自分作りを繰り返すのでしょうね。
何があっても、何を経験しても、
それで自分を決め切ることの無い自由性を持って、楽しんで行動する。
ドラマティックとは、まさしくこのようなことですね。
何が起きるかわからない展開にハラハラドキドキしながら、健気に、大真面目に取り組んでいる。
【寅】は、圧力に対する慎重さと、それを自分に取り入れ自分のものとしていく緻密で生真面目な作業の後に、自由な表現を楽しむといえます。
【演】は、自分の価値観を元に、
移り変わる状況の影響を受けながら、成長するために様々な圧力を受け止め、自分の世界を完璧に作り、しかしそれに固執せずに自由な表現を楽しみ続ける字といえるでしょう。
保守の部の基本の姿勢に、生きる目的を観るとすれば、
『人は一人で生きているわけではない』
『自由である』という二つの大前提を知ることができます。
共に生きる中で、自分の望むように変化をし、成長できる。
反対に言えば、
どれほど影響されようと変わらない、個々の価値観に基づくキャラクターというものがベースにあるわけです。
そのキャラクターが、様々な人と出会い、困難に遭遇し、経験から学び、そのこと自体を楽しむ成長物語。
人生を生きることは、演じることに通じます。
先に書いた【生きがいの創造】によれば、
環境も役柄も、周囲の登場人物も、実は選択可能であった、
いえ、生まれる前に自分が選択していたとのこと。
そう考えることで、人生は楽に、生きやすくなると思います。
演じているのです。
楽しまなくて、どうしましょう。
演劇に携わっていた若い頃、
アドリブは苦手で、決められたセリフを台本通りに演じることに必死でした。
でも、今ならお互いの掛け合いの中で、その自由性を楽しむことができそうな気がします。
それは、自分のキャラクターが確立できてきたからなのかもしれません。
どんな想定外のことが起きても、
自分自身のキャラクターを崩さずに対応できそうです。
そして、人の人生を思いやるゆとりも、少しはでてきたということでしょうか。
思えばあれから、30年の月日が流れていました。
まだ人生の舞台の上にいることにも、感謝です。
私の人生にご登場くださる皆様に、あらためて感謝の気持ちが沸きます。
私のために嫌な役をやってくださった方には、さらに感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
この劇の結末、人生の終焉をどう迎えましょう。
打ち上げの日、
「楽しかったね。みんなで力を合わせて精一杯演じきったね。最高の舞台を創ったね。」
と、キャストもスタッフも皆で手に手を取り合って喜び合い讃えあう笑顔を見るためには、自分一人の幸せを考えていても得られません。
お互いに成長をする。
一緒に楽しむ。
一緒に達成する。
そう意識して、私の役に徹したいと思います。
登場人物の皆様、いつもありがとうございます。
これからも、ドラマティックな日々の中で、感動を共有してくださいね。
2014年5月【移】
50歳を迎えた頃から、何事にも深さを感じるようになりました。
上へ上へと生きる人生で、
積み重ねた日々が厚みを増し、深くなってきたからでしょうか。
どんなに辛かったり、恥ずかしかったりした過去の出来事も、
私にとって必要な経験だったと、
目をそらさずに心を整理したことで、足元のぐらつきが減ったように思います。
そして、見える景色は、グラデーションになってきました。
以前は、好きか嫌いか、良いか悪いかのような白黒はっきりのシンプルな世界しか見えていませんでした。
でも、100人いたら100の個性があると理解する中で、
私の白と黒の世界の間に無限の色合いがあるのだと気付きました。
白とグレーと黒の3色では無く、
徐々に移り変わる細やかな色調であり、確かな明度の違いがあります。
それは、様々な価値観に触れ、時間的推移を経て、
微妙な色合いの違いがあると知ったからこそ、見極められるようになってきたのでしょう。
しかし、心は留まることなく、常に移ろいゆくものですね。
明るくなったかと思えば暗くなる時もあり、その幅を自分でコントロールできずに苦しいことがあります。
今回はグラデーションを意識しながら、【移】を分析してみます。
【移】
字が左右に分かれる受け入れの形で、常に情報や圧力を受け入れては流すことを繰り返しながら検証し、吟味する力を培っています。
【禾】
【ノ】情報に対して瞬時に見極める力があり、勝気な姿勢で意志決定をします。
【木】その方向に沿って、情報を収集・分析・計算します。
情報に対して常に敏感に対応しながら、自分の意志を形にするための備えを万全にして、行動に移すといえるでしょう。
【多】
【タ】
【禾】と同じく、一画目は【ノ】から始まる勝気な姿勢ですが、発散形の内面とは違って、箱の世界を有する我慢形の字です。
どんな圧力もタフに堂々と受け止め、いらないものは排除しますが、いるものは一旦仕切りの無い空間にしまいます。
その中から選んだものを、下に間口がありますので、下の【タ】にエッセンスとして伝えます。
下の【タ】は、上の【タ】をしっかりと受け止め、寄り添う形になっていますので、
意向を受け継ぎ、さらに究めていくといえます。
究めるのは、自分流であることでしょうか。
周囲を気にしないマイペースさで、時に立ち止まり、時にチャレンジしつつ、最初に決めた方向性を違えることなくコツコツと努力してやり抜き、その思いは、下の立場の人へと伝えていく姿勢です。
また、曲線で接地していることから、タフさや柔軟さを感じ取れますが、全ての方向が左を向いていることから、融通の利かない頑固さもあるといえます。
頑固さは、【ク】ではなく、
横に線を入れて【タ】であることでも証明せられるかもしれません。
圧力に対する補強材のように、耐える強さが感じられます。
【移】は、勝気な姿勢で決めた意志に対して、しっかりと情報収集、分析をして準備をしたら、堂々とタフに粘り強く、初心を貫く行動をする字といえます。
慎重さと大胆さを併せ持ち、周囲を気遣う思いやりや冷静さの内面とは対極ともいえる周囲を気にしないマイペースな行動。
質の違う組み合わせですが、方向は左下へと揃っています。
今ある状態から、自分流に変化することを貫くといえますが、それは次世代に遺すための改革ともいえるでしょう。
【移】は、文字の意味そのままに、現地点から次の地点へと移行していく様が見える文字でした。
【タ】を書いて【タ】を重ねるところから、濃いから薄い、または、薄いから濃いへというグラデーションでの変化も想像できます。
そしてその結果は、ベースとなる【禾】の状況次第で、常に移り変わることを余儀なくされるともいえ、定着すること無く、自らも変わり続けることを欲し、欲したままに動く文字ともいえるでしょう。
私が私として何を成すべきなのか、生まれてきた意味を探しながら暗中模索し、焦って生きていた若い日々。
あれこれと試行錯誤しては失敗を繰り返し、苦しみの中から徐々に光が射し、今ようやく少し先が見える明るさになりました。
しかしこれも、途中経過。
きっとこれからも様々な出来事が起きるでしょう。
でも、荒ぶる海の暗い青も、
キラキラした光の粒子が見えるような紺碧の空も、明暗両方の味わい方、楽しみ方を知りました。
明度を上げてクリアになっていくこと。
深さを増して、濃くなっていくこと。
双方身に付けるために、
感謝をするか、しないかではなく、深く感謝すること、
理解ができるか、できないかではなく、少しでも深く理解するよう努力して、深みのある人間性を目指します。
いつも応援してくださる皆様、心より感謝しております。
ありがとうございます。
徐々に深まるお付き合いを、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2014年4月【済・澄】
私は、心の中の思いを人に打ち明けるのは苦手なタイプですが、先日珍しく聞き上手な友人に話を聞いていただく機会がありました。
「話を聴いてくれてありがとう。おかげで気が済んだわ。」と言ったところ、「気が澄んだ?」と
お茶目に返してくれて、ハッとしました。
確かに、話を聴いていただく前は、心がもやもやした状態でしたが、話し終わった後は、晴れやかな状態になっていて、
気が済むと、心が澄むのだと気付きました。
日本語の同音異義語は、面白いですね。
【氏名】と【使命】、【姓名】と【生命】しかり・・・。
なんだかそこに、深い意図や意味を見出したくなります。
今回は、【気が済んで、心が澄んでいく】流れを、文字の分析から考えてみたいと思います。
【済】
字が左右に分かれる受け入れの形で、常に情報や圧力を受け入れては流すことを繰り返しながら検証し、吟味する力を培っています。
【さんずい】
まず、基本の姿勢の【さんずい】は、【丶】【丶】同じ方向で二度チェックをした後に、そのチェックを全て受け止め切って、方向を一気に変えて上に跳ね上げています。
保守の方向ですので、自分の価値観に忠実に情報を分析することを慎重に繰り返しますが、最後に方向を変えるということは、その状態を変化したい、との思いが有るからといえるでしょう。
一点で鋭角に接地しているところからも、その瞬間の意志やエネルギーの強さ、求める姿勢が感じられます。
しかし、線というより点々にも見えるシンプルさは、細やかに分析するというより、感性のままの自由さや、不規則で捉えどころの無さ、または流動的な柔軟さがあるともいえ、その時々の圧力や情報によっても、大きく影響を受けそうです。
また、【さんずい】と【斉】は、釣り合いを取ると考えると、【さんずい】の1点1点の思いの強さやこだわりの深さがあるともいえます。
【さんずい】の思いを元に、【斉】で行動に移します。
【斉】【文】圧力を堂々と受け止め、取り入れたものは【口】のような仕切りの無い空間に入れます。
まとまらないままに入れた情報を、【月】のように仕切りのある空間でじっくり時間をかけて整理をして最後は下方向に出します。
圧力から守られた空間で、自分の価値観に照らし合わせながら整理したら、留めて置くのではなく、出すことで完結する字です。
【済】は、自分の価値観を元に繰り返しチェックした事柄に対して、
思いを変化しようとする強い意志を持ち、タフにじっくりと取り組んだ後に、その思いを伝える字といえます。
【さんずい】の自由さ、テンションの変化や強さと比べて、【斉】はほぼ左右対称で、空間も多く縦に長さがあることで、真面目さやのんびりした穏やかさを感じます。
【気が済む】状態は、気持ちを伝えたい当人に、その場で言いたいことを言って作られる状態かと思いましたが、それは途中経過に過ぎないのですね。
今はこの事に関しては済んだけれど、他のことは進行形で続いている・・・。
【済む】という状態は、自分の内面で段階を経て、徐々におさまっていくものなのですね。
激しい感情も、時間をかけることと、聴いてくれる相手が居てくれることで、一つひとつ消化できるものなのかもしれません。
では、【澄】はどうでしょうか。
【澄】も字が左右に分かれる受け入れの形で、常に情報や圧力を受け入れては流すことを繰り返しながら検証し、吟味する力を培っています。
同じく【さんずい】を元にして行動に移しますが、【登】という文字での対応となります。
【斉】と似ているのは、【登】も【癶】で圧力から内面の世界を守ることができるところです。
圧力に対して傾斜のある対応ですが、滑り止めのようなアンテナ的要素を持っています。
とても慎重に、内面の世界を守っているといえます。
また、【癶】の一画目は【フ】のように我慢形の要素と革新の質を持ちます。
守りの姿勢の前に、強い主張があるとみます。
しっかりと吟味して入れた情報を、【一】で受け止め、
【口】で大まかにまとめ、
【ソ】で集約し
【一】再度全てを受け止めて、上向きに完結します。
様々な違う機能を使って、ろ過していくようにも見えます。
【口】という仕切りの無い空間を途中に有することで、
一旦は、何もかもが一緒に溶け合い、混じり合った状態となります。
自分の価値観に合わないものも、自分の世界に受け入れてみる、ということでしょうか。
【澄】は、自分の価値観を元に繰り返しチェックした事柄に対して、
思いを変化しようとする強い意志を持ち、内面の世界をしっかりと守った上で、ろ過するように整理していく字といえます。
【さんずい】の自由さ、テンションの変化や強さと比べて、
【登】は【癶】と最後の【一】で内面の世界が守られていて見え辛く、接地面も安定していて、どっしりとした印象です。
徐々に澄んでいく過程を経て、上昇志向として完結します。
これでいいのか、と問い続ける中で、私の中で、きちんと接地面を経て後に、上昇志向で有り得る。
周囲は常に色々あるけれど、私の心の中は澄んでいる、という状態といえるのでしょう。
のぼかんに出会う以前の私は、誤解を恐れ、傷付くことが怖くて、心を開いた会話を避けていました。
そのため、気が済む体験も、心が澄む経験も、少なかったように思います。
のぼかんに出会って、個性・発想・価値観・表現の違いを知り、共感してもらえないことに傷付く必要は無いとわかり、心を開いて深い人間関係を築くことができるようになりました。
また、違うからこそお互いが必要なのだと納得でき、その違いが楽しかったり、愛しかったりするようにもなりました。
今回【気が済んで、心が澄んでいく】流れ、
【済む】と【澄む】の違いにトライしてみようと思ったのは、心許せる友人との会話がきっかけでした。
もちろん人と会話するということは心地良いものばかりでは無く、
気が済む(澄む)に至るまでに、
切なさ、怒り、苦しみ、もどかしさなどの、ドロドロした感情に向き合うという前提があります。
でも、人生に豊かさや深さ、濃さ、重みを与えてくれるのは、こういった全ての感情を味わい尽くすことなのだな、とわかってきました。
【いずれ、済んで、澄んでいける】という安心を持って、これからも多くの方々と深く交わっていこうと思います。
そして、皆様の心の整理から、澄んだ心で気持ち良い毎日を送っていただけるよう、お手伝いさせていただけたら嬉しいです。
いつも本音で関わり、応援くださる皆様、心より感謝しております。
ありがとうございます。
2014年3月【嬉】
先日友人とメールのやり取りをしていて、
嬉しい気持ちを文字で伝えた時、
【嬉】という漢字が
【女偏】と【喜ぶ】で構成されていると気付きました。
そのまま読むと、
《女が喜ぶと嬉しい》と取れる漢字ですね。
また、女偏の漢字は多いのに、男偏の漢字はほとんど思い当たりません。
疑問に思って、調べてみました。
諸説あるようですが、
漢字を作った人々はおそらく男性だったので、
女性の持つ多彩な性質に惹かれて、男目線で女偏の漢字をたくさん作ったのではないか、という説に納得しました。
漢字の【漢】自体、おとこを表していますし。
そして、《女が喜ぶと男は嬉しい》のかしら、と思い至ると、
《男が嬉しければ、女も嬉しい》とも思えて、
【嬉】の文字に、幸せな気持ちにさせていただきました。
と、いうことで、今回は【嬉】をのぼかん的に分析してみようと思います。
【嬉】
字が左右に分かれる受け入れの形で、常に情報や圧力を受け入れては流すことを繰り返しながら検証し、吟味する力を培っています。
【女偏】
【く】自分の価値観を大切にする保守の質で圧力に対応しますが、
革新の質を持つ【ノ】で【く】の下部を断ち切りながら向き合います。
その中に、選り好みすることなく圧力を受け止め、
【く】の上部を【一】で断ち切りながら蓋をするようにして、
【口】のような空間を作ります。
3つの線がクロスしながら空間を作る過程に、確認し、確信していく作業があり、結論には固い意志を持つといえます。
仕切りの無い空間に、種々様々な物が混沌とした状態で存在します。
その中で育まれたものは、大らかで、分け隔てなく、全てを包括する柔らかさがあるといえる反面、曖昧で大雑把で大胆ともいえます。
また【女】は、閉じられた空間と、五方向に伸びるアンテナ的要素による発散という、二つの相反する要素を持っています。
上にも下にも横にも、空気を読んで対応する、気配りに長ける面と、
自分の思いを周囲に発散するにぎやかさもあります。
また、二本の曲線で接地しており、圧力に柔軟に対応するタフさがあるとみます。
【女】の意志を元に、【喜】で行動に移していきます。
【士】左右対称でバランスの良いアンテナ的要素で、冷静に情報を収集・分析します。
下の横線が上の横線より短いので、上で受け止め損ねた情報は二度と取れないことから、集中力を持って対応します。
【士】で取り入れた情報を、
【口】に大まかにまとめ、
【ソ】でそのエッセンスを【一】に伝えると同時に、
もう一度全てを受け止めて確認し、さらに一回り大きい【口】で大胆な行動をとると観ます。
【喜】は、【女偏】の意志を元に、直接かかる情報に対する冷静な見極めと、それを大まかにまとめながら、コツコツと努力して検証を重ねて後に、堂々、大らかな行動となります。
【嬉】は、気配りに長ける面やこだわりの無い大らかさ、タフさを内面に持ち、
冷静で客観的な判断力で情報を分析しながら、バランスよく堂々とした行動を取る字といえます。
【嬉】は、内にも(女)外にも(喜)【口】という質を持っています。
これはアンテナ的要素に直接通じる【口】と、そこまでの過程を受け入れる【口】とに識別できるということです。
【口】は、仕切りが無く、分け隔てしない質といえます。
これを、自分事と他人事の境の曖昧さと解釈すれば、
自分のことも、他人のことも喜びとする、または、他人が喜ぶことが自分の喜びにもなる。
一緒くたにまとめてしまうということといえ、これも、【嬉】の特徴と言えるでしょう。
何にせよ、自分一人で生きていたら嬉しいも悲しいも無く、
人との交わりの中で感じるものであるわけですから、
嬉しい気持ちを持って日々過ごしたいし、人にも嬉しいと思っていただきたいです。
そのために、【女】で在る私は【女】の文字のままに、内面にごちゃごちゃした思いを抱えていたとしても、常に周囲に気配りする優しさと、打たれて凹んでもあっけらかんと立ち直るタフな柔らかさを持ちたいと思います。
そして、その強さを持って、物事に冷静に対処し、どんな体験にも良し悪しを付けず(つまり、これは嬉しい、これは嬉しくない、とせずに)宝物として喜んで、自分の糧として内包して成長し続けたいと思います。
今私は幸せで、喜びの多い人生になりましたが、
それはのぼかんの良し悪しを付けない客観的なものの観方を学んだおかげだと思います。
そして、人にはそれぞれ違う考え方があることがわかり、自分のこだわりが解けたことも要因の一つです。
これからも、人との交わりの中で、お互いを理解し合いながら、
人の喜びを自分の喜びとする幸せな人生を生きたいと思います。
いつも共感・応援してくださる皆様、嬉しい気持ちをありがとうございます。
心より感謝いたします。