未生流 東重甫 いけばな教室

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未生流・東重甫のいけばな教室です。京都、大阪、東京で稽古を行います。

01/02/2025

2024年10月のコラム「陰陽消長」「性気」

昨年最高を記録したばかりの平均温度を今年も更新し、統計観測開始以降で一番気温が上がったと聞いています。日頃涼しいところで過ごしている方々も人ごとでは済まされないくらいの酷暑が続いています。今年は適度の恵みの雨を望むことも難しい様です。

とはいえ、秋を迎えるにあたり、心騒ぐ思いは私だけでしょうか?
さて今月は伝書三才の巻「序説」の注釈の最後の説文になります。

陰陽消長
伝書草木養の巻に、「一年陰陽消長は子の月太陰にして、一陽来復あるは是冬至なり。…(中略)…戌の九月陰弥々盛んにして亥の十月陰中陽となる。子の月より午の月までを陽の一廻り午の月より子の月迄を陰の一廻りという。如斯陰陽消長して一歳を経る。」又一日にとりても同様に説明があります様に、一年の周期において又一日の周期においても陰陽消長の一廻りがあります。

「植物に大切な水火寒暖の消長が無ければ性気を通わすことは無い。」(

と説明されています。次の一節にはこの理(ことわり)陰陽消長そのものについて次のように説かれています。

性気さかんなる時は暖となりて動く此の動くものを陽となづく、性気静なる時は寒と成て動かず此の動かぬものをさして陰となづく、暖きわまる時は則寒のきざしをふくみて動かずこれを陽中陰とし、寒きわまる時は則暖のきざしを含みて動くこれを陰中陽とす、暖長じて未だ寒を含まざるを陽中陽とし、寒長じていまだ暖を含まざるを陰中陰とす。一切形あるもの暖外より暖むこれを少陽とし、又形あるもの寒外より冷やすこれを少陰とす、萬物皆ここに栄えここにおとろへて陰陽寒暖に應ぜぬものなし

華道玄解、伝書管見他五行に関してのいろんな著書に解りやすく陰陽消長の図が記されています。
陰陽と十干、陰陽消長と時節・時との結びつきを考えると、陰陽説では表と裏が相和して形を成す。また、陰陽の捉え方で考えるに陰陽消長は陰陽説を知りそれを時の移り行く中でなされる陰陽の増減・考え方が説かれています。自然の中で、自然と相和して生きる草木の姿に天の恵み・地の徳を今さらながら感じます。

性気
自然の恵みを受け生育した草木に陰陽消長の道理を弁え、私心を忘れ水揚げし、養いを施し活かされることです。性気が通って初めて供花・饗花にも遣うことができるものです。

さて、今月のコラムにて“「序説」注釈”の説文が終了しましたので来月からは伝書本文に進みます。
「伝書を読む」ときくと、難しいことのように感じる方も多いようですが、同じような文は室町時代には著されていました。この伝書三才の巻が始めて世に出たのが、「花術三才之巻」として文化15年(1818年)頃ではと言われています。200年もの間読み継がれてきたことを考えると、貴重な物ではなでしょうか。
言葉の解りにくさもあるかと思いますが、ほとんど現代文として読めるように改版が繰返され、今日に至っていますので抵抗なく文章を感じ取れるのではないでしょうか。どうぞお楽しみに!

01/02/2025

2024年 9月 今月のコラム【法形・地形・心の風流】

「伝書」と聞けば難しいと耳をふさぐ傾向にありますが、現在の未生流の伝書は読みやすく、珍しい漢字には読み仮名がふられて備考欄に説明もあります。言葉の意味を理解し、耳に慣れれば自然に心に入るものと思います。
今月も序説から理解しにくい言葉をいくつかご紹介します。

「法形」 
天円地方の和合によって形が調い、陰陽和合、虚実等分をもっぱらとして挿花するところに花矩が生ずるものであり、花姿を美しくすると同時に、挿花の大意がその花に含まれなくてはなりません。

「華道に於いて三才和合の真理を論ずるに、假に三才の格花を作り此の姿を以って万物和合の道理を示す。流祖は此の三才の花形を作るに禁忌二十八箇条を定む、是に依って和合の理をしめす。
是即ち当流の本旨にして、唯花型を作る為の目的にあらず、挿花の道に倚って人道を示さんが為の所以なり」(玄解より)

「地形」
天地和合により縦横勾弦の三角鱗を求め、その意を解し挿花の心を忘れず、陰陽和合・虚実等分を基に定められた挿花の姿を意味します。
天の姿として挿花に表すなら円相体(内用前留)、また地の形として挿花に表すなら方形体、そして天地和合から求められた三角鱗があります。天地を別に形取るところの地の形を指すわけではありません。
なお、方形体は、挿ける姿を現す言葉であり、天地と東西南北四方を表現するものです。この姿は、松竹梅と万年青の七五三の二種だけで、意味を考えすぎて無闇に形を挿けてもいけません。

「義あって花を生くれば いけはななり」(落帽堂曉山)

「心の風流」  
手なぐさみまたは家に飾るがために挿ける挿花ではなく、自分を見、人を見そして花との語らいの中で心の拠り所を求めるものです。

伝書三才の巻の花矩七十二ヶ條の中には次のとおり記されています。
「(一)その席も花(二)花台薄板も花(三)花器も花(四)花留も花(五)水も花(六)鋏も花(七)挿ける姿も花(八)挿ける草木は勿論花(九)心も花となるべきは願う処なり」
およそ花を愛し挿花を愛することは出来ても、心のゆとりを求め、又心のゆとりある生活の中で挿花に相まみえることは難しいものです。そのゆとりこそが心の風流を感じ得るものではないかと思います。

華道玄解「挿け方五通りの区別」として、教花・供花・饗花・楽花・愛花と記されていますが、簡単に要約すると以下のようになります。

教花:流規を従って人倫の道を教示為す
供花: 草木の性質を尊み、規則をあまり深く論ぜず
饗花:客の心意に応ずべき心得が肝要
楽花:己が精神と同化して兎も角花と我との同一躰なる意を知覚する
愛花:命数の短き花を暫くの命を保たしむる

いけ花の技術向上は常として、いけ花の精神を未生流門葉を初めいけ花に携わる人の一人々が考えて頂きたいものです。「咲く花だけの美を求めるだけでなく、凋落の花、常緑の葉にも美を求めるのは、感覚だけの美ではないだろう」(いけばなの文化史Ⅰ(角川書店)より引用)は花を愛でるにおいてとても大切だと感じる今日この頃です。

31/12/2024

2024年8月 今月のコラム 【虚実等分・勾弦三才】

今月も未生流伝書三才の巻の序説に出る耳慣れない言葉を取り上げ、解りやすく説明していきます。
伝書と聞くと難しいと耳をふさぐ傾向にありますが、現在の未生流の伝書は読みやすく珍しい漢字には読み仮名があり、備考欄に説明もあります。言葉の意味さえ解れば又耳に慣れれば自然に心に入るものと思います。それでは今月も序説から理解し難い言葉を取り上げます。

虚実等分
ホームページのコラムで一度通読しましたが、荒木白鳳著の華道玄解には次のようにあります。

虚とは広大無辺、大宇宙の精神、未生自然の精神、絶対的世界の事
実とは万物の形体を指す。現象天体、地球、動物、鉱物他現象界

また、いけばな百練には以下のように記載されています。

虚実とは造花と同ふして猶表裏陰陽の如し
「造」は作り出す、例えば春に花葉を生ずるが如し
「化」とは消え失せ又は形をかゆるの類なり。冬に至れば落花落葉あるが如し
造は実にゆき、化は虚にゆく。
化あるが故につくり出して止事なし、
造あるが故に化々して止事なし

なお、秘伝の体用論の中にこんな説明があります。

自然の草木は実であって、これを伐り縦横勾弦の法形を備え、花葉を透かし、直立した枝葉を曲げ、曲がった枝葉を揉め、水際を締めて生けることは虚であり、虚の力が働くことである。しかしそれは生花としての形が備えられるものであって、そこには美が生まれる、それは実である。
この虚と実とが会い交じって等しく働くことを虚実等分という。

いけて美が生じることを実とする考えは、伝書三才の巻 序説にある「人も生まれながらにして人倫の教えなければ例え美服をまといても愚頑無骨の輩ならん。されば高位貴人の前に出ること能わず、先ず人倫の道をもしり礼儀をも弁えたる上にて美服を着し法正しくしぬれば、聖賢の前に出るとも何ぞ恥ずる事あらんや。」に通じるもので、出生の実を失わず法を守りて虚を備え、花瓶に移したる処即ち虚実等分にして華道の本意である。と説かれています。

また、伝書「体用相應之巻」に「虚実の論」として説かれている文面があります。

出生の儘の直なる枝は実にて詠め少き故に文たる虚を備え曲をもたしめ、皮肉骨調えば万人これに進む。故に虚は実となるなり。虚実文質彬々*たる処これ万物一切の法なり

本性そのままを実とし、知識や姿を整える事は虚である。しかし、三才の巻序説にあるように人倫の教え無ければ実であっても愚頑無骨の輩に等しいと説いています。

*:文質彬々とは論語にある「質勝レ文則野 文勝レ質則史 然後君子」のこと。“本能が知識に勝てば野蛮人、知識が本能に勝てば見栄っ張りな嫌みな人。知識と本能が上手く調和して始めて君子と言える、という意味です。

を挿ける、特に杜若の葉組みで虚実という言葉が多く出ます。又アマリリスやアガパンサスのように出生の葉が左右二方に分かれて出る葉においても葉組の虚実と云う言葉が能く出ます。
「実」すなわち出生の姿でいけるのも良いのですが、美しくいけることが望まれている挿花ですので、葉組を美しく見せるために出生ではないつかい方を加えるのが虚実です。実際ではあり得ない姿ですが、より自然に実際より美しい葉組をする事を「虚」といいます、つまり、葉組の場合「虚」とは「美」ということになります。

「勾弦三才」 
基本花形を形成する根本として、天円地方の原理から生まれた花矩と、その花矩が生まれた三才格の構成と、三才格の調和による陰陽虚実の和合と三つの要素を挙げることができます。
「勾弦」とは、天地和合の姿のことで三角鱗(さんかくうろこ)のことです。その形は前著の「縦横勾弦」の説明と同じですが、その形に三才の役枝のところの思想的な根拠であると同時に形式的な根拠であって、自らそこに統一せられ和の世界であるところの形をなすものです。

草木の色のうるはしき形の清らかなる、天地間これにまさるものなし、然れど是を挿花となすに其の法形なくんばあるべからず、故に形を調うるに未生自然の花矩をもって三才のくらいをたて、陰陽の通いをもって、虚実の理を弁え和合を調えて是を挿花の法とす。(挿花百練より引用)

野鶴齊玄甫は次のように述べています。

「三才とは太極・無極として混沌とした宇宙の中で、軽く清らかなものは天となり、重く濁れるものは塊りて地となります。そこに天地(両義)が開けて陰陽となり、やがて天地を通徹するとして人の働きを加え三才説の完成となります。」

天は無辺に開けてはてしなく光を放ち雨を降らせる、その恩恵の偉大さを崇拝したところから始まり、地は天の恩恵をしっかり受け止め全てのものを育む徳を持ち、農耕民族である人がその働きにより、天の恵みと地の徳を引き出すところから天恵地徳人動三つの働きと説かれ、その三才を花形に反映させ縦横勾弦に配したものが三才格となり、未生流の花形の基本となるものです。

いけばなはまずこの勾弦三才の姿をいけます。三才の形の意味を習いながら形にいける技術を学びます。この基本的な技術をしっかり身につけ、心の表現に気がついた時、自然と三才の意味が腑に落ちるようになります。
形にいける稽古より、意味を挿ける大切さを学んでいただけると嬉しく思います。

それでは今月はここまで、来月のコラムでは「法形」から進みます。

27/07/2024

2024年7月「今月のコラム」

さて今月は、虚実変化の道理です。詳細については、体用相応の巻で述べることにしますが、「虚」とは太極・無極などと同義で本質的なものを示し、「実」とは現実的なものの意味です。この考え方の1つに以下のものがあります。

植物はその生育に従うのが実で、その成長の実を失わないで挿花を挿けるがしかし所詮その挿花は「虚」である。(広江美之助)

未生流においては、伝書の解説のとおり、虚と実が相和してゆくところを求めるものです。

伐り出された草木を実より生じた虚(伐り出す前を実、伐る事で虚となる)とし、花矩を実、花の姿を虚とします。正花の姿に組み立てることを虚から実に帰ると見ます。組み立てて自然の草木は元の実に帰り、花矩は虚に帰るとみます。この虚実の変化に万能の姿を結ぶと考えるところに生花の妙境があります。(体用論より)なお、虚実とは、虚と実の関係の間に成り立っているもので、実は実のみで虚は虚のみであるものではなく、陰と陽、男と女、表と裏等と同義で、一枚の紙の表と裏とは表に対して裏があるのであり、表のみでは成り立たないものであります。

「五行」
中国で万物を生じ万象を変化させる五気(起こりは四千年前、中国夏王朝兎王の時代にさかのぼり…以下略)として、木土金火水をいいます。木火土金水は元来日常生活に不可欠な五つの物質ですが、転じてこれらの物質によって象徴される「気」あるいはその働きの意となり所謂五行説として展開します。五行の行とは運行の意で五つの物質が五行となるのは、天上の五遊星にその名を当てたことに由来します。(日本国語大辞典より)『五行大義』(続日本書紀に名が出る)陰陽の必読書として「周易」にならんで挙げられています。
五行大義では、

九は休む事無く前進し伸び進む君徳明徴の数   極陽の数
八は後方に退き、陽に和し、徳命の臣道象徴の数  極陰の数

となっています。五行が最初に登場するのは書経(中国最古の経典)であり、五行の順が「水火木金土」でした。その後、鄒衍(すうえん)によって相剋説の「木土水火金」と替えられ、紀元前一世紀頃現在使われている相生説の順である「木火土金水」に替えられました。その後、漢代(紀元前200年頃)には陰陽説と合わせて宇宙の万物は全て五行の相生・相剋の原理によって生成変化するとして、種々のものに当てはめるようになりました。

相剋(そうこく)では、水は火に剋ち、火は金に剋ち、金は木に剋ち、木は土に剋ち、土は水に剋つとする。
相生(そうしょう)では、木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生じるとする。

挿花百練(23頁)に五行五色のこととして、次の記載があります。

五色は木火土金水五行の色をいう、凡そ草木季節寒暖の時に随い、花葉を生じ青黄赤白と花に色はあらわせども、黒色の花なし、傳を持って五色を入る事あり、五色は即ち四方中央の五位なり、先ず東の方は木にして青色、南の方は火にして赤色、西の方は金にして白色、北の方は水にして黒色を現す、中央は土にして黄色をあらわすなり即ち五色これなり。

この四方中央の五位に五行をあて、その意に花形の役枝をあてたものが五行格で、中央に体、東に物の初めで動くとして留、南に栄えるとして用、西に実のりとして添うて添わず(相生)、北に朽ち土中に芽生えるといえど未だ生ぜずとして控と名づけます。この控の位置こそが未生の意を表し、未生流を考える上での大切な位置となります。

言葉の持つ意味を知る事とは、より深くいけばなを知ることでただ形だけにこだわらず、形にこめられた何ものかを追求し、いけばなの意義を感じ求めて頂く事ではないかと思う次第です。

27/07/2024

2024年6月「今月のコラム」

今月も伝書三才の巻の序説に出る言葉を解説することで、より広く深く序説の意味を理解できることを願うものです。

「陰陽和合虚実」と易の思想で一切のものが陰陽に配合せられる「一陰一陽之謂道」ともいう言葉があります。これは、陽と陰とが対立するという意味ではなく、一度は陽となり一度は陰となり、陰陽が無限に循環変化(陰陽転化)していくところに宇宙の生成発展があるという意味です。また、陰陽はとらえ方として次の5つの特徴で分ける事が出来ます。

陰陽互根(陰があれば陽があり、陽があれば陰がある)
陰陽消長(拮抗律、陰陽の量的な変化。陰虚すれば陽実し、陽虚すれば陰実す)
陰陽制約(提携律、釣り合いがとれた均衡。陰実すれば陽実し、陽実すれば陰実)
陰陽転化(循環律、質的変化。陰極まれば陽極まり陽極れれば陰極まる)
陰陽可分(交錯律、様々な陰陽の段階のこと。陰中陽、陽中陰、陰中陰、陽中陽 )

中でも陰陽消長は、未生流の思想とも関係が深く、“その陰極まった時陽が兆す。その現象を「一陽来復」としてその一瞬を捉え、特に「兆すと云へど未だ生ぜず」として大切にしており、この「未だ生ぜず」が未生の語源といわれています。本来、陰と陽は相対するものでありますが、この陰と陽が変易して行くというところに易の思想があります。変化の上からは森羅万象一刻と雖も変化しないものは無い、一切のものは流転してしばらくも止まない、昼は明るく夜は暗い、春夏秋冬は移り変わり、花は開いては枯れて行く、しかしこの変化の姿の中にもまた変化しない不易の法則があります。天は高く地は低い、日月星辰の運行はしばらくも止まることはありませんが、運行には自ら不易(変化の中に隠された不変の理を指しています。例えば季節の変化は循環という法則を持っており、自然法則や秩序或は理にあたります)の法則があります。この簡単と複雑と不変化とを変化の中に説明するのが易の思想のようで、陰陽とは切り離す事の出来ない縁で結ばれているものとなります。

日を陽とし月を陰とする、表を陽とし裏を陰とする例のごとく、天円地方の和合から生まれた三角鱗に含まれた美の定義である1:√2 、いわゆる√比例の美しさを持っています。この三角鱗から割り出された陰の目陽の目の寸法によって表現されるいけばな故に花姿のバランスの美しさは他に類を見ないものでしょう。
陰の目陽の目とは、三角鱗である直角二等辺三角形の長い一辺を裏尺(陽の目)とし、同じ長さの二辺を表尺(陰の目)とします。その三角形を二つ折りにしても表尺裏尺の割合は変わらず、表が裏に、裏であったところが表にとなり、幾度折り重ねても表裏変化が繰り返される所から、表裏一体の形となり、陰陽和合の姿といえるものです。
寸法にすると、陰の目1に対して陽の目√2となり、美的黄金比として日本においても葉書きや本等昔ながらのものはこの比で造られているようです。ちなみにB5、A4サイズ等の用紙もこの割合で作られています。

陰と陽とに分けられるものと、陰と陽とで1つの物を形成する物があります。例えば、手のひらは表と裏が共存しています。片方ではなり得ない物です。木の葉や葉蘭のような葉物でも陰陽があり、表裏があります。植物は地水火の恵を受けている事で生育します。火は陽の恵みととらえると、地は陰ととらえることが出来ます。葉は陽と向き合うところを裏とし陰とする事で陰陽和合します。葉蘭の場合、葉の表は陰とし太陽と向き合います。裏を陽とし地と向き合います。菊の花の芯を陰とし、花弁の裏を陽とする事も同じです。

陰と陽の関係は全ての物に反映する事が解って頂ければ、理解しやすくなるのではないでしょうか。

22/06/2024

第3回 未生流傳書三才の巻  《序説 注釈〈一〉》
2024年5月のコラム

三才の巻序説には、初めて読むには難解な言葉が散見されます。元来、伝書は技術・思想共に学ばれた方に与えられるものでしたので自ずと伝書の用語も難解となっていたわけです。現在は教授者により免状を取得する事が出来るため、どうしても学ぶ時間が少なくなっているのではないかと懸念しています。まずは言葉の意味を知る必要があり、一読し、言葉の意味をある程度解すようになってから再度一読し、目に慣れ、耳に慣れ、と言葉が自然と感じられるにはある程度の時間を要します。
繰り返し学ぶことにより、伝書で説かれている意味を自身で感じ取ることができるのではないでしょうか。まずは伝書の言葉の意味を私なりに説明していきます。

・天円地方
天地の運行に花矩の根拠を求める。
「天は思索を超越したる宇宙の本體に命じたる称呼(よびかた)也 正理(真理)を天と云い。尊尚を天と云い。あるいは上(カミ)にある天と云う。ここに挙げたる天には其物を索モトめて見ても殆ど形を得る事が出来ない。さればこれを無と云い大虚と云うべきか。(四書* 中庸の第一章)」と説かれています。
*:論語、大学、中庸、孟子

天は、全てのものを生み、これを統裁するものを意味し、一切の生産の基礎を天に置き、これを発育せしむるものが地です。天地合力の上で生育が完成します。地は、天と対立するものではなく、天の所産であるから、天と地の関係はその作用の行われる姿としての根本的な区別ではありません。 生成は帰して天に集まります。この考え方は東洋の思想だけでなく西洋の思想にもみられ、インドの思想にもあるようです。

天を形に表して円とし、地を形に表して方形とします。天は動的・包括的であり、外に対し無限の拡がりをなすものと考えることから円の形で現します。伝書の解説では、天は円満無辺大のものとするとあります。一方で、地は静的であり天の作用の生じる所として陰陽の思想を根元とする方位の四極・節位の四時とを現すものとして方形で表します。また、伝書では東西南北の四極を持ち、春夏秋冬の四季をもって運行する所からとあります。天円地方の思想を形で表現するにおいて、円とその円に内接する方形との形から求められたものが天地和合の形となります。その形が未生流の基本である直角二等辺三角形(三角鱗形)です。

・縦横勾弦
天を円とし、地を方とする天円地方の思想を形に現し、その天地を和合させます。初めに天円を形どり、次に円相を描きます。その中心より左右上下へ十字の経緯線を引き、経線の上下と円相の線との接点を南とし北とします。
緯線の左右と円相の線との接点を東とし西とします。北より東、東より南、南より西へ角がけに直線を引き、西より北に終わるときは、自然の真形にて曲尺(かねざし)の生ずるものです。
形は調いましたが、東西和合を成さず、又南北心を通さざれば生々化々の用なし、ここにおいて南北を結ぶ経線より折て東西を合わすときは三角の鱗形となります。この三角鱗(直角二等辺三角形)が未生流の花矩(花の形の意味)となります。花矩は天地自然の和合に叶い三角形の鱗を持って挿花の形とします(挿花百練より)。直角二等辺三角形の長い一辺を弦とし、短い二辺を勾とします。縦横とは、この三角形の縦にしたものと横にしたものの事ですが、三辺の一番高い所を天とするところから、基本的に横姿の下向きはありません。

自然の真形にて曲尺(かねざし)と説明がありましたが、曲尺とは三角鱗(直角二等辺三角形)から考えられた尺度の事です。定義として、二辺の勾と一辺の弦の長さの割合が 1:1: √2となります。この1:√2の割合が美的黄金比として最も美しい縦横の比率になり、比率に基き創られた寸尺の物指しを曲尺(かなざし)と言います。

言葉の意味は難しい物です。たとえ言葉の真理まではいかなくても感じることがあるかと思います。解説することで些かの手助けになればと思います。
荀子の「道は近しと雖も 行かざれば至らず」の思いでまずは一歩進んでみていただければと思います。

20/05/2024

2024年4月 第2回 未生流傳書三才の巻 《序説解説》            

今年の4月は特に未生流支部展が多く催されています。花展とは、支部のお祭りのようなところもありますので作品は何時も愉しく拝見しています。特に、新花や造形は時代の流れの中の一コマで、作品に対する表現のおもしろさがありますが、格花はそうはいきません。花展で学ぶのではなく、日頃の研鑚を発表する場でもあります。形は技術を学ぶ事が出来ればある程度許される物ですが、格花には200年以上の歴史の中で培われた決まりごとがあります。当然のことながら、これを簡単に変えることは出来ませんし、守るところは守らないと歴史を積み重ねることは出来ません。

教える者、学ぶ者と立場は違っても目標は同じです。花を挿ける時、写真にあったからそれが正しいという訳にはいきません。その意味を考え、納得の上、次世代に伝えていかなくてはならないことを考え、責任を持って言葉を発信し、次世代に繋いでいく事が望まれます。

伝書がないために華道の行き着く先が見えない流派もありますが、我々の未生流は伝書という華道の道標があります。この道標の最初が「三才の巻」です。ここに説かれている言葉の1 つ1 つが、今なお時代に相応した考え方ではないでしょうか。言葉に含まれている根元を探ってみるのも挿花を知る上で大切な事ではないかと思います。

「三才の巻」『序説』には、初めて読むには難しい言葉が多く見られます。令和の時代と昭和初期以前とではこの「伝書三才の巻」を伝授される時期の違いに問題があるのかもしれません。昭和初期以前の初伝とは、現在の師範どころではなく、技術思想共に学ばれた方に与えられるものでした。残念ながら現在は学習しなくても師範の免状を取得することは可能ですので、師範とは名ばかりで技術が伴っていない方も残念ながらお見かけすることもあります。このような状況であるため、初めから意味不明な言葉が飛び交うように感じるのではないかと思います。

 まずは、言葉の意味を知る必要があるのではないかと考えています。『序説』を一読して、言葉の意味をある程度解すようになってから再度一読する。このようにすることで耳が言葉を嫌がらなくなりますし、自然な流れの中の文言として聞く事が出来るものです。

『序説』では始めに文章に出てくる中の単語を拾いながら、説明していきます。

 次回より本格的に伝書を読み進めていきたく思います。

20/05/2024

2024年3月 未生流傳書三才の巻 《序説解説》

未生流の伝書は、「三才の巻」、「体用相應之巻」、「原一旋転之巻」、「草木養の巻」、「妙空紫雲の巻」、「規矩の巻」そして門外不出の「匂いの巻」と全部で7巻ありますが、匂いの巻までの伝書6巻は師範の免状取得までに拝受することができます。未生流でいけばなを始めてすぐに入門・初伝と拝受すると、「三才の巻」を拝受します。師範にいたるまでに6巻の伝書を拝受し、中伝で「体用相應之巻」、奥伝で「原一旋転」と拝受できますが、その内容について教示される機会が残念ながら無いのが現状です。当然、いけばなの稽古として、時折花材・花器に伴って伝書の内容について断片的な説明を受けることはあっても伝書全体の内容に及ぶことはありません。

 このような状況を鑑みて、新しく始める毎月コラムのシリーズでは伝書講義として伝書の内容を説明していくことにしました。普段の稽古では、時間の制約もあり先生に直接訊きづらいかとは承知していますが、支部の研究会や家元研究会ではぜひ質問する勇気を持っていただければと思います。

さて、今年最初の言葉として「孔子の九思」を紹介しましたが、簡単な言葉に訳された中に、教える立場として日頃忘れがちである大切な要素含まれています。

九思とは、「ものを見るときは はっきり見る」「聞くときは 誤りなく聞く」「表情は穏やかに」「態度は上品に」「言葉は誠実に」「仕事は慎重に」「疑問があれば質問する」「みさかいなく怒らない」 そして「道義に反して利益を追わない」の9つの思想です。

思い当たる、また、よく見かける言葉があります。個人的には、歳のせいにしがちですが早合点して「聞くときは誤りなく聞く」等は耳が痛い気がします。

まず、通読して頂きたい「伝書三才の巻」や「挿花百練」には未生流いけばなの「大意」といったような思想や歴史を感じさせる文言が多くあります。200年もの長い間伝えられているため、時代背景を考えると少し難しくもありますが、ともすれば忘れ去られてしまいそうないわゆる人倫の法として飛鳥時代には取り入れられていた思想があります。

千年の時代を経て五常「仁礼信義智」は、いけばなの先哲がまず取り入れた思想です。陰陽五行といけばなの関わりはこの五常からともいわれています。

陰陽、虚実、右旋左旋等多くの考え方を含む陰陽五行の思想をいけばなとの関わりあるところから説明することでいけばな全般に示されている大意を感じていただければとおもいます。

ところで、三才の巻を理解するためには三才とは何であるかを理解する必要があります。

三才とは、天・地・人であり、「三材」とも書きます。中国古代に起こった思想の1つで、三才の道とも言われています。辞典等には三才について以下のような記載があります。

天、地、人を指し、それぞれ完結した世界を形成しながら、相対応して同一の原理に支配されているという思想のことであり、明確には荀子の天編論から始まり、周易に図式化されて定着している。(ブリタニカ国際百科辞典より)。

天・地・人の称。三元、三儀、三極とも(デジタル大辞泉)。

一方でいけばなにおいての三才は、以下の通り、順位、区別を表わし、いけばなの思想性を示す言葉であり、天は「導くもの」、地は「従うもの」、人は「和するもの」の意とそれぞれ考えられています。

太極の混沌から、軽いものが上昇し天となり、重いのは下降して地となった。それが一陰一陽である。天と地の間に、調和させる森羅万象が生じ、その代表が万象・万物の霊長としての人である。 (大井いけばな辞典)

最近、やっといけばなの歴史の中での思想や創造に対しての知識を求める人が少しではありますが出てきたような時代です。今ここでいけばなの思想の根本を周知しておかなければ次の時代では潰えてしまうといった畏れすら感じます。

来月より三才の巻の序説から言葉の意味等について説明していきますので、皆さんが少伝書三才の巻が読みやすいと少しでも感じつつ、伝書についての理解を深めるための何かの役に立てば幸いと思います。

04/03/2024

2024年2月のコラム

「今月のコラム」を書き始めて気づけば14年の歳月が過ぎていました。時が過ぎるのは早いものです。長い年月進めてきたという自覚は無いに等しいのですが、昔のコラムを読み返してみると聊か感じるものがあります。継続は力なり、と良く言われますが、14年もの長きにわたって続けることができたのは一重に支えてくれる協力者だけでなく、読者皆様のおかげです。この場を借りて感謝を伝えたいと思います。ありがとうございます。

さて、今年は何をお話ししようかと思い、いけばな界に足りない物は何かと考えていたところ、勿体なくも本棚の飾りになっているであろう「伝書」があることに気がつきました。伝書が本棚を暖めているのは何も未生流に限ったことではなく、他の流派も同じ道をたどられているのではないでしょうか。

そこで、今年は未生流の「伝書三才の巻」の内容を紹介していくことにしました。先哲の色々な言葉が、これから始める伝書講義を初心の人に理解して頂く事に役立つのではないかということで引用しながら進めていければと考えています。

指導者の育成は、美を求めるだけに終ってはいけません。華道という道が何を示しているのかを考えながら多くの流派が立ち向っているのではないでしょうか。歴史が育んできた我々の未生流を知り、他の流派の考えを知り、これから進むべき華道を知ることが特に今の時代は望まれているように思います。

古くは中国の歴史が日本に影響を及ぼしてきた思想は、日本の歴史や華道の歴史に強く繋がってきています。華道の先哲はその思想を踏まえ独自のいけばなの世界を積み重ねてきました。ここでその思いを今一度感じて見るのも、いけばなを教授している者の使命ではないかと思いました。この手始めが伝書であり、伝書から感じることではないかという思いに至り、なじみのない方やいけばなを始めたばかりの初心者の方だけでなく、すでに何十年も経験のあるベテランの方にも簡単に復習もできるような伝書の解説を「今月のコラム」として一緒に学んでいくことにしました。伝書の言葉が難しい、漢字が読めないと思っている方は難しいと感じる言葉の解説を含めて解説してきますのでぜひ読んでみてください。わからないことはホームページのお問合せページ等からお問合せいただければ対応していくことも考えています。
 
未生流傳書三才の卷*に説かれています「挿花の大意」を私自身の考えに基づいて紐解いていきます。言葉の意味や内容の把握等の手引きだけでなく、今後のいけばなだけでなくいけばなを教えるにあたりゆとりある教えが出来るなら、今後のいけばな会はもとより未生流の繁栄にもつながるのではないかと考えています。

*:未生流初伝免状取得時に受領

25/01/2024

2024年の新春を迎えて

令和6年能登半島地震において被災された皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興をお祈り申し上げます。

新年早々の心痛む震災や事故があり、震撼する出来事で被災された方達を思うと、新年の祝詞が少し難しい気がいたしますが、新年を迎えるのは、日頃と同じで爽やかな朝を迎える思いです。
例年と同じく、1月2日には書き初めをしました。今年の書き初めは「但尽凡心」、”ただ凡心を尽くすのみ”安岡正篤『百朝集』天皇道悟に名高い偈(げ)の中の一文から引用しました。

言葉とは興味深いものです。読む人によってこんな言葉も意味が変ってきます。つまり、個人の素直な心の表現、教えの言葉と受け取って学ぶようにすれば良いのです。今年はついに後期高齢者の仲間入りといいましても、単純に年齢だけの話しで、私は常に前向きでいたいと思います。

現在、未生流の伝書講義を対面とオンラインの双方で進めていますが、進むだけではこの年になると過去のことはどうも忘れがちになりますので、こちらのホームページのコラムでごく初心の方のための未生流の伝書講義をとも考えています。
『孔子の九思』(紀元前552~479年)というものがあります。九思とは、「物を見るときは はっきり見る」「聞くときは 誤りなく聞く」「表情は穏やかに」「態度は上品に」「言葉は誠実に」「仕事は慎重に」「疑問があれば 質問する」「みさかいなく怒らない」「道義に反して利益を追わない」の9つです。
我々教え学ぶものにとって当たり前のことではありますが、忘れがちな言葉でもあります。どの世界でもそうですが、花道の世界でもこの九思に説かれている言葉は2700年を経ても的を得ています。
 あたかも花を知っていることが偉い人のように感じている者が少なくありません。偉いのではなく先生であることが望まれます。ある部分人生の先輩である事を意識して、自分の後輩を導く立場であることを認識して頂きたいと自戒を込めながら思う次第です。

「孔子の九思」の言葉をかみ締め、自身の鏡としていきたいと思います。そのためにも日々研鑽を重ね、1日1歩を目標に、また1日1日を大切に1年頑張りましょう。
本年も相変わりませず、よろしくご指導賜わりますようにお願いいたします。
                      

令和6年1月吉日
初寿斎(東) 重甫

04/01/2024

2023年を振り返って

師走恒例の慌ただしく感じる思いを楽しむことが出来ています。
今年を振り返ると毎年ではありますが、「今年始めての体験」という事がありました。いつの年も何かしら新しいことに挑戦できていることはありがたいことです。私一人では到底出来得ないことも、周りの人達に助けられてではあるが前に進んでいる気がします。

年の初めは、そろそろ恒例になってきています家族11名での長岡天神での書き初めからでした。思い思いの言葉が楽しみでもあります。私自身誰の言葉であったのか忘れましたが「無事澄然」と書いて部屋に貼ってあります。はてさて実行出来たかはともあれ、心の動揺に対しての戒めにはなった気がいたします。

病気にはとんと縁が無かった私ですが、今年始めて「脳梗塞」という世間ではよく耳にする突発的なものに襲われました。家族のお蔭で軽く済みましたが、ここでも2,3日と短い時間ではありましたが車いす生活を初体験しました。おかげさまで当たり前であった“自分で自由に動けること”に深く感謝する思いでした。

普通が普通で無くなる怖さを感じた次第ですが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の例え通り、感謝の念も薄らいでいく自分が少し怖い気が致します。とはいえ、好きなテニスの回数を増やし、時折のゴルフで自然との触れ合いの中での開放感を味わう様に努めています。

同じ体験であっても心が前に進む事が望ましい。今年を振り返って初体験を色々思い起すと、最後に出てくる言葉は「感謝」です。これからどんな体験が待っているのか楽しみながら新しい年を迎えたいと思います。皆様も、前を向いて進みましょう。
荀子の言葉に「道は近しといえども 行かざれば至らず」というものがありますが、何事も始めなければ達成しないという意味です。

今年一年お付き合い有り難うございました。輝かしい新年(甲辰の歳)を迎えられますことを祈念いたします。

2023年12月吉日
未生流 東 重甫

03/12/2023

2024年 未生流伝書講座 ご案内

新型コロナウイルス感染拡大により教室での受講ができない方や、遠方などで教室に来られない方を対象に、ビデオ会議システム(Microsoft Teams)を使用してご自宅で受講できるオンライン講座を開設いたしました。引き続き2024年にも開催します。

講座詳細:
https://drive.google.com/file/d/1GDEaSuI8U5NtLEFRSNU0wFqMORvfblgk/view
申し込み:
https://forms.gle/XUgsevhiMze9zXj5A

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