Konishi Ryotaro

Konishi Ryotaro

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与えることそのものが喜びであるという文化を創造する為、R.Kこと小西玲太朗によって創設されたビジネスブランド。人々の人生に転換点を打ち付けることをミッションに

Photos 15/10/2021

ありがとうを撒き散らせ、という話。

人生、絶対やった方がいいのにやれていないことって多いですよね。絶対やった方がいいことってのは「やると人生が豊かになること」です。人生が豊かになるということは、人生が好転しているってことです。誰にとっても、人生が後退するより、停滞するより、好転したり進化していく方がいいに決まってます。

人生を好転させるには「習慣」をアップデートさせるのが一番効果的です。習慣は定着していくので、いつか息を吸うようにそれができるようになります。つまり負担も労力もストレスも感じずにできるようになるわけですよね。すると生きている間、半永久的に人生が好転し続けるわけなので「習慣」をどうデザインするかってのはめちゃくちゃ重要な課題です。

社会というのは読んで字の如く人々の支え合いによってなりなっています。現代社会において誰にも頼らず本当の意味で一人で生きて行くことなんて不可能です。

既に衣食住全てのインフラが人によって支えられているからです。知人でもないし顔が見えないから支えられていることに気づけないこともあるかと思いますが、インフラだけではなく生きる上で必要な全てがもうすでに人によって支えられているわけです。

だから本来、呼吸をするだけで「ありがとう」なんですよね。生きているということは支えてもらっているということとイコールですもん。だから本来何もかもに「ありがとう」なんです。

それを大前提としていつでも心の中でマントラのように「ありがとう」を繰り返しておく。感じ続けておく。それだけでなんだかやたらと日常がエモくなるし、世界が少し違って見えてくるんですが、これに加えて口に出す「ありがとう」をうまく使いこなすと、その瞬間から自分の内側の世界だけじゃなく外側の世界まで素敵に変わっていきます。

うまく使いこなすとは「他人の自分に対するアクション」をトリガーとして「ありがとう」を微笑みかけながら目を見て口に出すことです。

いつでも自分の世界に存在してくれている全てに「ありがとう」と感じるべきですが、何もない時に「ありがとう」を発動させると脈絡がないので伝えたいように伝わりません。

もちろん心から「ありがとう」と思ってなければ、ちゃんと目を見ることもちゃんと微笑むこともできていないので、逆にキモいだけで伝わりません。だから何もかもに「ありがとう」と感じられる世界観をまずは前提として欲しいんですね。その上で、心の中で感じ続ける「ありがとう」と、口に出す「ありがとう」を正しく使い分けて駆使して欲しいんです。

どんなに小さなことでも「自分に対するアクション」をトリガーにして「ありがとう」と優しく投げかけられれば、誰でも嬉しくなりますしハッピーになります。相手はその日少し気分の良い1日を過ごせるかもしれないし、それだけじゃなくお互いの絆や信頼関係が増していきます。それだけで嬉しいでしょ?

でも実際はそれだけじゃなく絆や信頼関係が増すので、会話も対応もその後全てが変わっていくので、日常がより良く好転していきます。その中には何か大きなチャンスが生まれることもあるかもしれません。

これを、自分に対する他人のアクション全てに必ず紐づけるようにしてください。

何か物をとってもらった時、注意してもらった時、意見をくれた時、求めてくれた時、どんな小さなことでも全て拾い上げて、適当ではなくちゃんと1つ1つしっかり向き合って「ありがとう」を発動させてみてください。身内だけでなく、仲間だけでなく、自分に対するアクション全てに発動させてください。

ただそれだけで心は豊かになりますが、目に見えて世界が反応を変えます。それが習慣になっていけば、まぢで人生は劇的に好転しますよ。

Photos 13/10/2021

理想を叶えてる人は全て知っている、という話。

僕の小学生時代からの友人で今も親交のある女性がいまして、先日こんな話をしてくれました。

自分は常に子供の頃のように、自由で刹那的に楽しく生きていきたいけど、同年代の友達はきっともう人生大きく変えられないと思っていて、現状が一番幸せだと言い聞かせて仲間同士でそんな状況を鼓舞しあってるように見える。

仕事も大きな興奮とかはしないけど、とりあえず安定給料もらってるからいいや。子供いるし、悪目立ちしないように、適度にこなそう。という思考がほとんどで

なにかしたい!という気持ちのある子も自分でそれを勝ち取るというより、海外転勤にならないかなーみたいなラッキーチャンスを狙ってる感じだと。

中学時代は特に仲良くしていた友達なんだけど、彼女はキャリアもあるし頭もいいしアグレッシブで、そのまま大人になれたのかなと思います。

でも大人になるとみんな型にはまっていくのが割とスタンダードなんですよね。だから自分は変わらないのに状況も心境も周りがどんどん変わっていくことにおそらく無意識的に孤独を感じ始めてるのかなと思います。

で、これ俺めちゃくちゃわかるんだよなあ。

23で計らずとも起業することになって、彼女みたいに元がいいわけではないので紆余曲折あったけど、経済的にも時間的にも空間的にも自由になって、それまでの仲間とは疎遠になっていきました。もちろん大好きなままだけどね。

でも、全てが自由すぎる自分にとっては、全てを自己責任で決められるのに対して、一般社会ではそうではないでしょ?

翌日のことや、その他もろもろのことに負わされている責任があって、自由ではないからね。

例えば僕がインスタでとんでもなくエゲツない素敵な景色を見てしまったとして、「今すぐフライト取るから明日一緒に行こうぜ」って言ってもそりゃ無理なんだよね。

お金の問題じゃないということ。自由の問題。

相手に無駄な負担かけたりあるいは重荷になったり、嫌味に見えてしまったりすることもあるから、大切な仲間だからこそ距離を置くということがあって、好きな仲間とわちゃわちゃしたいけどできなくて自分の状況が変化したての頃はまだ孤独を感じたりしました。

でもそのうち気づくんですよね。というか必然的に導かれる。

自由を持ってる人は自由を持ってる者同士でちゃんとコミュニティを形成していくってことにね。

そして大抵の場合、やってきたことに違いはあれど、自由を獲得するために習得してきた価値観も似通ってる。

上昇を目指す人には上昇を目指す人たちのコミュニティがあって、そこには上昇するための自由の使い方を知っている人たちが集まって待ってるわけです。

現状維持を望む人、昔を懐かしみすぎて無意識に後退を望む人、現状を迎合している人もいれば、昔の僕や今回の僕の友人のように、その狭間でもがいている人もいるんですよね。

生まれてしまえばどうせ死んでいくのが人間なんで、その刹那の瞬間くらいは、進化や成長をするべきです。その中に、人生を楽しむための刺激や感動が詰まってるからです。

僕が思うに、そのジェットコースターのような紆余曲折を俯瞰して楽しむことこそが、平穏であり安らぎなのかなと思います。

一見めちゃくちゃ激しい人生に見えても、本人は案外ケロっと俯瞰して楽しんでるもんですよ。これぞ平穏ですよ。外部要因に過剰に浮き沈みせずに全てを楽しんでる状態。これ誰でもできます。

じゃあどうやって進化や成長すればいいのよって話だと思うんですけど、既に理想を叶えている人たちの形成するコミュニティにとりあえず何も考えず飛び込むことですよ。

そこに辿り着くあらゆる方法をそこにいる人たちそれぞれが持ってますから。

環境ほど人を変化させるリソースはまぢでないです。今は環境を探すのも、輪の中に飛び込むのもバチくそ容易な時代じゃないですか。これを活かさないてはないです。

ということで今日のテーマ「理想を叶えてる人は全て知っている」をまとめると

理想を明確にして、その理想を叶えている人らが集まるコミュニティに、
おもくそ背伸びして飛び込むと、知りたいことや欲しいもの全てがそこにある。
だから自分をそういう場所へ打ち込め、ということです。

今日もあなたの人生に小さな転換点が打ち込めたのなら嬉しいです。

Photos 11/10/2021

「ひょっとしたら」を信じてもいいかも、という話。

何もなかった頃は「きっと」や「ひょっとしたら」に全てを賭けられていたのに、実績がついたり予測通りの成果を上げることができるようになると、無意識に再現性を求めるようになっちゃって、いつどこでそんなもん背負っちまったんだっけ?と思うような再現性重視の数字野郎がまとわりついてきたりします。

それによって予測通りの結果は導けるし、再現性を求めてるんだから再現率も上がります。

だけど見方を変えると殻に閉じこもってんのと変わんねえんだよなと、自分でもわかっていたりして。それでもなかなか抜け出せなかったりして。

よく後輩や社員に「安全圏で意思決定してもそれはお前をお前のまま縛ってるだけだぞ」と言っている割に、自分もこの罠にハマって、視える範囲だけを視て、その癖見たこともない景色を見たがったり掴もうとしていたりするんです。

そんな自分に気づいて、やっぱり「ひょっとしたら」を追いかけようと、帆を上げ直したのがちょうど1年前です。

それまでに良いことも悪いことも含めいろんなことがあって、自分の人生はもう十分理想的だし、たいそうなアレコレの夢は俺の役目じゃないのかな、無理なのかもなと諦めたり卑下していたんですよね。

でも、自分の言葉でハッとしていたときに、コロナがあったり家族が強盗にあったりで人生を見直す機会に強制的に見舞われて、もう一度「ひょっとしたら叶えられるかも」を信じて立ち上がろうと決意しました。

自分の殻の外側での選択は、間違えることも多いし、都度打撃を喰らうのだけど、一歩一歩着実に、確実に前に進んではいて。視えることの範囲も広がってきました。

「ひょっとしたらいけんじゃねえの?」が今の僕には確信として存在していて、こうなると人は粘り強くあれる。飽き性で面倒くさがりな僕が遠くの未来だけを見据えながら、あらゆる可能性を探求していけるのは、ただそれだけで素晴らしいことなんですよね。

萎えることや失望すること、諦めざるを得ない出来事が今の世の中にはごろごろしているかもしれない。けど「ひょっとしたら」を信じれば、ただそれだけで毎日はちょびっと輝くし、誰に迷惑がかかるわけでもなく日々が充実する。

無様でもいいし、手応えなくてもいいじゃない。ひょっとしたら今しているあれこれが、未来でドカンと花開くかもしれない。そう信じるだけでも人生面白くなるはず。


人々の人生に、転換点を。

Photos 07/10/2021

「ひょっとしたら」を信じてもいいかも、という話。

何もなかった頃は「きっと」や「ひょっとしたら」に全てを賭けられていたのに、実績がついたり予測通りの成果を上げることができるようになると、無意識に再現性を求めるようになっちゃって、いつどこでそんなもん背負っちまったんだっけ?と思うような再現性重視の数字野郎がまとわりついてきたりします。

それによって予測通りの結果は導けるし、再現性を求めてるんだから再現率も上がります。

だけど見方を変えると殻に閉じこもってんのと変わんねえんだよなと、自分でもわかっていたりして。それでもなかなか抜け出せなかったりして。

よく後輩や社員に「安全圏で意思決定してもそれはお前をお前のまま縛ってるだけだぞ」と言っている割に、自分もこの罠にハマって、視える範囲だけを視て、その癖見たこともない景色を見たがったり掴もうとしていたりするんです。

そんな自分に気づいて、やっぱり「ひょっとしたら」を追いかけようと、帆を上げ直したのがちょうど1年前です。

それまでに良いことも悪いことも含めいろんなことがあって、自分の人生はもう十分理想的だし、たいそうなアレコレの夢は俺の役目じゃないのかな、無理なのかもなと諦めたり卑下していたんですよね。

でも、自分の言葉でハッとしていたときに、コロナがあったり家族が強盗にあったりで人生を見直す機会に強制的に見舞われて、もう一度「ひょっとしたら叶えられるかも」を信じて立ち上がろうと決意しました。

自分の殻の外側での選択は、間違えることも多いし、都度打撃を喰らうのだけど、一歩一歩着実に、確実に前に進んではいて。視えることの範囲も広がってきました。

「ひょっとしたらいけんじゃねえの?」が今の僕には確信として存在していて、こうなると人は粘り強くあれる。飽き性で面倒くさがりな僕が遠くの未来だけを見据えながら、あらゆる可能性を探求していけるのは、ただそれだけで素晴らしいことなんですよね。

萎えることや失望すること、諦めざるを得ない出来事が今の世の中にはごろごろしているかもしれない。けど「ひょっとしたら」を信じれば、ただそれだけで毎日はちょびっと輝くし、誰に迷惑がかかるわけでもなく日々が充実する。

無様でもいいし、手応えなくてもいいじゃない。ひょっとしたら今しているあれこれが、未来でドカンと花開くかもしれない。そう信じるだけでも人生面白くなるはず。


人々の人生に、転換点を。


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Photos 06/10/2021

ネットの世界じゃ発信しなければ存在しないのと同じだという話。

僕はこう見えてSNSが得意ではないんですよね。得意でないというのは感情的な側面のことで、実をいうと発信作業は面倒くさいし、誤解や批判も億劫だし、やっぱフェイストゥフェイスがいいよねって思ってます。それは今でも変わらない感覚です。

でも今の時代はもちろん、これからの時代は、この世界が人々の人生の主要な活動場になるし、コミュニケーションもここから始まる方がスタンダードな世界になるのは目に見えてます。

数年前「ネットの世界じゃ発信しなければ存在しないのと同じ」という類の記事を目にして「そうだよね、そりゃそうだよね」と耳の痛い(眼か?!)話を自分なりに精一杯受け入れようとしたことがあります。

でもやっぱり自分の中での優先度が上がらず、意味のあるようなないような発信をほんの時々する程度で数年を過ごしました。

そして改めて、自分ブランドをプロデュースする運びになった時に初めてちゃんと後悔をしました。届いていたはずの声が届かなくなっていたり、語り部が減っていることを思い知ったからです。

仕事のためにと積極的に発信していた頃は、それがやりたいことだろうがそうでなかろうが、その発信に励まされたり鼓舞されている人たちがいて、自分の手応えとは関係なく誰かの為になる行いをしていたのだと気づきました。そしてそれを辞めることは、期待を裏切ることだったんだと知るわけです。

商売的にダメージは大したものではないけれど、自分にやれるすこしの人助けを身勝手にやめて、多くの期待を裏切って、果てに掻いていた胡座が滑稽なものになることが、とっても恥ずかしかったし、自分の目指していた自分像とは気づけばかけ離れてしまっていたことがショックでした。

誰かの役に立てることは素晴らしいことだし、無意識にそれが果たせていた自分のポテンシャルはちゃんと活かさなくちゃいけない。たくさんのチャンスを無下にしていたと思うし、その間に僕は“存在しない存在”になりかけていたわけで、それはそれはダサいよねと。

発信をする。発信をやめない。まずはそこからやり直そうと思ったんです。続けることで、いつか好きになれるかもしれないしね。

これを読んでいるあなたも、あなたの自覚は関係なく、発信することで喜んでくれる人や救われている人が生まれるかもしれない。まずは“存在する存在”になっていけるように発信を始めよう。どうすりゃいいかなんて、それから考えればOKです。


人々の人生に、転換点を。


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Photos 05/10/2021

いかに楽しく働くか、という話。

僕は積極的にワークスタイルを随時変更しています。働く場所も時間も働き方も全てを都度変えています。その理由は、飽きないことで仕事が新鮮な状態を保てるため、楽しくなるからです。僕はルーティンを重じていますが、ルーティンにどのように向き合うかにおいて、最も重要視しているのは「新鮮さ」です。

ルーティンなんだけど毎回違う、そんな言葉にすると矛盾している不思議なポイントを追求しています。でっかく稼ぐことも大事だし、レピュテーションのためのパフォーマンスも大事なんだけど、何より仕事を愛し続けることが大事です。つまんなくなったらそのどれもが億劫になっちゃうもの。

そして何より、仕事は誰もが最低でも人生の3分の1の時間を投資しているので、人生=仕事であるといっても相違ないと思います。その時間が幸せなら人生は幸せに近づきます。

人は“自由“であることで“幸せ“を確認できるので、仕事を好きこのんでやっている状態とそのために働き方に自由を持たせる工夫は重要な課題です。それらを調整できない仕事やポジションなら、それができる職場やポジションに移行していく努力や決断をまずすべきだと思います。

それを実現するためにも、価値の高い人財にならなくてはいけません。そのためにも誰もが自分の価値をあげる姿勢を持ちつつ日々を過ごしたい、そのためのスキルを持ち磨き続けるべきです。僕もいつも自分の価値をあげるには何をすべきかを基準にあらゆる選択と決断を繰り返しています。

価値のない(あるいは低い)人財には良きチャンスは巡らずです。巡っても気づけず掴めません。だからこそ高い視座で、自分に期待をかけて挑戦を繰り返し、自分自身をアップデートしなくちゃいけませんね。ということで、今日も頑張りましょう。

画像はおこじろう(愛犬)の散歩時に風が気持ちよかったのでビーチサイドに折りたたみテーブルと電飾をもっていって、即席のカフェ&オフィスを45秒で設営した時の1シーン。楽しかった。


人々の人生に、転換点を。


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29/09/2021

収入の柱を最低でも三つ以上持っておこう、という話


最近ちょうどプーケットについてきたフィルムディレクターとサーフスポットへの道中話した内容です。

彼のマックブックが急に電源がつかないという状況に陥って AppleCare services にマックブックを預けている間、実に3週間もの期間ほとんど製作が出来なくなってしまっていたそうです。

メキメキとクライアントを獲得しまくっていたこともあり、大忙しの毎日だったのでその機会を利用して彼は3週間のんびりと過ごしたそうです。

その余裕があるならいいのですが、こういう時に備えてやはり収入の柱を複数ビジネスモデルで所有しておくことが重要です。


複数のビジネスモデルというのは、例えば映像クリエイターならばスクール事業を一つ、受託制作授事業を一つ、モーショングラフィック等のテンプレート販売事業を一つ、というような具合です。

プロデューサーなら分野別に事業を横展開したり、同じ分野だとしてもオンラインスクール事業、IP事業、物販事業等で多角的に展開していくことでリスクを軽減できます。

そして最低限のライフラインを各事業ごとに稼いでおけば、有事の際にも安心して次の展開を準備できます。

僕がプレイヤーとしてのクリエイターだったときは、ホスティングサービス事業やデザインテンプレート等のコンテンツ販売事業で収益の50%を構成し、受託制作で25%、ディレクターとしての製作仲介事業で25%の収益をあげるようにポートフォリオを組んでいました。

コンテンツ販売と仲介事業で75%の収益を上げていたので自由な時間と余裕のある利益をあげていました。

そこに自分がどうしてもやりたい仕事だけを選んで手掛けていたので、プレイヤーとしても日々やりがいを感じるクリエイティブな日々を送っていました。

ある時ディレクターとしてデザイナーとクライアントの仲介をしていた事業で、あるクライアントの代表が事故に遭い亡くなってしまったことでプロジェクトがストップしてしまったことがありました。

もちろんそのぶんの収益が減収しましたが、複数収益構造を作っていたので、何の問題もなく新たな収益源の獲得準備にあたりその後より収益を上げた過去があります。

もう10数年前の話ですが、やりたいことのアイデアが浮かんだからやっていたことでしたが、複数収益源を持つということがいかに精神的な相手安定ももたらすかを知りました。

独立をして自立をしてクライアントが獲得できるようになると人は楽観的になりすぎる傾向があります。

それはこのサイクルの早い時代においては命取りになる危険性があります。

なので調子のいいときほど効いてくる格言を僕からプレゼントします。

「悲観で構えて(備えて)、楽観で待て」
本日は音声入力にて失礼しました。
ほいじゃ。


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28/09/2021

人生を味わう、楽しむために今日何をするかという話。


人生を深く味わうこと、楽しむことは絶対的な正義です。でも味わえること、楽しめることの幅や質を上げるために人生を投資することもまた絶対的正義です。

日本人は特に、手の内にある選択肢の中で無意識的に妥協していることが多いけど、手の内にない選択の中に幅と質があることがほとんどです。

僕はある意味早い段階で一旦「欲」を失いました。描いていたことは大抵叶ったからです。でも、それがしばらく続いているうちに自分以上に若く、しかし幅のある経験と質の高い哲学を持つ人が目に入り気になるようになってきました。

「欲」を失えるだけの境地に憧れていた僕ですが、いざそこに居座ったことで人生が徐々に退屈になっていきました。そんな時、「欲」を持ち追いかけ実現し続ける人が輝いてみえるようになったんです。

そして何より、激動の人生を歩むことこそが、人生をより深く味わうことであり、その歩みの中に幅を広げる経験が待っているのだと思いました。

得ることも失うことも、喜怒哀楽全てが入れ替わり立ち代わる、そんな人生を生きる方が、満たされて欲を失った日々よりもずっと充実して満たされるのかなと思って、僕は今日も「挑戦」の渦中に身を置いています。

人生をより味わい、楽しむために、貪欲にやらずともよき無駄に挑戦する、新しい世界はそこにあるかもしれません。


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27/09/2021

あなたは誰と歩むべきか、という話


華やかな場所に人は群がり、無意識にその利益にあやかろうとします。同じように、調子良く見える人には人が群がり、同じように無意識にその利益にあやかろうとします。当然ですがその逆に、調子悪く見える人には人は寄りつきません。

良いときに集まった人の期待はより良くなる渦の中に混ざりたいか、そのおこぼれにあやかりたいかなので、悪くなれば当然期待値を下回るし離れていく理由になります。

人には必ず良いときと悪いときがありますが、良いときに集まった人が悪くなったときに離れていくのは、生存本能として当たり前のことかもしれません。

だから、悪いときに集まった人はいい仲間だと本や格言にもよく見かけますが、それは短絡的です。実際は悪いときに集まった人だって同じように期待値はあることがほとんどです。

僕の経験的に、悪いときに集まった人の期待値はこれから起こるドラマに期待しているか保身(お金の問題や受け皿の有無の問題)のために止むを得ずそこにとどまるかで、ベーシックインカムと紆余曲折のエンターテイメントがなければ期待を下回るし離れる理由が生まれます。

誰しもが利益をベースに、ポジションを探しているわけです。そしてそれは生存本能として正しく、否定すべきことでも悲観すべきことでもありません。ただそういうものなのだと受け入れることが大事です。


それを踏まえて、僕らは誰と歩むべきなのか、ということです。


僕が思うに「自立」がキーワードだと思っています。他者や状況に依存していない精神的な自立をもった人と歩むべきだと僕は思っています。

そうでない場合は、自身の自立を構成する要素にその人が加えられるかどうかが判断基準です。

例えば僕にとって家族はそういうものです。僕の「自立」の構成要素の中に愛犬も子供も嫁も、親もそうですが加わっているので、家族がそれぞれ自立していようがしていまいが関係ありません。僕の一部だということです。

オーナーをしている会社もそうです。自立している会社もあれば、自立していない会社もありますが、面倒をみると決めた以上会社が自立できるように成長するまでの間は僕の自立を構成する要素の一部です。

会社の成長に貢献しているうちは社員もまた僕の一部です。社員は「自立」までの時間を「期待値」を拠り所にサポートするものなので、会社と同様に教育や生活の面倒(給与)をみるわけです。

この領域の境界線はひとそれぞれ違うと思いますが、仕事のパートナーには自立を求めるべきでしょう。

パートナーなので、同等かそれ以上を求めるべきだし、それによって仕事の公器である会社は成長のポテンシャルを上げていきます。逆にポンコツと組むことで会社は成長どころか退化する可能性すらあるからです。

僕もたくさんの経営的間違いを犯してきていますが「誰と歩むか」はわかっているようでわかっている人の選択ができていないことがとても多いんです。

会社に限らず、プロジェクトに限らず、人間関係全てが直面する問題は本質的に一緒です。そのときに「自立」ができているかどうかを指標に俯瞰して判断してみると、徐々にその反応が現れてくるはずです。


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26/09/2021

世界に自分の居場所をつくるなら、という話

孤独を感じたり、不安を感じたり、不満を感じて、世界に自分の居場所がないように思ってしまうことがありますか?僕はしょっちゅうあります。僕の場合は、同じレベルで世界を切り取り、観ることのできる仲間になかなか出会えないことでそれが起こります。どれだけ説明しても、繰り返しても、伝わっていないことがほとんどで、その都度絶望的に孤独を感じます。都度失望したり、諦めたりしながら、また孤独を選ぶようなことの繰り返しが、自分のレベルが上がるたびに訪れます。

ある日、このサイクルが当たり前のサイクルだと気づいて受け入れられるようになりました。そして過去や現状への周囲の理解や同意を得ることほど無駄なことはないとわかりました。なぜなら、それが得られるということは停滞か後退を意味するからです。

周りが理解できない、同意できない、けれども鮮明に描ける自分だけの世界こそが未来への道です。そしてその道を行進するのに、周囲の理解と同意は必要ありません。自分自身への確信と忠誠だけあれば十分なんです。

そんなふうに考えることが心底定着してからは、世界に自分の居場所が生まれました。絶望の中にしかない喜びにフォーカスすると、人は強くなります。強い人にはやがて理解を超越し、忠誠だけで繋がる仲間が集まります。自分が強くあることでスタイルが確立されます。自分を中心としたコミュニティの理想系を浮き彫りにし、整理基準が生まれ淘汰を経た先の強い絆を持ったコミュニティを形成していきます。

だから周囲への理解や同意、共鳴を原動力にするのはやめて、自分自身への確信と忠誠を高めて、自分だけに観える世界を歩いてください。世界に自分の居場所をつくるなら、すべてのエネルギーを自分に向けるべきです。


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23/09/2021

「人の価値とは何でつくられているのか」という話

人の価値は「信用」でつくられています。
では「信用」とは何でつくられているのか?
これを理解していない人は多いです。

実は信用とは「期待に応える」ことでつくられます。

期待とは目的に合わせて有形無形問わずあらゆる事象・物質にかけられています。

アーティストの新譜には既存ファンからの「期待」があると同時に、タイアップ企業の「期待」もあり、レコード会社からのビジネス的な「期待」もあります。

親しい友には再会時に無意識にも「期待」をかけていますし、相手からも「期待」がかけられています。それは「楽しい時間の共有」かもしれないし「近況情報のシェア」かもしれません。

もちろん企業の商品やサービスには見込み客や既存客からの「期待」がありますし、社内では役員会からの期待もあれば事業部内の期待や役職間ごとの期待もあります。

万物には「期待」という名の無形の基準値があり、それを下回れば信用は欠けていき上回れば積みあがります。

それぞれの視点別に期待値はかかっていて、それぞれの視点ごとに負っているリスクの度合いは変わります。リスクに対してリターンが低くなれば価値は下がり、高ければ価値が上がります。

価値が下がったと判断されれば「期待」の対象は別へ流れていき期待値を失います。これがつまり「信用」を失う瞬間であり、信用のロジックです。

価値が上がったと判断されれば「期待」はとどまり需要を増します。そしてさらに価値が上がります。価値があがるとはつまり「期待」が高まることなので、期待に応える為のハードルも上がり続けます。

この繰り返しです。

そして「期待」に応えられるポイントと応えられないポイントの平均値がその時点での自分の価値になります。つまり「信用」とは期待値を基準にした需給の実態です。

この法則を理解して、その時点での限界値まで挑戦し続け「信用」を積み上げ続ける(期待に応え続けるということ)と、人としての価値を増していけるようになるということです。

どこかで手を緩めれば停滞か、暴落が待っているだけです。なぜなら諸行無常だからです。時間は常に流れていて、自分が停滞してる間にも価値をあげる努力をし続けている人がいるからです。

あなたは、今日どう生きますか?


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