ヌマジ交通ミュージアム【公式】

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日本の橋が木や石でつくられていた時代、たった一つだけ、大河に流されることなき橋が架かっていました。錦帯橋(山口県岩国市)。現代の永久橋が登場するはるか前から、今もなお、その原形の姿で架かり続ける、キセキの永久橋です。幅200m、ときに激流と...
16/08/2026

日本の橋が木や石でつくられていた時代、たった一つだけ、大河に流されることなき橋が架かっていました。
錦帯橋(山口県岩国市)。現代の永久橋が登場するはるか前から、今もなお、その原形の姿で架かり続ける、キセキの永久橋です。
幅200m、ときに激流と化す錦川。そこに約350年も前、このキセキを実現可能としたのは、城下に流されない橋を切望した当時の領主の熱意と、そしてなんと、日本で培われた戦国以来の築城技術でした。
城の石垣のような4基の巨大橋脚と、小さな桁材を巻金で補強しつつ巧みに組み合わせることで叶えた長大アーチ。その美しい曲線は、単なる円ではなく、カテナリー(紐を自然に垂らしたときにできる曲線)だったとの研究も。それは、石、木、鉄という古来の素材を駆使した、前例のない世界唯一の“錦帯橋式アーチ”でした。
岩国の人々は幾世代にわたり、数々の記録、口伝え、定期的な架け替えによる技術の継承、用材確保のための植林などで、地元の誇りとなったこの橋を守り伝えました。
戦後に一度流されても、鉄筋コンクリート橋ではなく、もとの姿のまま不死鳥のようによみがえりました。
名橋、錦帯橋は、いつしか岩国というまちの遺伝子となっていたのです。
それを強く感じる印象的場面にも出会いました。
それは、岩国市が定期的に開催するイベント「錦帯橋学校」で、こどもたちが組み立てた1/5サイズの錦帯橋模型のアーチが、ついに結合した瞬間でした。キセキはこうして、またこのまちの次世代へと受け継がれゆくのでしょう。

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明治時代以降の数ある歴史的橋梁で、なんと約50年前に、最初に国の重要文化財になった橋を、ご存じでしょうか。長さ約16mの小さな鉄橋と聞けば、意外と思う人もいるかも知れません。日本唯一の原位置に残る最古の全鋳鉄橋、神子畑(みこはた)鋳鉄橋(兵...
11/08/2026

明治時代以降の数ある歴史的橋梁で、なんと約50年前に、最初に国の重要文化財になった橋を、ご存じでしょうか。
長さ約16mの小さな鉄橋と聞けば、意外と思う人もいるかも知れません。
日本唯一の原位置に残る最古の全鋳鉄橋、神子畑(みこはた)鋳鉄橋(兵庫県朝来市)。
鉄橋の原点は、鋳型でつくった鋳鉄橋。約250年前、イギリスで出現しました。
神子畑鋳鉄橋は、その原点の流れを受け継ぐ、日本で現存する2橋の一つ、しかも、唯一もとのままの姿で架かり続ける、キセキの鋳鉄橋なのです。
その姿は、見る人々の心を揺さぶります。鋳鉄ならではの素朴な質感、錆具合、異国と日本の風土が混ざり合ったファンタジックな佇まい。確かに、国内にはさらに古い鉄橋があります。しかし、この鉄橋のそれは“はじまりの鉄橋”の姿です。
馬車による神子畑~生野間の鉱石運搬道の途上に架けられた5橋のうちの一つ。橋脚がない一連アーチ橋だったことが幸いしてか、小さな橋ながら、増水の影響を強く受けなかったようです。
鋳鉄の橋の時代は、当時すでに過ぎていました。なぜ鋳鉄なのか。この橋の最大のミステリーです。理由は諸説あります。圧縮に強くアーチ橋に向いていたともいわれますが、フランス人技師団の指導で日本人が設計・施工し、近年1887年に架橋された可能性が浮上したという以外、真実は不明です。
近代橋梁初の国の重要文化財は、この神子畑鋳鉄橋です!機会があれば、ぜひ現地で、胸熱くする“はじまりのキセキ”に触れてください。

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地球温暖化の影響もあって、35℃以上の猛暑日が増えて、熱中症のリスクが高まっています。熱中症を防ぐためには、① 涼しい場所、涼しい格好で過ごしましょう。② のどが渇く前にこまめな水分補給を。汗をかいたときは塩分補給が有効です。③ 暑さ指数に...
11/08/2026

地球温暖化の影響もあって、35℃以上の猛暑日が増えて、熱中症のリスクが高まっています。
熱中症を防ぐためには、
① 涼しい場所、涼しい格好で過ごしましょう。
② のどが渇く前にこまめな水分補給を。汗をかいたときは塩分補給が有効です。
③ 暑さ指数に応じて安全な行動内容を考えましょう。

ヌマジ交通ミュージアムは気軽に立ち寄って涼むことができる「クーリングシェルター」です。
夏を健康的に過ごすためにも、お出かけの時はヌマジ交通ミュージアムでクールシェアしませんか。

広島には、戦時中の金属類回収令で、親柱などの装飾や高欄といった、金属部材を失った橋がありました。現在、広島市では、城下町時代の目抜き通りだった「西国街道」に架かる橋梁のうち、3つの「被爆橋梁」(元安橋・京橋・猿猴橋)を当初の姿へ戻す復元に取...
05/08/2026

広島には、戦時中の金属類回収令で、親柱などの装飾や高欄といった、金属部材を失った橋がありました。現在、広島市では、城下町時代の目抜き通りだった「西国街道」に架かる橋梁のうち、3つの「被爆橋梁」(元安橋・京橋・猿猴橋)を当初の姿へ戻す復元に取り組んでいます。
元安橋は架け替えにあわせて1992年に、猿猴橋は「被爆70周年記念事業」として2016年に、それぞれ復元されました。
現在、残る京橋を「被爆80周年記念事業」として竣工時(1927年)の姿に復元中です。(https://www.city.hiroshima.lg.jp/living/doro-kotsu-kasen/1021384/1026408/1043480.html)

原爆によってまちが一瞬にして失われたあの日、デルタの橋たちは、多くの人を救いました。当時、すでに鋼や鉄筋コンクリートの橋が増えていたこともあります。悲惨な光景の中で被爆に耐え、架かり続ける橋たちの姿は、どれほど頼もしくうつったことでしょうか。
戦前の広島の橋の近代化が進んでいた背景の一つに、都市計画がありました。
明治時代に入り、それまで渡し船があったところに架橋が進みましたが、結果、橋の位置はふぞろいに。また、1897年に架けられた本川橋(鋼トラス橋)を除くと、すべて木橋でした。
こうした中、1923年、広島市に都市計画法が適用されると、城下町の殻を抜け出すため、近代都市化が進められます。それは、100年後を見据えた大プロジェクトでした。
その最重要課題が、都市区画の決め手となる都市計画街路の整備でした。経路上の橋梁は、1930年の栄橋を先頭に、御幸橋、相生橋、三篠橋、荒神橋、比治山橋などが、次々と永久橋として架橋されました。
しかし、戦争により都市計画は停滞。それでも1944年から始まった建物疎開は、都市計画街路の建設予定地を切り開くように進められましたが、翌年8月6日、そのキセキは地上から消え去りました。
前日5日の中国新聞には、建物疎開地の途上に竣工した仮設の木橋「新橋」開通式の小さな告知があります。それは、おそらく都市計画街路を通すための永久橋化を見据えた“未来への開通式”となるはずでした。
新橋は原爆で落橋。その開通式は、開かれることはありませんでした。
しかし、平和への願いは、キセキを起こしました。
7年後、新橋は広島平和記念都市建設法による国家事業として、平和への祈りを込めた鋼橋として再建され、平和大橋と名を改めました。

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そのキセキが起きたのは、約40年前の1985年、ところは帝釈峡雄橋からほど近い、神竜湖(しんりゅうこ)です。長さ80mを超える巨大なトラス橋が、丸ごと台船に乗せられ、湖面を移動していたのです!一体、何が起きたのでしょうか。大正時代以降、吊り...
01/08/2026

そのキセキが起きたのは、約40年前の1985年、ところは帝釈峡雄橋からほど近い、神竜湖(しんりゅうこ)です。
長さ80mを超える巨大なトラス橋が、丸ごと台船に乗せられ、湖面を移動していたのです!一体、何が起きたのでしょうか。
大正時代以降、吊り橋や木橋に代わり普及した夢の永久橋。しかし、歩道がないうえ幅もせまく、交通量の増大という時代の波に吞み込まれることに。
こうして生じた廃橋の鋼材は解体されるのが普通ですが、移設して再利用することも可能。結果、その貴重なトラスなどが現存する例は、数々あります。7月22日の投稿で紹介した、祝橋のトラスしかりです。
神竜湖上を台船で運ばれたその橋とは、紅葉橋。もとこの湖に架かっていた、実に道路用単純トラス橋としては戦前最大スパンの82.9mを誇る、唯一無二の記念碑的な橋でした。神竜湖沿いに整備された探勝歩道の経路の一部として、転用するためでした。
この紅葉橋とは、なにをかくそう、現在の神龍橋のこと。帝釈峡の四季を際立たせるシンボル橋として世に知られる、かの赤いトラス橋なのでした。
約40年前のその移設は、失われかけた歴史的橋梁の、先駆的な保存事業だったといわれます。今いえるのは、あのかつてない400mもの船旅は、結果、唯一無二の橋梁を解体の危機から救った、キセキの旅だったのです。
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世界に誇る瀬戸大橋。現実ばなれしたその壮大な姿は、ドラマチックそのものです。瀬戸大橋の本州側の起点、岡山県では、戦前にも橋にまつわるキセキのドラマがありました。1934年の室戸台風は岡山県のあまたの橋梁を破壊。木橋はもとより、永久橋といわれ...
30/07/2026

世界に誇る瀬戸大橋。現実ばなれしたその壮大な姿は、ドラマチックそのものです。
瀬戸大橋の本州側の起点、岡山県では、戦前にも橋にまつわるキセキのドラマがありました。
1934年の室戸台風は岡山県のあまたの橋梁を破壊。木橋はもとより、永久橋といわれた近代橋梁すら犠牲になりました。その数、2856。国県道に架かっていた50m以上の橋梁では、全体の約40%にもなる47の橋が、一時に被災するという、未曾有の惨状でした。
橋が壊れると、それを機により強固な橋へと架け替えることがよくあります。しかし、岡山県の室戸台風復旧橋梁の場合は、史上稀な規模となります。架橋する地形に応じて新たに設計された、種々の形式の永久橋が、県だけでなんと50橋以上も計画されたのです。
結果、約90年を経た今日なお、隣同士の県とは思えないほど、岡山には規模の大きな歴史的橋梁が、圧倒的多数残ることになったのです。
とりわけトラス橋やアーチ橋の重厚な姿は、高梁川や旭川などの美しい川面にとても映えます。これからも土木遺産として大切にしてもらいたいものです。
その最終局面に完成したのは、5月20日の投稿で紹介した、あの大原橋でした。
この偉業ともいえる災害復旧で、橋梁設計の中心となったとされる技師が生涯を閉じたのは、奇しくも瀬戸大橋の桁が全て閉合した1987年でした。「橋の見本市」とまで評される当時の架橋ラッシュは、岡山を救う使命に燃えた多くの人々に支えられたのです。
こうしたキセキと重ね合わせながら、瀬戸大橋を眺めてみてはいかがでしょうか?

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7月28日、閉館直後の夕方間際に、当館のロータリー3兄弟のテスト走行を実施しました。いつもは明るい昼間に実施しているので、なかなかの新鮮な走行シーン。当館の顔として、元気に走ってくれました。
30/07/2026

7月28日、閉館直後の夕方間際に、当館のロータリー3兄弟のテスト走行を実施しました。いつもは明るい昼間に実施しているので、なかなかの新鮮な走行シーン。当館の顔として、元気に走ってくれました。

ヌマジ交通ミュージアムでは、夏季企画展「クルマザウルス大集合!」を開催中。お子様に大人気のはたらくクルマ、その中でも建設機械と、恐竜のコラボ展示ということで、多くのお客様にお越しいただいています。ありがとうございます。屋内での展示観覧の後は...
30/07/2026

ヌマジ交通ミュージアムでは、夏季企画展「クルマザウルス大集合!」を開催中。お子様に大人気のはたらくクルマ、その中でも建設機械と、恐竜のコラボ展示ということで、多くのお客様にお越しいただいています。ありがとうございます。

屋内での展示観覧の後は、屋外広場のおもしろ自転車もご利用いただきたいところですが、今は夏真っ盛り。残念ながら、危険な暑さのために「おもしろ自転車」が貸出休止となることが多くなっています。
自転車が休止でも、夏休み期間中は、いろいろな催しを予定していますので、ぜひご参加ください。

また、8月2日(日)には、キッチンカーも出店します。メインメニューは、クロワッサン生地をワッフルのように焼いたクロッフル。選べるトッピングでお好みに合わせてカスタマイズできます。また、冷たいスムージー、アイス、かき氷も提供します。ぜひご利用ください。

見て楽しい! 作ってうれしい! 食べておいしい! 
ヌマジ交通ミュージアムへぜひお出かけください。

おもしろ自転車の貸出状況は当館HPでご案内しています。
https://www.vehicle.city.hiroshima.jp/

#ヌマジ交通ミュージアム #恐竜 #乗り物 #広島おでかけ #広島イベント

人が橋を架けるずっと前に、神さまが架けたという橋がありました。それは「神橋(かみのはし、こうのはし)」とも呼ばれました。国天然記念物、帝釈峡雄橋(おんばし。庄原市)。帝釈川にかかる、カルスト台地が侵食されてできた全長90m、幅19m、高さ4...
25/07/2026

人が橋を架けるずっと前に、神さまが架けたという橋がありました。それは「神橋(かみのはし、こうのはし)」とも呼ばれました。
国天然記念物、帝釈峡雄橋(おんばし。庄原市)。帝釈川にかかる、カルスト台地が侵食されてできた全長90m、幅19m、高さ40mの国内最大、世界でも稀という石灰岩の天然アーチ橋です。今では帝釈川沿いの遊歩道でその下を潜りますが、かつてそれは、国内の天然橋としてはおそらく唯一、本当にごく普通の橋として利用されていました。信仰の対象であると同時に、馬や籠、さらには馬車が通う、往来しげき生活道だったのです。
それも昭和の初め頃まででした。自動車が走り始め、地域をつなぐ橋の役割を終えた雄橋の上の道は、今では自然に還ったようです。
古写真(『とごうち 写真の見るあゆみ』S61などに掲載)をひもとくと、そこには想像を超えたバラエティー豊かな橋の世界があったことに気づきます。岩に木を渡しただけの橋、風変りな吊り橋・・・自動車もなく、人や牛馬がわたれればよい時代の橋は自由でした。
雄橋には、かつて「未渡(みど)橋」という橋名まであったといいます。昔の人にとって、自然が作り出したとしても、橋は橋なのでした。
それにしても、日本中、どこにもこんな神々しい橋はありません。嫁入りでここをわたったとの証言も。その場面は心揺さぶられる、神と人の織り成すファンタジーです。
悠久の時をかけて、神さまが人の暮らしの中に架けた唯一無二のキセキの橋。雄橋は、今では人々に愛される景勝地に変わりました。

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7月24日(金)、ヌマジ交通ミュージアムでは、夏の工作教室「ホイールローダー」を開催しました。ホイールローダーとは、車輪で走行するトラクターショベルのこと。乗り物の原理や仕組みを学びながら、電池とモーターで動くホイールローダーを作ります。参...
24/07/2026

7月24日(金)、ヌマジ交通ミュージアムでは、夏の工作教室「ホイールローダー」を開催しました。

ホイールローダーとは、車輪で走行するトラクターショベルのこと。乗り物の原理や仕組みを学びながら、電池とモーターで動くホイールローダーを作ります。
参加者は12組15人。保護者と、友達と、兄弟で、一人でと様々です。講師の先生の説明を聞きながら集中して作業に取り組みました。9時半から3時間かけて完成です。

早速電池を入れ、リモコンを操作してタイヤとバケットを動かします。お母さんと参加した男の子は、「ねじを回して差し込むところが難しかったけれど、最後まで一人で作りました」とのこと。そばで見ているお母さんも嬉しそうでした。最後の調整にはかなり根気が必要でしたが、それぞれ時間が許す限り熱心に取り組んでいました。

ヌマジでは、夏休みの期間中様々な工作教室を開催します。
詳しくはホームページでご確認ください。
https://www.vehicle.city.hiroshima.jp/event/

夏の工作はヌマジで決まり。自分だけの一品を作りましょう。

#ヌマジ交通ミュージアム #博物館 #乗り物 #広島おでかけ #広島イベント #夏休み #工作

住所

安佐南区長楽寺2-12/2
Hiroshima, Hiroshima
731-0143

電話番号

+81828786211

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