21/08/2026
🎓故事ことわざあれこれ🎓
続・「半個秀才也撈不到」夢破れて
君子固(もと)より窮す
本を盗んだ孔乙己が,「窃書(せっしょ)は偸(ぬす)みにあらず」などと珍妙な弁解をした後,「君子固(もと)より窮す」だの,文語まじりのちんぷんかんぷんのことばを口にし,周りの人びとの笑いを誘う。
この「君子固より窮す」は『論語』の「衛霊公」篇に見える。
諸国遊歴中の孔子が,陳の国で食糧が尽きて,同行の弟子たちは疲れ果てて立ち上がることもできないほどであった。食糧が尽きた理由について司馬遷の『史記』は,招かれて南方の大国である楚に向かおうとする孔子の一行を,孔子が楚に仕えることによって楚がいっそう強大化することを恐れた陳が軍隊を出して囲んだからであるとする。陳が飢饉に見舞われていたからであるとする異説もあるが,いずれにしても孔子にとって生涯における大きな試練であったことはまちがいない。
血の気の多い弟子の子路が進みでて,「君子でも困窮することがあるのですか」とふんまんをぶつけた。修養を積んだ人間は必ずむくいられるという,先生の日頃の主張とは違うではありませんかと言うのである。
これに対する孔子の答えが,「君子固より窮す」である。原文は「君子固窮」で,「小人窮,斯濫矣」(小人窮すれば,すなわち濫る)と続く。
君子といえども,時には困窮する。ただ小人とは違って,困窮しても取り乱したりはしない。困窮の果てに人様の物を盗むという「濫(みだ)る」としか言いようのないふるまいに及んでいながら,なお君子をもって任じている孔乙己の姿が哀れなのである。
なお,「君子固窮」の「固窮」を「固より窮す」ではなく「窮を固(まも)る」と読んで,「その境地に安んじる」と解する説があり,私の理解もそちらに傾くが,ここでは通説に従っておく。
多からんや,多からざるなり
大人たちが孔乙己をさかなにして笑い興じているのを聞きつけて,近所の子供たちが見物に集まってきて,孔乙己を取り囲む。孔乙己は自分の皿の茴香豆を子供たちにくれてやる。ただし,ひとり一粒ずつである。子供たちは食べ終わっても立ち去ろうとはせずに,じっと皿の方へ目を向けている。慌てた孔乙己は五本の指を広げて皿をおおい,腰をかがめて「もうないよ,もういくらもないよ」と言った後,立ち上がってもう一度豆を覗いてから,首を振りながら,「多からんや,多からざるなり」と子供たちにはわけのわからないことばを口にする。そこでようやく子供たちは笑いながら立ち去る。子供たちがいつまでも立ち去らなかったのは,豆がほしかったことよりも,孔乙己のこのちんぷんかんぷんなおまじないのようなことばを聞きたかったからである。
この「多からんや,多からざるなり」“多乎哉,不多也”も同じく『論語』の「子罕」篇に見えることばであるが,先の「君子固より窮す」以上に,場違いな使い方である。
ある人が孔子の弟子の子貢に,「あなたの先生はまことに多能多才な方ですね」と評した。このことを聞いた孔子は,「私はたまたま若い頃貧しかったから,こまごまとしたことが何でもできるだけで,君子たる者の資格は,何も多能多才である必要はないのだ」と答えたという。
「論語読みの論語知らず」ではないが,孔乙己は科挙を目指して学問をしたことがあるといいながら,その学問がどの程度のものであったかが,この子供たちとのやりとりから窺うことができるのである。
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