25/05/2026
「形式から実質へ」― コーポレートガバナンス改革の次なる論点
2026年5月25日付のBloomberg記事において、金融庁で企業開示やコーポレートガバナンスを担当する 新発田龍史 氏が、日本企業の資本効率や機関投資家の責任について注目すべき見解を示されました。
同氏は、昨年開催された ACFE JAPAN カンファレンス においてもご講演いただいており、日本企業におけるガバナンス改革の方向性や、企業価値向上に向けた本質的な課題について、多くの示唆を共有いただきました。今回の発言にも、その問題意識が一貫して表れているように感じられます。
今回のインタビューで特に印象的であったのは、「株主還元の有無」そのものではなく、「企業が保有する経営資源を、中長期的な企業価値向上のためにどのように活用しているのか」という点に重点が置かれていたことです。
過去10年、日本ではコーポレートガバナンス改革が進展し、社外取締役比率の向上やガバナンス体制整備など、形式面では一定の成果が見られました。一方で、新発田氏は、「企業が本当に中長期的な価値を高められているかという点については、必ずしも十分ではない」と指摘されています。
また、同氏は、日本企業が十分に活用し切れていない資産として、「現預金」「政策保有株」「不動産」の“3点セット”に言及されました。これは単なる財務戦略の話ではなく、経営資源配分そのものに関わる重要なガバナンス課題であると言えるでしょう。
Bloombergがまとめたデータによれば、金融機関を除くTOPIX採用企業1215社の現預金残高は、2025年末時点で約130兆円に達し、10年前と比較して84%増加しているとされています。もちろん、事業継続性確保や不確実性への備えとして、一定水準の手元資金は必要です。しかし、その保有目的や活用方針について、投資家やステークホルダーに対して十分な説明がなされているかという点については、今後さらに問われていくものと思われます。
今回改訂が進められているコーポレートガバナンス・コードでは、こうした資産活用に関する内容が「原則」ではなく「解釈指針」に位置付けられました。この点について、一部では企業への拘束力が弱まったとの見方もありますが、むしろ重要なのは、「形式的な遵守」ではなく、「自律的に考え、説明する姿勢」が企業に求められている点にあるのではないでしょうか。
新発田氏がインタビューの中で述べられた「とにかく考えてほしい」という言葉は、非常に象徴的です。
すなわち、
なぜその資産を保有しているのか
その保有は企業価値向上につながっているのか
株主や従業員、社会に対して合理的な説明ができるのか
といった点を、取締役会自身が継続的に検証し続けることが、今後ますます重要になるものと考えられます。
さらに今回、金融庁は企業側だけでなく、機関投資家側にも厳しい視線を向けています。スチュワードシップ・コードに署名しながら、実質的なエンゲージメントを十分に行っていない機関投資家については、受入表明リストからの除外可能性にも言及されました。
これは、ガバナンス改革が企業のみならず、投資家を含めた市場全体の信頼性によって支えられるべきものであることを示していると言えるでしょう。形式的な「対話」や「対応」に終始するのではなく、実効性ある建設的対話が求められる時代に入っていることを感じさせます。
不正リスク管理や企業倫理の観点から見ても、本質的なガバナンスとは、「説明できない資産」「目的が曖昧な保有」「慣習的・惰性的な意思決定」を放置しない仕組みづくりにほかなりません。
ACFE JAPANとしても、今後の日本企業には、「整備されているように見えるガバナンス」ではなく、「企業価値向上につながる実効性あるガバナンス」が一層求められていくものと考えております。
今回の金融庁のメッセージは、日本のコーポレートガバナンス改革が、形式から実質へ、さらに次の段階へ進みつつあることを示唆しているのではないでしょうか。
【出典】
Bloomberg
「金融庁の新発田氏、企業の現預金活用促す-投資家にも厳格対応示唆」
2026年5月25日配信
14/05/2026
AIが「防御」と「攻撃」の両面を持つ時代へ
― アンソロピック最新AI「Claude Mythos」が金融機関にもたらす示唆 ―
米AI企業 Anthropic が開発した最新AI「Claude Mythos(クロード・ミュトス)」について、日本の3メガバンクが利用に向けた調整を進めているとの報道がありました。特に注目すべきは、このAIが“サイバーセキュリティ上の脆弱性発見能力”を大幅に高めている点です。
AIの進化は、業務効率化や生産性向上だけでなく、サイバーセキュリティや不正対策の在り方そのものを大きく変え始めています。そして今回のニュースは、金融機関だけではなく、あらゆる企業に対し「AI時代のガバナンス」を再考する必要性を突き付けていると言えるでしょう。
「守るためのAI」と「悪用されるAI」
Claude Mythosは、本来は既存システムの脆弱性を検知し、攻撃を未然に防ぐための高度なAIとして期待されています。
しかし同時に、こうした能力は“攻撃側”に利用される危険性もはらんでいます。
これは近年の不正・サイバーリスクに共通する特徴です。
高度な技術は、防御にも攻撃にも利用可能
AIによって攻撃速度・規模・巧妙性が飛躍的に向上
従来型の内部統制や人的監視だけでは限界がある
特に金融機関は、社会インフラとして巨大な資金・情報を扱うため、国家レベルのサイバー攻撃や高度不正の対象になりやすい業界です。そのため、日本政府や金融庁、日銀、大手銀行が官民連携で議論を始めている点は非常に重要な動きと言えます。
AI時代の不正リスクは「内部」からも発生する
サイバー攻撃というと外部脅威に目が向きがちですが、ACFEの視点では“内部不正”との融合リスクにも注目すべきです。
例えば、
AIを用いた不正送金スキーム
AIによる巧妙なフィッシングメール
内部者による機密情報のAI流出
AI生成コードによる不正アクセス補助
AIを利用した証憑偽装や音声偽装
など、従来より低コストかつ高度な不正行為が可能になりつつあります。
特に近年は、「生成AIを業務で自由に使える状態」が先行し、統制・ルール整備が追いついていないケースも少なくありません。
これは単なるIT課題ではなく、
「ガバナンス」「コンプライアンス」「内部統制」「不正リスク管理」
そのものの課題です。
企業に求められる“AIガバナンス”
今後、企業に求められるのは「AIを禁止すること」ではありません。
むしろ、
AIをどこまで許可するか
どの情報を入力禁止にするか
誰が利用ログを監督するか
AI生成物をどう検証するか
AIによる判断を誰が最終承認するか
といった「AIガバナンス」の整備です。
特に経営層や監査部門、リスク管理部門、情報システム部門が連携し、“AIを前提とした統制環境”へ移行する必要があります。
従来の内部統制は、「人がミスをする」ことを前提として設計されていました。しかし今後は、
“AIが高速かつ大規模に誤りや不正を増幅する可能性”
まで含めて考えなければなりません。
ACFE JAPANとしての視点
AIは、今後の不正対策・監査・リスク管理において極めて強力な武器となる一方、その悪用リスクも急速に高まっています。
今回のClaude Mythosを巡る動きは、日本でも「AIとサイバーセキュリティ」「AIと不正リスク」が経営課題として本格化し始めた象徴的な事例と言えるでしょう。
ACFE JAPANとしても、
AI時代の不正リスク研究
AIガバナンスに関する啓発
経営層向け教育
内部監査・不正対策へのAI活用
AI悪用リスクへの対応力向上
などを通じ、企業の健全なガバナンス強化に貢献していくことが求められています。
AIは「脅威」でもあり、「防御手段」でもあります。
重要なのは、“AIを使うかどうか”ではなく、
「AIをどのように統制し、健全に活用するか」
という視点なのかもしれません。
08/05/2026
〜日韓の専門家交流が未来のガバナンスを拓く〜
本日、韓国・西江(ソガン)大学校経営大学院より、金道聖(キム・ドソン)学部長をはじめ、韓国主要企業の監査・コンプライアンスを担う実務家・院生ら総勢40名のご一行をACFE JAPAN事務局にお迎えしました。今回の訪問の背景には、日本におけるコーポレートガバナンス・コード(CGコード)の最新動向と、その中でのCFE(公認不正検査士)の役割に対する非常に高い関心がありました。意見交換では、当協会評議員会会長の八田進二先生による最新論文「公認不正検査士の活動実態と役割期待」や、先日『ニッキン』に掲載されたCGコード改訂案に関する記事を事前に共有。
「形式的なガバナンスから、いかに実効性のある監督体制へ転換するか」という、日韓共通の重要課題について、熱い議論が交わされました。 企業の不正を抑止し、持続的な成長を支える専門家ネットワークの重要性を再認識した、非常に有意義な交流となりました。西江大学の皆様、ありがとうございました!
28/04/2026
新入社員による情報漏洩が示す「ガバナンスの盲点」
― 組織はなぜ“最も身近なリスク”を見落とすのか ―
近年、新入社員による情報漏洩事案が相次いで報道されています。SNSへの不用意な投稿、業務データの私的利用、あるいは軽い気持ちでの外部共有など、その多くは悪意ある不正というよりも、「認識不足」や「倫理観の未成熟」に起因しています。
しかしながら、企業ガバナンスの観点から見れば、これらは単なる個人の問題ではありません。むしろ、組織全体の統制環境やリスクマネジメントの在り方が問われる重要なシグナルと捉えるべきです。
■ なぜ新入社員はリスクとなるのか
新入社員は、組織にとって将来を担う重要な人的資本である一方で、以下のような特性を持っています。
情報セキュリティやコンプライアンスに関する理解が不十分
SNS・デジタルツールの利用に対する心理的ハードルが低い
組織文化や暗黙知を十分に理解していない
これらの要素が重なることで、「悪気のない不正(Unintentional Fraud)」が発生しやすい土壌が形成されます。
■ 見落とされがちな3つのガバナンス課題
こうした事案を踏まえると、企業における以下の3つの課題が浮き彫りになります。
1. 形式的な研修にとどまるコンプライアンス教育
多くの企業では入社時にコンプライアンス研修が実施されていますが、その内容が「理解」ではなく「受講」にとどまっているケースも少なくありません。
重要なのは、“なぜそれがリスクなのか”を自分事として理解させることです。
2. 現場任せの教育体制
配属後の指導が現場任せになり、情報管理に関する統一的な指導がなされていないケースがあります。
結果として、部署ごとにリスク認識のばらつきが生じます。
3. 心理的距離のある内部通報制度
不適切な行為を目にしても、「通報するほどではない」「面倒だ」と感じさせてしまう制度設計では、早期是正が機能しません。
■ ACFEの視点:予防統制としての“文化”の重要性
不正対策のフレームワークにおいても、予防の中核は「組織文化」にあるとされています。
不正は、「機会」「動機」「正当化」の3要素(いわゆる不正のトライアングル)が揃うことで発生しますが、新入社員のケースでは特に「正当化(これくらい大丈夫)」が起点となることが多いのが特徴です。
したがって、単なるルール整備ではなく、
経営層による明確なメッセージ発信
日常業務における上司の行動規範
小さな違和感を共有できる風土
といった「倫理文化の醸成」が不可欠です。
■ 企業が今すぐ取り組むべき実務対応
以下は、実務的に有効と考えられる対応策です。
1. ケースベース研修の導入
実際の不祥事事例を基に、「自分ならどうするか」を考えさせる教育へ転換する。
2. 入社後3か月・6か月時点での再教育
時間の経過とともに理解が深まるタイミングで再度教育を実施する。
3. デジタルリテラシー教育の強化
SNS・クラウド・生成AIなど、現代特有のリスクに対応した内容へアップデートする。
4. “軽微な違反”の可視化と共有
重大事故の前段階にあるヒヤリ・ハット事例を組織で共有する。
■ おわりに
新入社員による情報漏洩は、「防げない事故」ではなく、「設計可能なリスク」です。
むしろ、組織がどれだけ初期段階から適切な価値観と行動規範を浸透させられるかが、将来の不正リスクを大きく左右します。
ガバナンスとは、規程や制度の整備にとどまるものではありません。
それは、組織に関わるすべての人の意思決定を方向づける「見えないインフラ」です。
今一度、自社の“最も身近なリスク”に目を向けてみてはいかがでしょうか。
14/04/2026
新年度にこそ問い直す「組織の健全性」
― 企業不祥事に学ぶ、これからのガバナンスの在り方 ―
4月を迎え、多くの企業が新年度のスタートを切りました。新たな経営方針のもと、新入社員を迎え入れ、組織に新しい風が吹き込むこの時期は、企業にとって成長の契機であると同時に、「組織の健全性」を見つめ直す重要な節目でもあります。
しかしながら近年、企業不祥事は後を絶ちません。例えば、ニデック、オルツ、KDDI子会社(ジー・プラン)といった企業に関連する事案が報道され、社会からの信頼を揺るがす事態となりました。これらの事例は、業種や規模を問わず、いかなる企業にも不正や不祥事のリスクが内在していることを改めて示しています。
不祥事の本質は「個人」ではなく「組織」にある
不祥事が発覚した際、往々にして個人の問題として片付けられがちです。しかし、ACFEの知見に基づけば、多くの不正は「動機」「機会」「正当化」といういわゆる不正のトライアングルのもとで発生します。そして、この「機会」を生み出しているのは、まさに組織の統制環境そのものです。
つまり、不正を未然に防ぐためには、個人の倫理観に依存するのではなく、組織として不正を起こさせない仕組みを構築することが不可欠です。
新入社員の存在は「リスク」か「機会」か
新入社員の受け入れは、単なる人員補充ではありません。企業文化や倫理観を伝承する絶好の機会です。一方で、ルールや慣習を十分に理解していない新入社員が、不適切な指示や環境の中で誤った行動を取ってしまうリスクも存在します。
重要なのは、「最初に何を教えるか」です。業務スキルと同様に、コンプライアンス意識や倫理観を明確に示すことが、その後の行動規範を大きく左右します。
ガバナンスは「制度」から「実効性」へ
多くの企業では、内部通報制度や各種規程が整備されています。しかし、それらが「存在しているだけ」で機能していないケースも少なくありません。
・通報しても不利益を被らないという信頼があるか
・経営層が不正に対して明確な姿勢を示しているか
・現場レベルでルールが理解・実践されているか
こうした観点から、制度の“実効性”を検証することが求められます。
ACFE JAPANとしての提言
ACFE JAPANでは、企業不正の防止・発見・対応に関する専門知見の普及を通じて、健全な組織づくりを支援しています。
新年度という節目にあたり、企業の皆様には以下の点を改めてご確認いただきたいと考えます。
19/03/2026
ミームコインの熱狂と崩壊
―CFEが見る「統制なき資金」の危うさ―
「これは乗り遅れてはいけないのではないか」――。
暗号資産市場では、こうした心理が幾度となく繰り返されてきました。今回、高市早苗首相の名を冠した「サナエトークン」を巡る騒動も、その典型例の一つと言えるでしょう。
著名人の名前、SNSでの拡散、急騰する価格。こうした要素が揃ったとき、市場には一種の熱狂が生まれます。しかし、その裏側で何が起きているのか――CFE(公認不正検査士)の視点で見たとき、本件は単なる話題性のある出来事ではなく、「不正リスクの教科書」とも言うべき構造を備えています。
■ 信頼は“作られる”ものでもある
本件でまず注目すべきは、「信頼の形成プロセス」です。
本来、投資判断における信頼は、開示情報や実績、ガバナンス体制によって積み上げられるべきものです。しかしミームコインの場合、それが大きく歪められます。著名人の名前や関与を“匂わせる”ことで、あたかも裏付けのあるプロジェクトであるかのような印象が作られてしまうのです。
CFEの観点では、これは典型的な「権威の悪用」に該当します。
合理的な検証を経ずに資金が流入する環境は、不正の温床となります。
■ 見えない資金の流れが意味するもの
さらに重要なのは、「お金がどのように動いているのかが見えない」という点です。
分散型取引所を通じた取引では、発行主体や資金の流れが不透明になりがちです。誰がどれだけ保有しているのか、いつ売却するのか、その実態を外部から把握することは極めて困難です。
この構造のもとでは、価格が上昇したタイミングで内部関係者が売却し、市場から資金を引き上げる――いわゆる“売り抜け”が容易に成立します。
これは形式こそ異なりますが、CFEの実務で扱う不正類型に照らせば、「市場操作」や「インサイダー的行為」と本質的に変わるものではありません。
■ 統制の不在という最大のリスク
企業不正の多くは、「統制の欠如」から生まれます。本件も例外ではありません。
通常の企業であれば、資金調達には説明責任が伴い、資金の使途は監査の対象となります。しかしミームコインには、その前提がほとんど存在しません。
誰が意思決定を行い、どのようなルールで資金が管理されているのか――その基本的な枠組みすら明確でないケースが多いのです。
CFEが重視する「不正のトライアングル」に当てはめれば、
この状況は“機会”が極端に大きい状態と言えます。
統制がなければ、不正は起こり得るものではなく、
「いずれ起きるもの」へと変わります。
■ なぜ同じ構図が繰り返されるのか
こうしたミームコインの問題は、今回に限ったものではありません。過去にも同様の構図は繰り返されてきました。
例えば、ドナルド・トランプ氏の名を冠したトークンや、著名人が関与したとされるプロジェクトなど、
いずれも
話題性による急激な価格上昇
その後の急落
後発投資家の損失
という流れをたどっています。
それでもなお新たなミームコインが生まれる背景には、「一攫千金」への期待と、「今買わなければ取り残される」という心理が存在します。
不正は、制度の隙だけでなく、人の心理の隙にも入り込みます。
■ CFEとしての示唆
本件が示しているのは、暗号資産特有の問題というよりも、より本質的な教訓です。
すなわち、
「統制のない資金には、必ず歪みが生じる」ということです。
CFEの立場から見れば、重要なのは技術そのものではなく、
資金の流れが追跡可能か
意思決定の仕組みが透明か
説明責任が果たされているか
という基本原則です。
これらが欠けている限り、対象が株式であれ暗号資産であれ、不正リスクの本質は変わりません。
■ おわりに
ミームコインは、時に革新的な技術の象徴として語られることもあります。しかしその実態は、「統制なき資金調達」という極めて古典的な問題を内包しています。
華やかな価格上昇の裏で、誰が利益を得ているのか。
そして、その資金はどこへ向かっているのか。
その問いに答えられない限り、そこには常に不正の影が潜んでいると言えるでしょう。
10/03/2026
不正会計はなぜ起きるのか
―CFEの視点で読み解くニデック問題―
モーター大手のニデックで発覚した不正会計疑惑を巡り、第三者委員会の調査報告書が公表されました。調査では、過去の損益を修正した場合、車載事業を中心に約2500億円規模ののれんや固定資産が減損対象となる可能性があることが示されています。また、買収先企業などで不正会計が相次いで発覚し、コンプライアンス体制や内部統制の浸透が十分ではなかった実態も明らかになりました。
今回の事案は、企業不正の典型的な構造を示しています。公認不正検査士(CFE)の視点から見ると、不正は多くの場合「不正のトライアングル」と呼ばれる三つの要素によって発生します。すなわち「プレッシャー(動機)」「機会」「正当化」です。
まず「プレッシャー」です。報告書では、業績目標の達成に向けた強い圧力が組織全体にかかっていたことが指摘されています。創業者の永守重信氏をはじめとする経営幹部による叱責や厳しい要求があったとされ、組織内では目標達成が最優先とされる文化が形成されていた可能性があります。このような環境では、従業員が数値目標を達成するために不適切な会計処理に手を染めるリスクが高まります。
次に「機会」です。同社は積極的なM&Aによって急速に事業を拡大してきました。企業買収は成長戦略として有効な手段ですが、買収先企業の内部統制やコンプライアンス文化を十分に統合できない場合、不正の温床となる可能性があります。特に海外子会社や複数の事業部門を抱える企業では、統制の網が行き届きにくく、不正が発見されにくい状況が生まれやすくなります。
そして三つ目が「正当化」です。今回の調査では、「負の遺産」と呼ばれる資産性に疑義のある資産が長期間滞留していたことも指摘されています。本来であれば減損処理を行うべき資産であっても、その処理が部門や子会社の業績を悪化させるため、処理が先送りされる構造があったとされています。このような状況では、「今は一時的に処理を遅らせるだけ」「いずれ取り戻せる」という心理的な正当化が生まれやすくなります。
企業不正は、単に一部の従業員の倫理観の問題として片付けられるものではありません。組織文化、評価制度、内部統制の設計など、企業のガバナンス全体が大きく関係しています。特にM&Aを積極的に行う企業では、買収後の統合プロセスにおいて、内部統制とコンプライアンス文化をいかに浸透させるかが極めて重要になります。
今回の事案は、日本企業におけるガバナンスの課題を改めて示す事例と言えるでしょう。CFEの観点から見れば、不正の兆候は必ずしも突然現れるものではなく、多くの場合、組織文化や制度の歪みの中で徐々に形成されていきます。企業が持続的に成長するためには、業績目標の達成だけでなく、不正を未然に防ぐ仕組みと倫理的な企業文化を構築していくことが不可欠です。
20/02/2026
【最新ニュースを“不正検査の力”に変える】
「FRAUD MAGAZINE オンラインCPEクイズ」Vol.1~4を公開しました。
公認不正検査士(CFE)が今押さえるべき時事テーマを、不正検査の視点で徹底分析。
記事を読み、30問のクイズに挑戦。正解率70%以上で**CPE5単位(研究分野:不正検査)**を取得できます。
今回のテーマは――
・新浪剛史氏辞任問題と経営責任
・国分太一氏コンプライアンス事案
・東京証券取引所の上場審査強化策
・日本経済団体連合会のガバナンス提言
ニュースを「知っている」から「語れる」へ。
CFEとしての視座を一段引き上げる実践型プログラムです。
▼詳細・受講はこちら
(https://shop.acfe.jp/collections/cpe%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA)
16/02/2026
形式的適正を欠いた取締りがもたらす統治リスク
神奈川県警第2交通機動隊において、速度違反等の取締りに関し約2,700件もの違反が取り消され、反則金約3,500万円が返還されるという事態が明らかになりました。さらに、一部では虚偽有印公文書作成・同行使の疑いで書類送検が予定されていると報じられています。
本件は、単なる手続上の誤りではなく、「成果」や「効率」を優先する組織文化が、統制を逸脱した結果として顕在化した可能性を示唆しています。交通違反取締りは重大事故防止という公益目的のもとに行われる行政活動であり、その正当性は厳格な手続的適正に支えられています。ゆえに、その根幹が揺らげば、行政に対する信頼全体に波及する重大なガバナンス問題となります。
1.不正の構造的要因 ― 「実績主義」と同調圧力
報道によれば、追跡距離を実際より長く記載するなどして適正な取締りを装った疑いが持たれています。また、実況見分を行わずインターネット地図を流用して調書を作成した可能性も指摘されています。
ここに見えるのは、典型的な「合理化」と「圧力」の構図です。
実績を上げたいという動機(プレッシャー)
時間短縮という自己正当化(合理化)
上司の黙認や同僚の追従(組織的同調)
これは、企業不正や公的機関の不祥事でも繰り返し観察される構造であり、不正のトライアングル(動機・機会・合理化)に照らしても極めて示唆的です。
2.「形式軽視」が招く信頼の毀損
「実況見分に時間を取られるよりも実績を上げたかった」という趣旨の説明は、成果指標が本来目的を凌駕した状態を象徴しています。
コンプライアンスの本質は、結果の妥当性だけではなく、プロセスの適正性にあります。
たとえ実際に違反があったとしても、証明手続が不適正であれば行政処分は維持できません。今回、明白な違反が確認できた事例を除き多数が取り消しとなったことは、証拠管理・文書統制の重要性を改めて浮き彫りにしました。
形式を軽視する文化は、「目的の正しさ」を盾にして拡大しやすいという特徴があります。しかし、公的権限行使においては、形式こそが市民の権利を守る防波堤です。
3.内部統制と監督責任の視点
本件では、上司がとがめず、同僚が追従していた可能性が指摘されています。これは個人の逸脱というより、内部統制の機能不全を示唆します。
組織における再発防止の鍵は以下にあります。
成果指標(KPI)の見直し
文書作成プロセスの検証可能性確保
定期的な内部監査・抜き打ちレビュー
通報制度の実効性確保
「手続を守ること」が評価される人事制度
不正は発覚そのものよりも、発見できなかった期間の長さに問題の本質があります。ドライブレコーダー映像の検証により多数が取り消されたという事実は、デジタル証跡の活用が今後の統制強化に資することも示しています。
4.信頼回復への道筋
違反取消しや反則金返還のための専従チーム設置は必要な措置ですが、信頼回復は制度設計の再構築なくして達成できません。
市民の信頼は、「不正がなかったこと」ではなく、「不正があれば是正される仕組みがあること」によって担保されます。
本件は警察組織の問題にとどまらず、あらゆる組織に共通する教訓を含んでいます。
目標達成の圧力が統制を侵食するとき、不正は静かに正当化され始めます。
私たち 一般社団法人日本公認不正検査士協会 は、不正の未然防止とガバナンス強化の観点から、形式的適正を軽視しない組織文化の醸成と、実効性ある内部統制の構築を社会全体で推進していく必要があると考えます。
公的機関であれ民間企業であれ、「正しい目的」を掲げるだけでは不十分です。
正しい手続を守り続ける統治構造こそが、持続可能な信頼の基盤となるのです。
13/02/2026
毎月数百億円が回り続けた「循環取引」――古典的不正が巨大企業で起きる理由
ある大手通信グループにおいて、子会社とその関連会社を舞台に、最大約2,460億円の売上が過大計上されていた可能性が明らかになった。営業利益への影響は最大約500億円。そのうち約330億円が外部へ流出した可能性もあるという。
今回の手口は、決して複雑な金融工学を駆使したものではない。「循環取引」と呼ばれる、古典的な不正である。
架空の広告案件をでっち上げ、広告代理店A社から関連会社へ、さらにグループ子会社へ、そして別の広告代理店B社へと資金を流し、最終的には再びA社へ戻す。実際に広告が掲載されることはなく、成果物も存在しない。しかし、帳簿上はそれぞれの段階で「売上」と「費用」が計上される。取引は存在したことになる。
イメージとしては、四人の友人が一万円札を順番に回しながら、その都度「手数料」と称して千円ずつ抜いていくようなものだ。一万円札は回るたびに目減りしていくが、そのたびに帳簿上は取引が成立したことになる。実体は伴わないが、数字だけは積み上がる。
しかも、直近では毎月数百億円規模の資金がこの循環の中を流れていたという。そのスケールは驚異的であり、もはや一部門の逸脱では説明できない。
循環取引は古典的であるがゆえに、見抜くことが不可能な手口ではない。実体のない売上計上、回収されない売掛金、取引先の集中、同一資金の短期間での往復――いずれも監査実務では典型的なリスク指標である。にもかかわらず、これほどの規模で長期間継続した背景には、組織的な統制の緩みがあったと考えざるを得ない。
持株会社体制のもとで子会社に一定の裁量を与えることは合理的だが、裁量と監督は常に対になっていなければならない。売上が拡大し、業績が順調に見えるときほど、疑念は生まれにくい。むしろ好調な数字は歓迎され、精査は後回しにされがちである。そこに業績目標達成へのプレッシャーが加われば、「いずれ精算できる」「一時的な調整だ」という自己正当化が働く余地が生まれる。
不正のトライアングルでいえば、動機は業績圧力、機会は複雑なグループ間取引と監視の隙間、正当化は短期的合理化である。これらが揃ったとき、古典的な手口であっても、巨大企業の内部で温存される。
さらに重大なのは、約330億円が外部に流出した可能性である。循環の過程で抜き取られた「手数料」に相当する資金が実体的損失として残るのであれば、それは単なる会計修正では済まない。資金管理、承認プロセス、関連当事者取引の監視体制にまで問題は及ぶ。
公共性の高い企業において、売上2,460億円の過大計上は財務上の問題にとどまらない。それは統治の信頼性を揺るがす出来事である。数字は後から修正できる。しかし、なぜ毎月数百億円もの資金が“ぐるぐる”回る状態を止められなかったのかという問いは残る。
循環取引は新しい不正ではない。だからこそ恐ろしい。最先端の技術を持つ企業であっても、統治の基礎が揺らげば、手口は驚くほど単純でよい。複雑なのはスキームではなく、それを許してしまう組織の構造なのである。
ガバナンスとは、巧妙な不正を見抜く力だけではない。あまりに単純な異変に、どれだけ早く気づけるかという力でもある。今回の事案は、その原点を改めて問いかけている。