あぐろこうきさんと連絡が取りたいのですが、ご本人、あるいは、彼の連絡先をご存知の方、ご連絡ください。原田房枝
ICET InterCultural Education Today
正規高校留学はICETで。1年間留学も留学一日目から現地の高校生としてス?
ICETは、留学生のために特別に作られた英語教育を中心とし、留学に関する様々な機能を持った学校です。世界で活躍できる若者を育てるため、オーストラリアと日本の教育者達の協力により、1991年に創設。毎年全国から1年間の高校留学の生徒を受け入れています。
http://icet.edu.au
19/08/2024
Hi, everyone.
Hope you are doing well.
If you are thinking of coming to Australia through the Working HHoliday program, this might be a useful information.
There are many positive apepects but certainly there is some challenging things we well.
As any adventure, you need to research and prepare in a best way you could.
Wishing you the best.
「時給は2倍」豪ワーホキングホリデーで“出稼ぎ留学”も…就労先・住居が見つからない?「100件くらい回って…」【Bizスクエア】 円安の影響で海外で働く人が増加する中、ワーキングホリデーでオーストラリアへ行く人が過去最多となりました。現地で生活する若者たちを取材すると、人気の一方で思わぬ落とし穴も見えてきました。【コメンテーター...
23/09/2023
【故森靖喜先生に捧げる詞】
今日9月24日は、靖喜先生のご葬儀が執り行われる日です。
お別れというよりも、感謝を伝えたいと思い、これを書いています。
靖喜先生に初めてお会いしたのは、1988年、東京丸の内ホテルでした。
当時、全国にも珍しい英語科を設立された金山学園(現在の岡山学芸館の前身)のクラス全員を海外に1年間留学させたいというビジョンを描かれていました。
今でこそ海外留学は当たり前のことになっていますが、当時は、留学、それも、1年間という発想は、極めて突出したアイディアでした。
最適な国はどこだろう。。
「オーストラリアなら、この女性と会ってください」と私との面談を勧めてくださった方があります。文科省から派遣され、シドニー日本人学校の校長として3年間勤務された岡山出身の赤木先生です。
そこで、帰国した際に、東京で、靖喜先生にお会いすることになりました。
オーストラリアのことをお話ししたところ、ほぼ直決で、留学先は、オーストラリアと決まりました。
早速にも、靖喜先生のご希望を適えるために、オーストラリアでの準備が始まりました。
そこで、活躍してくださったのが、当時、NSW州の教育省のお役人で、広い地域の教育長をされていたエドワード・ギャビン氏です。
受け入れるベストの方法は、交換留学ということで、早速と、姉妹校を募り、あっという間に、13校の姉妹校ができました。
靖喜先生も視察に見え、ちょうど、50歳のお誕生日をシドニーで迎えられました。
Killarney Heights, The Forest, Davidson, Manly, Gosford, Henry-Kendallなど、次から次への姉妹校が決まっていき、遠くは、アデレードに岡山市とのつながりで、1校ありました。
日本から学生一人受け入れるには、同じ月数で、これからの姉妹校から一人日本に送る、ということです。
当時日本語教育が盛んで、外国語を選択している学生たちには優秀な人たちが多く、彼らにとっても、日本留学は、とても魅力的なものでした。
多くの場合には、その生徒たちのファミリーが、日本からの生徒をホストするというのが基本でした。
日本では、守屋先生、赤松先生、三宅先生が中心となって、交換留学のための準備が進められ、オーストラリアからの学生を受け入れるためにGlobal Villageという会が発足しました。
初めて体験だけに、ノーハウを分かち合うための会で、会長の奥村進さんが大活躍してくださいました。
どちらの国においても、最初の数年は、わからないことだらけで大変だったのですが、関わってくださった保護者の皆様は、みな、熱心に、そして、必死に、若者たちのケアに尽くしてくださいました。
プログラムが始まった当初は、そんなの数年続いたらいいところ、という声もあったと聞きます。でも、それが、30年も続いたのは、ひとえに、みなさんのご尽力によってです。
そして、若者たちも、1年の間に、飛躍的な成長を見せました。
逆に、その成長のほとんどが見えない形のものなので、それが、自国の文化に戻った際(得に、日本の場合)、逆カルチャーショックを生んでしまうこともしばしばでした。
靖喜先生は、帰国した若者たちを見て、これは、大変、外国に出したら、日本文化を失ってしまう、と思われ、そこから、古来の日本の精神、伝統文化を意識した教育を強化されるようになりました。
交換留学を法的なものとするために、OGA-Okayama Gakugeikan Australiaが設立され、そこに、じきに、MCA-Morioka Chuo Australiaが加わりました。
盛岡中央高校では、中田先生が中心に、そして、後に、及川先生が加わり、熱心に、プログラムを推進してくださいました。
当時の問題は、一旦、オーストラリアの学校内に所属した留学生は、点在しているために、特別な支援があるわけではなく、学習が個人の学習能力にかかっていて、その結果、1年後には、大きなばらつきが出てしまう、ということでした。
そこで、考えられたのが、ICETのシステムです、
オーストラリアの学校で勉学する一方、きちんとしたESLの英語学習が得られるようにする、というものです。
その中心となったのが、Davdison HSです。
やがて、ビクトリア州のスワンヒルのマキロップ・カレッジやワーナンブールのエマニュエル・カレッジ、後に、シドニーのMLC Schoolなどに、設置されるようになりました。
スワンヒルやワーナンブールは、シドニーから千キロ離れたところです。それぞれ、ESLの先生やコーディネーター、そして、多くの面倒見のいいホストファミリーなどに支えられました。
私も、数ヶ月に一度、あるいは、緊急時には、千キロを運転して何度も通ったものです。(1日で突っ走る元気は、もうありませんけれど笑)
ICETは、靖喜先生のビジョン無しには、生まれなかったものです。
私個人としては、ICETの誕生は、とても意味深いものです。
その登記の日(この準備があって、シドニーを離れることができなかったのですが)は、フランスで急死した夫のお葬式の日となったからです。幸いにも、フランスには、彼の両親が健在でした。
ひとつの大きなものを失い、同時に、ひとつの組織が生まれた時。
ICETが、そして、留学生と保護者の方々が、そして、私の魂を救ってくださる結果となったのです。
もともと、歴史学者になりたいと思っていた私は、本を読んでさえいたら幸せだったのが、突如、未来を作る若者たちとの毎日が始まり、私の生活は、一変しました。
本棚は、歴史の本から心理学の本に入れ替わり、カレッジのコースを受講し、そして、若者たちとの毎日が、新しい発見、新しい学び、新しい成長で詰まったものとなりました。
私の人生は、みなさんのおかげで、極めて豊かなものとなりました。それも、元を質せば、靖喜先生のビジョンのおかげなのです。
私は、ほかにしたいことがあったのですが、この30年は、かけがえのないもので、同じことをするかと問われたら、躊躇なく、イエスと言うでしょう。
違いは、もう一度するなら、今の知識をもってしたら、もうちょっとうまくできたことがたくさんあるだろうな、というところです。
さて、あなたにも、ぜひ、このページに参加していただきたいのです。
あなたにも、直接、間接の靖喜先生との思い出があるでしょう。
留学体験に関しても、あなたが、靖喜先生に伝えたいこと、語りたいこと、靖喜先生の壮大な人生を称えるために。
保護者の皆様も、ぜひ、ご参加ください。
私は、巡り合えたことにただただ感謝です。
それは、たくさんの若者たちと保護者の方々、そして、多くの先生がた、ホストファミリーの人々との出会いの発端だったからです。
靖喜先生、ありがとうございました。
安らかにお眠りください。
思い出という形で、永久に私の心に、脳裏に生きていてくださることでしょう。
【緊急重要連絡】 拡散希望
オーストラリアに留学する際には、student visaを申請し、それを取得するための条件として豪政府の健康保険に加入することが義務付けられています。
みなさんの場合、学校の先生方、あるいは、旅行代理店がその手続きをしてくださったので、それについては、あまり記憶がないかもしれません。
一旦オーストラリアに入国すると、Medibank Privateという機関に登録をします。ICETスタッフがみなさんの代理で登録し、みなさんのお手元には、小さなカードが届きます。
病院に行く際には、このカードが必要です、と言われたことは覚えてみえることと思います。
登録の際には、氏名、生年月日、パスポート番号、豪での住所、メールアドレスが求められます。
そのMedibank Privateがサイバーアタックに遭い、情報が盗まれるということが起き、その中に、あなたの個人情報も含まれている可能性があります。
ICET生の場合、メールアドレスと居住先は、ICETが代表となっていましたので、生徒さんたちの個々の情報は登録されていませんが、氏名、生年月日とパスポート番号は、みなさん個人のものです。
パスポート番号に関しては、留学後に更新されていれば、流出したとすれば、過去のものです。
サイバーアタックが誰によってなされたものかは不明であり、盗まれた情報が誰によってどのように使われるかなどについてはまったくわかりません。
みなさんのお名前がローマ字であって漢字でないことが、少し救いになるかもしれませんが、サイバーアタックがあったということを踏まえて、今後、様々なスキャム行為や詐欺的な行為があるかもしれないことを警戒されておくことが大事かと思います。
この記事を、先輩、後輩、同期の仲間たちに拡散してくださいますようお願いいたします。
残念なお知らせがあります。
予測されたことかもしれませんが、致し方ないことです。
現在はソーシャルメディアという便利なものがありますので、いろいろな形で未来においてもつながっていけることができれば幸いです。
ブログが機能していないことと、添付がこの欄にできませんので、長文でごめんなさい。
以下、お知らせです。
「始め有るものは必ず終わり有り」
30 年余続いた ICET-InterCultural Education が閉校となるお知らせです。
卒業生の皆様、保護者の皆様、関係してくださった諸先生方、本日をもって、ICET のプログラムは幕を閉じ ます。
世界中が混乱している中、ご存知のように、オーストラリアはコロナの根絶を目指し非常に厳しい検閲制度 を敷いています。
国境が再開する見通しが立たず、留学生を制限なく受け入れられる状態がいつになるのか政府からの発表も 通達もなく、そのような状況の中で ICET が 2022 年度の準備を進めることは実質的に不可能であり、また、 無責任でもあります。
こうした状況におきまして、今年及び来年度に留学生の受け入れを無くして ICET が存在することはできませ ん。構成上、政府の認可、関係機関の認可、人的資源、環境などが維持できなければ、国境が再開となって も即受け入れ可能とはならないため、憂慮の結果、ICET の Davidson High School との提携留学生プログラ ムを閉じることに致しました。
今後希望される留学生の皆様にプログラムを提供できないこと、そして、卒業生が訪問できる場が存在しな くなることをお知らせしなければならないことは、遺憾の極みです。
今でこそ高校留学はそう珍しいものではなくなっていますが、1990 年頃には、その冒険に飛び出す若者、そ の若者に信頼を預けて送り出す勇気を持った親御さんは、稀な存在でした。その信頼を ICET に預けてくださ ったことが、ICET の歩み、30 年を超える歴史となりました。
留学中、本当にがんばった 16 歳の若者たち。それを支えてくださった大勢のホストファミリーや現地の先生 方や友人たち。遠くから応援された親御さんと日本の先生方、関係者全員の熱い気持ちが一緒になって作っ てきた歴史です。
感謝の念に尽きませんというありきたりの言葉では、到底表現しきれないのですが、これまでずっと ICET を 温かく支え愛し続けてくださった方々に、心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
ある卒業生の言葉ですが、「ICET の遺伝子」を運ぶ人たちが世界のいろいろなところに散っています。本体 はなくなりますが、その遺伝子たちがそれぞれの場ですばらしい活動を開始しており、これからさらに様々 な活躍を展開していくことでしょう。
学びの楽しさを知り、自由な精神で自分の生き方を築くことが大事だと知った人たち、社会に貢献する起因 力/原動力として、広い世界で活躍していってください。
皆様のご多幸、ご繁栄をお祈りしています。
深謝
ICET 理事校長 原田房枝
2021年7月16日
05/07/2021
松崎さんが記事を書かれている本やサイトのリンクです。
https://www.shinko-keirin.co.jp/shinko/pittarinavi/20200311-01/
https://www.shinko-keirin.co.jp/shinko/pittarinavi/20200323-01/
https://mamael.jp/hatchlink-jr/
https://mamael.jp/ripple-kidspark/
https://mamael.jp/geos-online/
小学生から始める英語の家庭学習法 | 新興出版社 小学生から始められる英語の家庭学習について、いつから何を始めればいいのかを学年別に紹介していきます。
05/07/2021
高校留学の開拓者だった方々のお一人。
16歳のあの時、あの年があったから、今があると感じられてみえる方々はたくさんいらっしゃることでしょう。16歳が人生の原点となったと表現される方々もいらっしゃいます。
オーストラリア在住、日本では英語教育に、オーストラリアでは日本語教育に取り組んでみえる直美さん。まだ鮮明に残っている当時の思い出を語ってくださいました。
英語学習に関して書かれた記事もリンクもこの後でご紹介します。
Naomi Dunn Matsuzaki - the year which changed my life forever あの時、あの年の体験があるから今がある
Naomi Dunn Matsuzaki - the year which changed my life forever あの時、あの年の体験があるから今がある
16/06/2021
高校生の長期留学は、まだまだ大きな冒険だった頃に外国に飛びだった若者たち。
岡山学芸館高等学校という新しい名前に変わり、その一期生としてオーストラリアに。それまでは、15人くらいだったのが、一気に29名に。
当時は、学芸館には13の姉妹校があり、数名ずつ、その姉妹校に。東本さんは、Pittwater HSに。日笠さんは、 Barrenjoey HSに。伊丹さんは、シドニーから西に約700km離れたCobar HSに。
当時の思い出を留学前と帰国後の担任でいらした康子先生と一緒に伺いました。
They launched their adventure as the first Eigoka students under "Okayama Gakugeikan High School" .
They launched their adventure as the first Eigoka students under "Okayama Gakugeikan High School" .
29/05/2021
NSW州とビクトリア州の州境にある人口1万の小さな町Swan Hill、シドニーからは1000km、しかも、ホストファミリーはさらに60km離れたKerangという小さな村で1年過ごした体験は、その後に強烈なインパクトを残した。
夜は、星降るという表現通り、天の川や天体全体が手が届きそうに近い。地平線との間に広がるのは、建物のない灌木遅滞。自然環境に関する関心は、現在に至るまでその後のテーマ。
ホストファミリーとの時間を楽しみながら、ハリー・ポッターの分厚い本を読み上げた文学少女でもある。
多くの子どもたちに夢と感動といろいろな刺激を与えたいという頭巾(ときん)さん。
16歳の時の体験が、その後の人生に息づいている。
Miss Akiho Tokin - Her life in Swan Hill, when 16, has had a grteat impact on her life thereafter.
26/05/2021
ICETがまだ存在しない前、岡山学芸館高等学校には、13校の姉妹校がNSW州に、そして、1校が南オーストラリア州にありました。その13校のひとつ、シドニーのManly High Schoolに留学。
現在は、エリートの子どもたちを育てるためにKids Academyをハワイで経営。「教育」について語ってくださっています。
Ms. Chigusa Hirokawa, Mary sensei, runs an educational Academy in Hawaii for raising elite kids.
Ms. Chigusa Hirokawa, Mary sensei, runs an educational Academy in Hawaii for raising elite kids.
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